闇鍋 (43~44停止目)

いつか、どこかで

 

「もしも時間を30秒だけ止める事ができたら、どうしますか?」
──寒風吹く師走の中、クリスマス商戦の商店街を歩く男が一人。周囲は家族連れやカップルで賑わっているのに、
彼はお洒落に着飾る事もなくひたすら『そこ』を目指して歩いていた。
ノロノロ歩くカップルが鬱陶しい。プレゼントをねだる子供の声が五月蝿い。いたる所から流れているクリスマスの音楽が勘に障る。
ようやく彼は目的地である店の前に着くと深呼吸をひとつしてから扉を開いた。
異次元の世界。その店を一言で済ませば、まさに異次元の世界。ショーケースには所狭しと美少女フィギュアが並び、
天井にはポスター、壁にはそれらの買取金額表や個人取引用のメモ。流れている音楽もクリスマスとは無縁のアニメソング。客層もお察しだ。
彼がカウンターへ向かい、レジの─これまた何かのコスプレ衣装の─女性に話かける。
「‥スイマセン、今日発売の『ドリっ娘ランナーしるびあ限定版』の予約をしていたんですけど‥」
あまりハッキリとしない声は彼の癖なのだろうか。女性店員はとりあえず彼の名前を尋ねてみる。
「失礼ですがお客様のお名前をお尋ねしてもよろしいですか?」
「多摩仙太(たま せんた)です‥」
「多摩センターさんですか?」
もう何度もこの名前違いはやられている。学校のあだ名も『多摩センター』だった。いじめられこそしなかったのは奇跡だが、それでも正直勘に障る。

「予約伝票あるんでそっちで調べてもらえますか?」
いい加減慣れているのだろう。仙太が予約伝票を店員に渡す。レジ端末を打つ店員を無視して、レジ奥のショーウインドにある『ドリっ娘ランナーしるびあ』を見る。
(やっとこれでコンプリートだ‥)
当たり前だが仙太もオタクの端くれだ。限定アイテムは言うに及ばず、スタッフグッズにまで手を出し、挙句登場キャラクターの乗る車まで買う為に免許も取った。

「‥はい、『ドリっ娘ランナーしるびあ限定版』をご予約の多摩さんですね。少々お待ち下さい?」
コスプレ店員の呼び声で現実に引き戻される仙太。店員はショーウインドの中から『ドリっ娘ランナーしるびあ』を取り出し、仙太に見せる。
「こちらでよろしいですね?」
間違いなく仙太の望んでいた『ドリっ娘ランナーしるびあ』だ。確認をした後包装をし、代金を払う。
「ありがとうございました〜」
仙太の耳にはもう何も聞こえない。カップルも家族連れも見えない。帰り道と袋の中身しか意識は無かった。

いつもの固定を付けてみた。色々お世話になります。
『いつか、どこかで。』


帰り道、我慢できなくなった仙太は『ドリっ娘ランナーしるびあ』の封を開ける。お目当てはキャラクターフィギュアなのだが、
雑誌ではレアバージョンもあるというらしいのだ。限定版にのみついてくるフィギュアにシークレットがある──
それだけで仙太は資金さえあればソフトを箱買いしても惜しくは無い出費とも思えていた。ところが──
肝心のフィギュアが無い。パッケージを見ても確かに限定版、どう見ても通常版のそれとは違う。
ソフトも入っている。説明書も冊子も入っている。フィギュアだけが無い。
それまでの絶好な機嫌から一気に急降下し最悪のテンションになる。今来た道を引き返し店員に返品交換をさせなければ。
そう振り向いた仙太が見たものは、大型トラックのバンパーとグリルだった。

グシャァッ──・・

「──・・ってぇーなぁ!!」
俺はガンガンする頭をさすりながら起き上がる。──?あれ?俺は何してたんだっけ?あぁそうだ、『ドリっ娘ランナーしるびあ』を返品しないと・・
ちょっと待て。ここはどこだ。何だこのよくありがちなモヤがかったところは・・?
「仙太・・聞こえますか?」
どこかで俺を呼ぶ声がする。女の声だが聞き覚えが無い。母ちゃんでも無い、声優でもない、職場のオバチャンでもない、学校時代の女子の声でも無い──。
よくあるアニメやゲームの設定ではこういう時美少女が出てきて何やらイベントが起きるはずだが、今の仙太にはそんな余裕はこれっぽっちもない。
「仙太・・聞こえていますか?」
またあの声がする。仙太は何とか落ち着きを取り戻すと、モヤの中を声のする方へと歩き出していった。
「ちくしょう!誰だよあんた!?ここどこだよ?なんなんだよ!?」
わめき散らす仙太。もう何十分と歩いたような気がする。そして、またあの声。
「仙太・・。聞こえているんですね?」
「さっきっから聞こえてるよ!ここはどこなんだよ!帰してくれよ!」
軽い恐慌状態になった仙太の目の前のモヤがサーっと引いてゆく。
「!!!」
そこには、自分と同じ服を着ている男の下半身だけがトラックの正面にぶらさがっていた。その周囲には人だかりと警察。報道カメラマンも中にはいる。
「あまりこういうのをお見せしたくは無かったのですが・・」
さっきよりもハッキリした声の感覚。仙太が振り向くと、そこにはまさに『ドリっ娘ランナーしるびあ』の主人公をリアルにしたような美少女が立っていた。
「あんた──これ──俺─・・」
酸欠の魚のように口がパクパクしている仙太の目をじっと見つめる少女から残酷な宣告が下される。
「多摩仙太。あなたは飲酒運転の暴走トラックに轢かれてたった今、死にました。」
真っ暗になる仙太。まるで奈落の底に落とされたような気持ちで地面に崩れ落ちる。

