投槍男(44停止目)

第三回短編大会投下作品

アトリエにて

「A公園の話、知ってる?」
「うん、いなくなっちゃうらしいね。
 ホラ、あの最近来ない人、朝倉さんだっけ? あそこに行ったきり帰ってこない
んだってさ……」

 窓から不透明な赤い闇が差す塾の一角、最近話題のニュースを茶化すように
語り合う二人。そして、
「バカらしいね」
 と、横槍をいれるのがわたし。
 それにしても全くバカらしい話。何が、恐怖A公園の神隠し! だ。そんなのは
稲川淳二に任せておけばいい話。怪談を語らうよりも、やるべきことがわたし達
にはあるのだ。
「もうすぐ受験でしょうが。真面目にやるよ」
「えー、だって私そんなに難しい大学受けないもん。だから勉強しなくても全然
おっけー!」
 とバカみたいに言い放つと、
「それよりも朝倉さんが