多摩 仙太、童貞。享年24歳──。

「──少し・・落ち着きましたか?」
あれから数十分。美少女が仙太に尋ねる。淡々と進められる事故処理をどうする事も出来ずに眺めているだけの仙太。
その表情はまさに顔面蒼白であった。
「俺は・・俺はどうなるんだ?」
やっと口を開いた仙太。怯えるような、何かにすがるようなその目は涙が溢れている。あまり泣いたことの無い仙太にとっては
目からこぼれるものよりも買ったばかりで返品予定の『ドリっ娘ランナーしるびあ』、そしてそれよりも今の自分の置かれた
立場の方が気になるのは当然の事だ。
「多摩 仙太、1982年産まれ。血液型A型、男性。以上に間違いは無いですか?」
美少女が淡々と話す。いつの間にか手に帳簿のようなものを持っている。
「あ、あぁ・・間違いないけど・・なんでそんな事まで?ていうかさっきから聞いているんだけどここはどこであんたは誰なの?」
仙太の疑問が一気にふきこぼれる。聞きたい事は一杯あるんだ。この少女が俺のことを知っているのなら
今のこのなんだかわからない出来事の事も知っているはずだ──
「端的に解説しましょうか?」
とことん無表情な美少女。そういえばこういう設定の小説があったな。確か灼眼のナントカ・・
「多摩 仙太の寿命予定時刻が来たので最も短時間かつ確実な手段で寿命を停止させました。
苦しみや痛みを感じさせない手っ取り早い手段でしたが、苦痛はが感じられましたか?」
「てめッ・・何で・・ッ」
あまりの出来事と内容に再び混乱する仙太。完全に頭が回らない。寿命予定時刻って何だよ、
手っ取り早いってどういう事だよ・・!!
「今の私は貴方の理想とする人物像をイメージ化させましたが、そのような者の姿では話の内容を理解できませんか?」
ナントカの憂鬱に出てきたメガネっ娘じゃあるまいし、そんな簡単に映像だのと言われても理解できない。
いや、理解はできてもそれは常識的にありえない。あれはアニメや小説、ゲームの中の架空の出来事なんだ──

「最初から説明しましょうか?」
あくまで事務的に、無表情に喋る美少女。外見もさることながら声も仙太好みだ。
──が、仙太はそれだからこそ気に入らなかった。
「寿命予定、これは全ての生物に設定されている命の砂時計のようなものです。砂時計が落ちきればその生物の
生涯は全てそこで終わる、そういうものなのです。」
新手の宗教団体が使いそうなお約束のネタだ。ただ違うのは現実に仙太の下半身を仙太本人が見てしまったことだ。
「多摩 仙太の場合は先ほどの時間を以って砂時計の砂が全て落ちきった、だから私が貴方の命を終了させました。」
終了って──・・、人をエラーの起きたWindowsか何かと同じ扱いにしているのか?
「まず貴方には自分が死んだと言う事を認識してもらいます。」
少女はそう言うと、突然どこからか拳銃を取り出し仙太に付き付ける。そして銃声。もう一度銃声。
「撃たれたのが解りますか?」
眉間と胸部に穴があいた仙太が自分の手で頭と胸に手をやる。前は指が入る程度の小穴。背面は飛び散っているのか
感触が気持ち悪い。・・が、痛くないし死んでもいない。
ふと背面からまた正面に意識をやると、いつの間にか小穴が消えている。いつのまにか背中も後頭部も
元に戻っている。薄気味悪い空気と少女、そして自分に対し仙太は声にならない叫び声をあげた。

 

──落ち着け、落ち着くんだ俺。これは夢だ。そう、あと数時間もすれば目覚ましアラームのしるびあちゃんが
「ほぉらっ!朝だぞッ!」って俺を起こしてくれるんだ・・そうだ、そうに違いない。これは夢なんだ・・
「もう・・いいですか?」
冗談事ではなく仙太の──信じがたい事だが現実からの逃避を無常にも断ち切るあの声。
そうか、この声の主が元凶なんだ。こいつさえ夢から消してしまえば俺はこんな悪夢から抜け出せるんだ・・
そう思うや否や仙太は少女に喰らいついてゆく。習った事も無いような正拳突きを繰り出した──が。
「そうですね、大抵の人は夢で済まそうとするか事実に絶えられなくなって自らの命を絶とうとするんですよ。」
少女はそういうと仙太の正拳突きを真正面から受け止める。
メキリと鼻の軟骨の砕ける音と共に見事に顔面に入る正拳、吹っ飛ぶ少女。肩で荒く息をする仙太はさらに
驚愕する。目の前で、自分が殴り飛ばしたはずの少女の顔面が何事も無かったかのように治っているのだ。
まるで何事も無かったかのように。仙太の正気の糸がふっつりと切れる。
手近にあったブロック塀に頭から突っ込む。頭蓋骨が砕ける感触はあったがやはり何とも無い。
大通りに出て車に撥ねられてみる。何台も撥ねて何台からも轢かれたが何かが当たった、乗っただけのような
感触しか残らない。近所の川まで走って飛び込んだが水が肺に入っても苦しいだけだった。
「ゲホッ・・ゲホッ・・ゲホォ・・」
「自分の体をもって充分わかって頂けましたか?何度でも言いますが、貴方はもう死んでいるんです。
死んだ生物をもう一度殺すのは基本的に不可能なんですよ?そろそろ本題に入っていいですか?」
恨めしい、そしてすがるような目で少女を見る仙太。やっと話を聞く気になったのだと勝手に解釈し、
少女は穏やかに、しかし淡々と話し始めた。

「多摩 仙太の寿命は確かに終了しました。本来ならこちらで用意した死亡確認書などの書類を提出して
確認、そのまま冥界へと案内するのですが──」
少女の表情が曇る。
「稀に冥界管理者試験というテストのサンプルとしてその対象の寿命をある程度操作できるんです。」
突然この少女は何を言い出すのだろう。よりによって試験のサンプル?
俺が何かの試験のモルモットだとでも言いたいのか?
「私は日本国に降り、寿命と能力を操作しても最も周囲環境に影響を及ぼさないと思われる
対象を探していました。」
その結果が俺、ということか・・?
「私は試験本部に認可を取り、貴方の寿命をここで停止しました。後はごらんの通りです。」
こんな事を言われたら、どんな馬鹿でも気がつく。とどのつまり、仙太は彼女の試験のために寿命を刈り取られ、
その上何かの実験台にされると言うのだ。流石にこれには仙太も怒る。
「じゃあアンタのせいで俺はトラックに撥ねられ買ったばかりのゲームをする事も無く殺された上に・・!」
「そうです。そして私の試験の解答用標本になってもらうのです。」
いけしゃあしゃあと言いきるこの女が憎くてたまらない。仙太は産まれて初めて本格的な殺意を覚えた。
「殺す、殺す、殺すッ・・」
言うが早いか少女の胸倉を掴み押し倒しマウントポジションを取り、そのまま顔面を殴りつづける。
仙太の拳に痛みは感じられない。ひどく変形する少女の顔も痛くは無いと言った表情で仙太を見続ける。
「ちくしょう!ちくしょう!ちくしょぉう!」
いつしか殴るのをやめていた仙太の目から大粒の涙がこぼれてゆく。

「はぁ・・はぁ・・はぁ・・」
マウントを解き、地面にぺたりと座り込んだ仙太。ようやく落ち着いてきた仙太の横に少女が立つ。
その顔はやはり無表情で、薄気味悪さすら感じられる。
「もういい、わかった。好きにしてくれよ・・」
自暴自棄のような勢いで大の字に寝転がる。もうどうにでもなれ、だ。
「私かこれから言う事は貴方にとって重要な事です。極力理解してもらえますか?」
これ以上何を疑えと言うのか。実はドッキリでしたなどというオチでは済まされない領域だというのに
まだ何か隠し球をもっているのだろうか、この少女は。
「今回試験をするにあたって、貴方には一般人とは違う能力を得て蘇生してもらいます。
一種の超能力者のようなものですが──」
「蘇生って、生き返れるのか俺!?」
蘇生という言葉に脊髄反射で反応する仙太。
「正確には多摩 仙太ではないまったく別の人間として行動してもらいます。
なにしろ多摩 仙太は先ほど事故死したのですから。」
仙太が仙太でない生き方?仙太なりに考えを巡らせるがまったく意味がわからない。
「簡単に説明すると、同じ容姿を持った人体に貴方を入れて、その後の行動を私が監視する
仕組みになります。わかりますか?」
解るわけが無い。

「どのように説明したら最も効率良く理解して頂けるのかはわかりかねますが──」
少女は少し考えながら話し始める。
「まず、つい先程までの多摩 仙太は戸籍上死亡しています。」
「あ、あぁ」
「だけど貴方はまだ意識はあるし存在している。」
そう言われれば確かにそうだ。かなりあやふやだが感覚もあるし、何より自分の
手足が見えるし自分の意思で動く。
「今の貴方は一般に言うところの幽霊のようなものです。それは理解しましたか?」
「幽霊っつったって、足もあれば宙にも浮いていないぞ?」
「あれらは空想ですから。さて、貴方をまた元の世界に戻す事になるのですが、
いくつか条件があります。」
「条件?」
考えているような表情のまま淡々と喋る少女と顔色がころころ変わる仙太。
もしお互い以外に二人を見ることができたなら、
それはとても滑稽なかけあい漫才に見えた事だろう。
「まず、今のこの記憶は全て封印されます。例外中の例外なので記憶が
混乱されても正確な判断ができなくなる可能性がありますから。」
「封印って‥いつまて?」
「貴方が死ぬまでです。」
「えぇえっ?」
「そして、貴方には『時間を止める能力』をお渡しします。それが本題ですが。」

時間を止める──そんな事が実際に出来るのならありとあらゆる事が可能になる。
コンビニのレジから金をくすねるどころか、主要駅で大量虐殺しようが
好みの女性を襲おうが捕まらない理屈だ。
そんな常識を覆すような能力を何に使えというのか。
それに30秒とは随分半端な時間だ──。
「時間を‥止める?どうやって止めようって言うんだ?」
「──ここにボウリングの球があります。」
少女はまたどこからかボウリング球を取り出した。
「今、私が持っているボウリングの球が見えていますね?」
「え?・・あ、あぁ、見える。」
次の瞬間。ズシッとくる重量感を右手に感じる。何が起きたのか見る前に左手で
それを支える。片手で支えきれないくらいに重い。
「な──・・!?」
つい一瞬前まで少女が持っていたボウリング球をいつの間にか自分が持っている。
それがボウリング球だと気づいてしまえば片手でも持てるのに、あの一瞬で
何が起きたのかまったく理解できない。

「もうひとつ、これを見てください。」
そう言って少女が見せたのはストップウォッチ。やおらストップウォッチを
スタートさせると、5秒立ったくらいから突然27秒へと変わった。
「え?ええ?何で?」
まだボウリング球を抱えたままストップウォッチを凝視する仙太。
頭の処理能力を完全にこえている。ありえない。
「目の前で起きたこの二つが確実に起きたのは貴方の目と体で
理解できましたか?」
「いや、理解とかそういう次元じゃないでしょこれ・・なんでアンタがもっていた
これを俺が持っていたりストップウォッチが壊れて時間が飛んじゃったのさ?」
漫画やアニメの中の出来事はその中だから面白く、夢を持てる。
が、仙太の今はそれが現実になっているのだ。
「実際に時間を止めてみますか?」
少女が尋ねる。半分うわのそらになっている仙太はさらに目が点になる。

「まず、時間を止める瞬間をイメージして。」
少女はそう言うと、大通りの歩行者達を指さした。サラリーマンや私服の若者、
老人や自転車・バイク・・。
「心の中にあるカメラのシャッターを切るような気持ちで、「時よ、止まれ」と強く思って。」
「心の・・カメラのシャッター・・」
仙太が心のカメラで大通りを照準に捉える。そして──。
ドクン、という鈍い音がどこかでなったような気がした。
「・・これは──?」
ふと隣の少女を見ると、まばたきもせず大通りを見ている。いや、見ていると言うよりは
固まっている。大通りに目をやると、少女と同じように人々がそのままの格好で
文字通り固まっている。自転車が静止しているのに倒れない。走っている人が
宙に浮いている。落ち葉が空中で止まっている。
「本当に・・止まってる?」
仙太はポケットをまさぐると携帯電話が出てきた。だが、待受画面に設定している
アナログ時計の秒針は動いている。どういうことだろう──?
「そんな、ウソだろう?こんな馬鹿な話があるかよ?だって本当に──」
仙太が叫んでいる途中で、またどこかであの鈍い音がした。
何事も無かったかのように自転車は走り出し、人々は歩き出し、
落ち葉は地面に落ちた。
「時間が・・止まった。」
仙太がそう呟くと、少女が仙太に向き直る。いつのまにか能面のようだった少女の
表情が少し微笑んでいるように見えた。
「『時を止める能力』の使い方はわかりましたか?」
少女の質問に今度は「わかった」とはっきり答える事ができる仙太。信じないわけには
いかない。そう、これが仙太の現実なのだ。

「ところで・・聞きたいんだけど」
「はい、何でしょう」
「あんたの名前・・なんて言うの?」
そう聞かれた少女は少し驚く。そういえば名乗ってもいなかったし聞かれもしなかったので
てっきり名乗ったものだと思っていたようだ。
「私の名は・・恒河沙(ごうがしゃ)。」
「ごうがしゃ?」
──どこかで聞いたような名詞・・そうだ、いつかの数学で聞いたことがある。
しかし、人名として使うにはいささか無機質な名前ではないだろうか。
「じゃあ恒河沙さん、質問いいかな?」
「まだ何か?」
仙太はさっきの時計について聞いてみる。なぜ恒河沙の持っていたストップウォッチだけ
動いていたのか。なぜ自分の持っていた携帯電話は動いていたのか。
「時間を止めるのはあくまで『自分以外のもの』ですが、自分が身に付けている物や
触れているある程度の物はその影響を受けません。」
そう言うと恒河沙は仙太の肩に手を置く。そして、また時間を止めた。
「・・あれ?」
恒河沙が止めた時間の中を仙太は動いている。しかし、大通りの人々はまたしても
静止した状態になっているのだ。
「言っている意味が解りましたか?」
恒河沙が尋ねる。
「どういう事?」
やはり理解できていない仙太。
「私が仙太の肩に触れて時間を止めた事によって、私と仙太のみ止まった時間の
影響を受けないようになっているわけです。・・ほら。」
恒河沙はもう片手に持っていたストップウォッチを仙太に見せる。
慌てて取り出した仙太の携帯も同様に動いている。

「これでわかりましたね?私からの能力の説明は以上ですが、
他に何か聞いておきたい事はありますか?」
時間が再び動き出した後に恒河沙は尋ねる。
「その、色々聞きたいことがあるんだけど・・」
うろたえる仙太。ある程度察したのか、少し間を置いて恒河沙が喋り始める。
「あと数分後にあなたはこの場所より現実に帰り、今まで通りのような生活に
戻ります。けど、貴方の事を覚えている人や帰る場所はありません。
しつこいようですが、現実での多摩 仙太は死亡しているのですから。」
そう言うと恒河沙は文字通り「飛んだ」。唖然とする仙太を無視してさらに続ける。
「私には他の用もあるのでこの辺で失礼しますが・・その能力をどう使うかは
貴方次第。それでは、この辺で。」
言い残すが早いか否か一気に飛び去る恒河沙。一人取り残された仙太は
立ちつくすしかなく、今の出来事を一つ一つ確認していくしかなかった。
「時間を止めれてどうしろっていうんだろう?悪事に使ってもいいって事?
・・って言うか何で俺?何か大事な事忘れているような──あれ?」
またしても仙太の周辺にピンクのモヤがかかる。モヤが晴れてもさっきの位置にいるが、
『今』がさっきいた空間ではない事が感じて取れる。
「時間を止める・・か。」
大空を見上げて物思いにふける仙太を一陣の寒風が吹き抜ける。
「うぅっ、寒っ・・」
いつか、どこかでまた会えるのだろうか。あの少女──恒河沙に。
「あッ──!!」
『ドリっ娘ランナーしるびあ』の存在をしっかり忘れていた。
家に帰れないんじゃあゲームが出来ない。それ以前に買ったソフトが無い。
むしろ財布の中身の現金も余裕が無い。どうする俺、ライフカード。

 

二幕

困った事になってしまった。現実・・というべきなのか、とにかくいつもの世界に
戻ってきたのは間違いない。ブロック塀に頭突きを入れたらものすごく痛かったし、
何より血が出てきたのだから。だが、今問題なのはそんな事じゃない。
『ドリっ娘ランナーしるびあ』が無い。トラックに突っ込まれて、
その後どこへ行ったのかさえわからない。
そもそも、事故現場はもうきれいに撤収された後だったのだから
警察が持っていってしまった可能性もある。
そうなると死人の仙太には手の打ちようがない。
そして帰る家が無いと言う事はこの寒空の中野宿を強いられるという事に直結し、
宿泊施設を利用するにも先立つものが無い。──常識的に考えれば、の話だが。
もちろん、この『時間を止める能力』さえ応用すれば
そんなものはたちどころに問題でも無くなるのは解っている。
・・が、はたしてそれらは正しい選択なのだろうか?
能力を使うべきか使わざるべきか。

途方に暮れる仙太が何かの気配を感じ、ふと路地裏を見ると
ビルの間でその「何か」がゴソリと動く。
犬よりもはるかに大きなその影が人のものだと気付くまで、
そう時間はかからなかった。
いざとなったら時間を止めて逃げればいい──いつでも逃げられるように
気を配りながら一歩一歩慎重に近付く。
「女の‥人?」
仙太好みの二次元少女とは明らかに違うタイプの、だが不細工でない
(ように見える)女性がゴミポリバケツやゴミ袋に混ざって転がっている。
漫画かアニメかゲームでしかありえないようなシチュエーションに軽く吹き出す仙太。
「どーしろっていうんだコレ?」
女性は寝ているのか気絶しているのか、仙太が足元まで近付いてみても
全く動く様子がない。
「‥あの、大丈夫ですか?」
まとも女性と会話をしたことがない仙太にとって、女性に話しかけるというのは
大変な出来事だ。男友達のように軽く小突いたり頭をひっぱたく等の直接的な
刺激はもとより、どう話したら良いかも解らない。仙太にできる事は
ただ声をかけるだけであった。

しかしよく見るとこの女性、様子がおかしい。酔い潰れるにしても今は日中、
酒が入るにはまだ早い。家出にしては荷物や鞄が無い。
この季節を着のみ着のままで過ごすにはやや無謀な薄着だ。
‥が、衣服に破れや引き裂き傷まであるのはどうだ。
これが流行りのファッションなのだろうか。だがそれにしては生々しい。
しばらくそうやって女性を見ながら声をかけていると、
仙太が入ってきた逆の通りから数人入ってきたのが見える。
声と態度、言い方からして男。それもかなり荒々しい。
「マジで上物だぜ、胸もでけーし何より処女だ!」
「マジかよキーちゃん?どこで見つけたの?」
男達はいずれも俗に言う『イケメン』の方にいてもおかしくない容姿だ。
しかし言動と悪意に歪んだ表情が逆に不気味さを倍増させている。
仙太の脳が必死でフル回転する。見つかれば間違いなくただでは済まない、
だがこの女性を見捨て自分だけ逃げるにはあまりに情けない──
見捨て逃げる?つい数時間前の仙太には
それしか考えられなかった選択肢を自分で拒んでいる。
良い代替案があるわけでもない。助かる保証も無い。にも関わらず、
仙太は別の選択肢を求めていた。

(30秒ってどのくらいだっけ?)
例えば女性を抱えて走って逃げて30秒、何メートル稼げるだろうか。
女性とはいえ、人一人担ぐのだって楽じゃない。
男達を撃退できれば理想的だ。そしてそれは最も現実から遠い。

「マジ強力な薬ぶっこんだからしばらく起きねーぜ?」
「じゃあいつもの撮影会からっスかぁ〜?」
「出たよ変態!‥って、あれ?」
男が首を傾げる。確かにいたはずの女がいない。
それにつられて他の男達が群がる。
「キーちゃん?」
「いねぇ‥何でだよオルァァ!」
バコッという鈍い音と共に吹っ飛ぶゴミポリバケツ。
反対側の壁に叩きつけられ、生ゴミが散乱する。
「ぜってぇ近くにいるんだ‥」
男は不釣り合いな女物の財布を取り出すと、中から免許証を取り出し仲間に見せる。
「この顔した女だ、何があってもぜってぇとっ捕まえろッ!」

「もう二度とやりたくねえ‥」
男達が逆方向の大通りに出た後、仙太が顔をのぞかせる。
仙太は時間を止めた直後に倒れている女を担ぎ上げ、
男達が来た方の通りに向かったのだ。
表でぐったりしている女を見る。
「すげー‥柔らかかった‥」
母親以外の女性を初めてしっかりと意識して触った仙太にとってそれは、
何ともいえない感触だ。なるほど、
世のイケメン諸君はこれを毎日味わっているのかと妙に納得する仙太。

日曜日にやっていたヒロインアニメの主題歌じゃないが、
一難去ってまた一難。ぶっちゃけありえない。
男達のうち一人が引き返してきた。余韻に浸る間もない仙太が路地裏を覗きこむと、
その男と目があってしまった。
「何見てんだテメェ?」
「ヒィッ!」
男の威嚇で完全に震え上がる仙太。その様子を見るなり男が完全に仙太を見下す。
「俺さぁー、女のコ探してるんだよねー。セミロングの茶髪なんだけどよぉ、
お前知らねぇ?」
不気味な笑顔でどんどん距離を詰めてくる男。彼のリーチがどこまでかなんて
わからないが、射程距離に入ったらゲームオーバーな気がしてならない。
「あわ、あわわわわ‥」
「おいおい逃げるなよ、何もしねぇっつってんだろ?」
逃げ腰になる仙太、なおも接近する男。もう数歩で脱走確定だ。

「──あ?」
間の抜けた声と共に突然前倒しに転ぶ男。ポケットに手を入れていたのが
災いしたのか、見事に顔面着地を決めた。
「あ、大丈夫ですか‥」
仙太が慌てて男に駆け寄る。思いもよらぬ出来事に男の目は点になったままだ。
思わず時間を止めたはいいが、これといった名案が出なかった仙太が
とっさに思いついた事。それが靴紐を両足まとめて固結びにするというものだった。
あまりにもベタで時間稼ぎにもならないと我ながら思っていた仙太の
目の前での顔面着地。
なぜ駆け寄ったのかは自分でわからない。
ただ、その様を笑うにはちょっと笑うに笑えない光景だったのは明らかだ。
「ぅ〜‥」
大量の鼻血が地面と顔を赤く染める。男の意識は朦朧としているようだが、
ここは逃げるべきだろう。
仙太は近づいた拍子に見つけた男の財布を抜き取ると、女のいた方向へ駆け出した。

「小野路(おのじ)駅まで!」
流石は大通り、一分経たずにタクシーを拾えた。男からかっぱらった財布には
数千円程入っていたので、代金はそこから失敬するとしよう。
とにかく小野路駅まで行けば仙太の愛車がある。幸い、自前の財布と携帯電話、
そして鍵類は持っていた。そこまでたどり着ければとりあえず何とかなりそうな気がする。
タクシーの運転手がぐったりしている女を怪訝な目で見るが、
彼女体調悪くて‥等と適当にごまかし乗せた。
小野路駅まで15分。短いようで長い。

「お客さん、1280円ですよ」
・・走り去るタクシーを背にコインパーキングへ向かう仙太。肩に担いだ女を
『やたら重い等身大抱き枕か何か』と思うようにする事で何とか意識しないようにする。
愛車の助手席のドアを開け、女を座らせる。それにしても、
意識の無い状態の人間をどうこうしようとするのは苦労するのだと身をもって知るとは。
駐車料金を払いストッパーが降り、運転席に座る仙太。
駐車場を出てしばらく大通りを走る。
「なんだかなァ‥」
週末に見た女性とオタク青年の恋愛ドラマを思い出す。
現実にはそんなのないだろうと思っていたが、理由はどうあれ見知らぬ──
またしても名前がわからない女性が隣のシートにいるのだ。
先程の路地が見える辺りで車を停める。流石に初心者マークな仙太が一発で
縦列駐車を決められる筈もなく、散々切り返して何とか路肩に寄せることができた。

「‥んっ‥ぅん‥」
その声で半分ウトウトしていた仙太が目を覚ますと、
助手席の女が半目を開けた状態でボンヤリしている。
「‥ん?」
やっと自分の置かれた状況にまで頭が回り始めたのか、今度は周囲を見回す。
「‥何コレ?」
目が点になる女。苦笑いする仙太。

──頭が重い。
そういえば私は何してたんだっけ?‥あぁ、そうそう思い出した。うん。
だけどここはどこなんだろう。エンジンの音、車の中?
「‥何コレ?」
目が覚めたらいきなり車の中にいる。しかも体中ズキズキするしフラフラする。
しかも横には変な男がいる。こいつ誰?
「あ、起きた」
「ちょっとあんた誰よ、ここはどこ?何で私ここにいるの?」
もうワケがわからない。
「ちょ、ちょっと、落ち着いてよ・・頼むから」
まだ何もしていないのに何故か怯えきっているこの男・・よく見ればいわゆるオタク系に
見えない事も無い奴が私に何をしようっていうんだろう。それにしても
この車の中、変な物が一杯でウザい。おまけに変な臭いもする。うん、こいつオタク決定。
「あのさ、ここから出してくれない?マジ出たいんだけど?」
「それはいいけど、俺の質問にも答えてよ・・」
オタク男の質問?何を聞こうっていうのかしら?
「オタクグッズの場所でも知りたいの?私興味ないけど?」
「いや、そうじゃなくて、何でゴミ捨て場で寝てたのかなーなんて・・」
ゴミ捨て場?誰が?
ふと、自分の格好を見回してみる。お気に入りの服はぼろぼろ、
買ったばかりのパンツもひどい有様だ。自分の顔を見ようとして鏡を探す。
あれ?そういえばバッグが無い。

 

言われるかな、やっぱり言われるのかなと密かに想像していた台詞と
ほぼ同じ内容で女がわめき始めた。
「ねぇ、ちょっと私のバッグは?」
「バッグは知らないけど、財布とかなら男の人が持っていたと思う・・多分」
「はぁー?男はあんたでしょうが?」
仙太だって馬鹿じゃあない。
こういう時、世の男は怒鳴って黙らせるか何とかなだめるかして男の話を聞かせる。
だが、仙太はそのどちらもしなかった。
替わりに──

ガォアッ!! ドギャギャギャギャギャ!

流石は国産ハイパワー・スポーツカー。
痛車丸出しの外観からは想像もつかない爆音とスキール音を立てて一気に加速する。
シートに叩きつけられる仙太と女。
「・・あ、シートベルトしないと怪我するよ?」
いつの間にかレーサーばりの4点シートベルトに身を包んだ仙太が女に言う。
顔色が一気に冷めた女はとたんに黙り、シートベルトを手繰り寄せる。
「こういう状況でなんだけど、俺は多摩 仙太。あなたは?」
アクセル全開でなおも加速する仙太の車。
「ふ、伊勢原ひなた・・」
「じゃあ伊勢原さん、先に言っておくわ。俺もあんたの事はわからんし、
あんたも俺のことはわからないでしょ?」
半分薄笑いで喋り始める仙太とは対照的に、
顔面蒼白になって今にも吐き出しそうな女──伊勢原ひなた。
「ちょっと、前!前!赤信号!」
「ここで提案、少しだけ俺の話を聞いてくれる?」
赤信号に猛スピードで突っ込む仙太。いくらなんでもこの速度で交差点に入るのは
誰がどう見ても無謀か自殺行為にしか見えない。
「キャー!」
「あと100mくらいかな?」
「わかった、わかったからやめてー!」
もはやパニック状態でわめき散らすひなた。真正面にタンクローリー、絶体絶命。
頭をかかえてうずくまるひなたが恐怖に目を閉じる瞬間見たものは、
のんきにあくびをしている仙太の横顔だった。

「──!」
もうぶつかった?もう死んだ?何故か相変わらず爆音を轟かせながら走っている音が聞こえる。
恐る恐る目を開け、顔を上げるとタンクローリーどころかだいぶ先の地区まで走っている。
「・・死んで、ない?」
何が起きたのかわからないまま硬直するひなた。
その様を横目でチラリと見た仙太は速度を下げ路肩に車を寄せ、ハザードランプを焚き停車する。
「さて、少しだけ俺の話を聞いてくれる?」
「・・は、はぁ」
何かが吹っ切れた仙太が屈託の無い表情でひなたを見る。
仙太からしてみれば単にウサ晴らしの暴走でスッキリしただけなのだが、
これが仙太の余計な緊張や他人への抵抗感等を一掃したのかもしれない。
そして、それは意外にも仙太に心の余裕も与えていた。
今の仙太なら圧迫面接も軽々クリアできそうなくらいの勢いだ。
「俺が伊勢原さんを最初に見たのは、さっき車を停めていた辺りのビルの路地裏。
それに何か心当たりは?」
「路地裏って・・あるわけ無いでしょ?」
路地裏で倒れている相手に向かって心当たりも何も無いのだが、
それでも聞かないわけにはいかない。さらに続ける仙太。
「伊勢原さんの最後に覚えてる事って?」
「私の・・?・・え?あれ?──ちょっと待ってよ・・」
演技や冗談抜きに真剣に思い出そうとするひなた。

 

三幕

扇駅を降りてすぐのブランドショップに向かっていたのは覚えている。
買おうとした服が高くてATMに向かった、そこまではOK。
その後茶髪のイケメンに道を尋ねられてからがもやもやしている。
必死に記憶の糸を手繰るが、そこから先が出てこない。
「駄目、思い出せない‥」
ひなたの真面目に悩む顔を見た仙太は、それ以上追求するのをやめた。
下手に問い詰めてもまた騒ぐだけだろう。
「俺が知っていることは、伊勢原さんが路地裏で倒れている所に
茶髪集団が数人きたから逃げてみた、それだけなんだよね。
だから悪いけど伊勢原さんの荷物とかはわからないんだよなぁ‥」

「‥最悪」
ひなたにとってそれらは命に等しいものを無くしたような衝撃だった。
財布はもとより化粧品やアクセサリー・小物類といった、
仙太どころか男性諸君には理解できない彼女なりの宝物が
ほぼ全て詰まっていたのだ。
ポケットを全て探ってみたひなただが、出てきたのは携帯電話くらいで
あとはヘアピンやイヤリングの片っぽといった具合である。
「だいたい何よ、この臭い?」
半分以上八つ当たりであろう怒りが仙太を襲う。
しかし仙太は助手席サンバイザーを指差し答える。
「頭の上にそんなモノが付いているから‥ねぇ」
サンバイザー裏にあるバニティーミラーを開き、自分の頭を覗くひなた。
そこにはキャベツのカスや魚の骨が栗色に染まった髪にミスマッチしている。
「っな・・!そういうのは先に言いなさいよ!」

もはや収拾のつかない事態に必死で笑いをこらえる仙太。
おちついてよく見ると、女の人というのはこうもくるくると表情が変わるものなのかと
感心しつつも腹の底から湧きあがる笑いが耐えられない。
その時。

流行の歌を着うたにしているのだろうか。ひなたの携帯から音楽が流れ始めた。
仙太はにやけるのをやめて、無言で『どうぞ』とジェスチャーをひなたに送る。
それに応じ、電話に出るひなた。アドレスには載っていない電話番号だ。
「もしもし?」
「・・ひーなーたーちゃーん?今どこにいるのかなー?」
割と最近聞いたような覚えのある声だ。まさか、あの時の茶髪?
「ちょっと、何で私の番号知ってるのよ?」
ひなたの声のトーンが下がる。
「電話番号だけじゃあないぜぇ、『伊勢原 ひなた、昭和58年5月18日生まれ、本籍・・』」
「ちょっと!あんた何考えてるの!」
電話越しに嫌でも聞こえてくるその声は、
さっき路地裏でキーちゃんとか呼ばれていた男の声によく似ている。

『駄目じゃないかひなたちゃぁん?勝手に起きてどこかに行っちゃあ?』
悪意と嫌味に満ちたその声は、ひなただけではなく仙太をも不快にさせる。
「勝手に・・って、あたしに何をしようって言うのよ?」
『決まってるだろう?男と女がヤる事って言ったらたったひとつ!
ひなたちゃんを犯して犯して犯しまくるしかないだろ?
しかもひなたちゃん、処女だし?』
電話越しの男の言葉を聞きながら、ふと思いついた仙太は
運転しながら片手で自分の携帯電話のメール画面を開き、文字を打ち込んでいく。
『財布だけでも返してもらおう』
そうひなたに見せた仙太を不思議そうな目で見るひなた。
「どーでもいいけど、あたしのバッグ返してくれない?」
とりあえず自分では良い案が思いつかなかったので、仙太の指示に従う。
電話越しのあの男はさらに調子に乗る。
『返してあげてもいいけどさ、ひなたちゃん一人で来れるかなぁ?』
「どーゆう意味よッ!?」

男の挑発にいとも簡単にのってしまうのは、
おそらく人生経験が少ないだけではなく彼女の気質なのだろう。
「じゃあどこに行けばいいのよ?場所も時間もわからないのにどうしろっていうのよ?」
『今ひなたちゃんがどこにいるか知らないけどさ、俺ら翠葉(すいよう)駅にいるんだわ。
だからひなたちゃん、ダッシュで翠葉駅までカモーン!ウヒャヒャヒャ!!!・・ブツッ・・』
一方的に電話を切られたが目的地は見えた。ここから車で15分、余裕で着ける。
「まさか翠葉駅まで付いて来る気?あんたストーカー?」
「いや、そーじゃなくて」
人付合いに慣れていないというハンディキャップは意外にも大きいものだと
痛感する仙太だが、仙太の目から見てもおよそ機転の利きそうに無い
この少女に仙太なりの作戦全てを伝えるのは少々無謀な気がした。
そこで仙太は、ひなたにもひとつ踊ってもらう事にする。
「このまま車で直接乗り込むのもアリだけどさ、相手が何人いるかわからないでしょ?
それにそいつらは一人で来いって行ってるんだから、俺は行ける訳が無い。
・・普通の考えでは、ね。」
あの男達だって馬鹿じゃあない。万が一獲物が逃げ出してしまった時も
彼らの元に自ら帰ってくるように、わざと携帯電話だけ残して荷物を奪ったのは
子供にだってわかる仕掛けのはずだ。
しかし、頭に血が上った彼女にはおそらくわからないだろう。
「翠葉駅の少し手前で伊勢原さんにには降りてもらって、
そこから翠葉駅まで歩いていってほしいんだ。
伊勢原さんは相手の顔はわからないけど、
俺はそいつらの顔がわかるからさ。先回りしておくよ。」
そう言う仙太の自信ありげな顔に思わず納得して指示に従うひなた。
彼女は彼女なりのやり方で仙太の求める「てがかり」を導き出してくれるだろう。
仙太はひなたにいくつかの指示を出しておく。

そうこうしているうちに翠葉駅まであと1km前後の場所に着く。
周囲は雑居ビルや商店で人通りが多く、
彼らの目を盗んでひなたが車から降りるのには最適だ。
「じゃあ、先に行ってるんで。」
一足早く翠葉駅のロータリーに着いた仙太が辺りを見回す。
あのキーちゃんと呼ばれていた男の姿は見えない。
おそらくどこかで見張っているのだろう。携帯をわざと残しておく位の奴らなのだから、
そう簡単には現れないだろう。
一方、ひなたも翠葉駅に着く。流石に駅前は人の量も建物も半端無い。
この中からどうやってあのキモ男──多摩と言ったか──は、
自分のバッグを取り戻してくるのだろう。
そもそも、あのキモ男も実はグルになっているんじゃないだろうか。考え出したらキリがない。
とにかく最悪キモ男が電話の男の仲間だったとしても死ぬわけじゃあないし、なんとかなるだろう。
そんな事を考えながら翠葉駅ロータリーまで出ると、
さっきの痛々しい下品なスポーツカーが停まっているのが見える。

─うわ、本当にいるし─
ひなたが周囲を見回していると、携帯にあの男からの着信が響く。
通話ボタンを押し、電話に出る。
『本当に一人で来ちゃったのひなたちゃん?ギャハハハハ!!』
出来れば聞きたくない下品な声。まちがいなくさっきの男だ。
さっきあのキモ男が言っていた事をやっておかないと・・。
「あんた、どっから見てるのよ?」
『ひなたちゃんがこっからだとはっきり見えるぜぇ?』
場所を割り出せって、あのキモ男馬鹿じゃないの?何が
「とりあえずどこでもいいから、ビルの角を背にしとけ」よ?
そんなので判ったら苦労はいらないってのに・・。で、次はなんだっけ。
「て、ゆーかさ。あんたさっきからどこであたしを見てるのさ?超キモいんだけど?」
『ギャハハハ!!聞いたかよ山田?俺達キモいらしいぜ?』
『マジっすか清さん、俺らキモいっすか!ギャハハハ!』
やっぱり一人じゃないんだ。キヨシってのがさっきから一番うるさい奴の名前なのかぁ。

 

ひなたが電話を始めたのを確認した仙太は周囲をざっと見回す。
今ひなたの姿をあの男達が見えるとすると、少なくともあの角を基点に
180度の範囲にいてなおかつそう遠くはないはずだ。
あの路地裏の時からそう時間は経っていないはずだから衣服はそのまま、
複数名でいる可能性が大きい。
仙太は30秒間キッチリ時間を止めては男達を捜し、
時間が動き出してはまた止める作業を繰り返す。
まるで等身大のウォーリーを探す感覚なんだよね、
と一人思いながら見回す仙太の目に、ふと駅ビルのファミリーレストランが見えた。
位置にして丁度ひなたを見下ろせるそのファミレスの窓越しにいるその集団は、
間違いなくあの男達だ。
目標補足、距離補正──

『じゃあ早速そこで全部脱いでもらおっかなー?』
「脱──!?」
男達の下卑た笑いを真っ赤な顔で聞き取るひなた。
いくらなんでも公衆の面前でいきなり全裸になるなんてできるわけがない。
『俺ら特等席でひなたちゃんのストリップ見てるからさー、
セクシーに脱いでいってくれるよな?』
「できるわけないでしょ?何考えてるのあんたたち?」
『出来ないんならひなたちゃんの大事なバッグは俺らが預かっちゃうよ?永遠に!』
勝ち誇ったように笑う男達。頼みのキモ男─仙太はまだ車の中に・・いなかった。

仙太の右手にはどこから手に入れたのかソフト手錠が数個。
まっすぐファミレスの中にあるトイレに向かう。
時間が動き出して突然現れたように見えてしまったら
元も子もない、そう判断した仙太の考えはある意味天才的だ。
再び時が動き出し、荒い息を落ち着かせてトイレから出る。
男達の横を通り過ぎながら横目で彼らの手荷物を見る。女物のバッグが二つ。あれだろうか。
空いている席に適当に腰掛けて再び時を止める。世界が再び凍りついた。
まずは最低限の仕事、ひなたの手荷物を取り戻す。
そして男達のズボンを全て下ろし、手錠で各個人の手を縛る。
全員の財布を頂戴する事も忘れない。
自分でも30秒でやったとは思えないほどの見事な手際でそれらを済ますと、
さっきの席に滑り込む。直後、ウェイトレスの悲鳴と男達の叫び。
できることなら携帯のムービー機能で撮影でもしてやりたいところだが、
あいにくそんな余裕はなかったので諦める仙太。
再び時を止めてファミレスを立ち去り、自分の車へと足を急がせた。

「出来ないもなにも、こんなところで脱いでどうしろっていうのよ!?」
『チョーエロい体を皆に見せつけてやればいーんじゃねーの?』
ひなたをいいようにからかう男達。頭に血がのぼっていいように遊ばれるひなた。
「あんたたちが脱げばいーでしょうが!」
『・・プッ!俺たちが脱いでって、おかしくねー?ギャハハハハ!!』
『キヨシさんやっぱバカですよこの女!』
「バカはあんんたでしょうが!」
『ムキになってるぜこいつ・・うわぁ!!』
突然男達が騒ぎ始める。電話口からは女の人の悲鳴や男達の叫び声、
皿か何かの落ちる音がひっきりなしに続く。
「ちょっと!なんなのよもうッ!!」

『なんだコレ!おい山田!お前何だよこれ!』
『キヨシさんこそ何で脱いでるんスか!キモいっすよ!』
『キャー!変態!!』
ひなたには何がなんだかわからないが、
とりあえず電話の向こうで何か別の問題が起きたのだけはわかった。
しかしそれとこれは別問題。
「どーでもいいからバッグ返してよ!」
『うっせーボケ!!・・ブツッ…ツー…ツー…ツー…』
一方的に電話を切られてどうしたものかとふと仙太の車を見ると、
いつの間にか中に乗っている仙太を見つけた。急いで仙太の車に乗ると、
そこから一気に逃げるように走り去っていった。

「なんかさ、あいつらいきなり騒ぎ出して電話切られちゃったんだけど?」
しばらくしてひなたが切り出す。それを待ってましたと言わんばかりに後部席を指差す。
「あれ?あたしのバッグ・・」
ニヤyニヤと気持ち悪い薄笑いを浮かべながら運転する仙太。
無言で自分のバッグを手繰り寄せるひなた。
「本当はね、ムービーを撮っておきたかったんだけどさ。」
そう言いながら線太は自分の携帯をひなたに見せる。
そこには、手錠でお互いを繋ぎあう勃起した下半身剥き出しの男達が写メに写っていた。
「うわっ、キモっ・・」
口ではそう言いながらも目が離れない。

 

四幕

「さて・・伊勢原さんの鞄はそれでいいの?中身は足りないものとか無い?」
「え?え、えぇっと・・、多分大丈夫。」
仙太に言われて初めて自分のバッグの中身を確認し始めるひなた。
なかは多少荒らされてはいるものの、これといって足りないものは無いようだ。
「佐藤清・山田龍次。この二人の名前に聞き覚えとか無い?」
さっきくすねてきた財布の中から二人の免許証を見せる。
ひなたにとってはどちらも見知らぬ赤の他人、何処の誰かもわからない。
「顔はキレイ系なんだけどなー・・」
免許証の写真を見ながらほぅ、と小さなため息をつく。
「だったら戻って「つきあってください」とか言いに言っちゃう?冗談だけどさ?」
「笑えないわ、それ。」
何気無くバックミラーを見る仙太の視界に、ふと何かがよぎる。
「・・?」

気のせいだろうか。今明らかに何かが映ったような気がしたのだが。
「そうだ、伊勢原さんはどこで降りる?
俺はこのまま行くところがあるから途中まで送るけど?」
「あ、じゃあお願いするわ。『御味ノ丘』ってわかる?」
御味ノ丘といえば仙太の地元にほど近い。
そう時間もかからないと判断し「いいよ」と仙太。
「あたしさぁ、自分で言うのもなんだけど結構リアリストなのよ。
ファンタジーとかSFとか、そーゆう物ってちょっと頭の飛んでる人たちの
現実逃避なんだって思っていたの。でも実際は違うもんだね。
だってそうでしょう?時間が止まるなんて自分で体験しちゃったらリアルも何もないじゃない?」
目を輝かせているひなたとは対照的に、線太は何かざわめきを隠せない。
──なにかが、いる。

「・・伊勢原さん」
「は?」
やたら真剣な顔の仙太とそれを見て間の抜けた顔になるひなた。
バックミラーをひなたに向けた仙太が言い放つ。
「そのミラー覗いて何か見える?」
自分に見やすいように左手でミラーの角度を調整しながらひなたがぼやく。
「何が見えてるってのよ、もうこれ以上驚く事も無いと思うけど・・」
突然ひなたの右手を掴み、線太は時間を止める。その瞬間、
ひなたの目にも『何か』がバックミラーに映った気がした。
「・・何、今の。」
「わからない。」
ひなたにも見えたのだから仙太一人の勘違いではない。何か思いついたひなたが叫ぶ。
「連続で時間って止められるの?止まられるなら止めまくっちゃって」
「え?あ、あぁ・・」

30秒、また30秒。一件無駄に思えるこの瞬間と瞬間の間に『それ』が確かに動いている。
「ねぇ・・何かさ」
さっきの間抜面とは180度逆の顔に、今度は180逆の間抜面の仙太が「は?」となる。
「何かいるよね・・絶対」
ひなたの目はバックミラーから離れない。
「何かって・・今は時間を止めているんだけど・・?」
さっきよりも強くなる気配、押し寄せる胸騒ぎ。
仙太の中のエマージェンシーランプが全開になっていくのが自分でもわかった。

「ねぇ・・あれ、何?」
止まった時間の中でひなたが指をさす。
その先には黒い物体が一瞬、確かにほんの一瞬だけ見て取れた。
間違いない、この胸のざわめきの元凶だ。そう直感した仙太は車を停め、時間が再び動き出すのを
待つ。あと5秒。4秒、3秒、2秒・・
突如目の前に黒い『そいつ』が現れる。
しまった、無意識に目を細める仙太の視界に入ったのは『そいつ』の腕か何か。
「っくぅ!」
直撃は避けられない。ならばせめて防御──・・
おかしい。時間的にとっくに吹っ飛ばされてもいいはずだ。おそるおそる目を開くと、そこはいつもの光景だ。
人が歩いている。車が走っている。電線に鳥が止まっている。

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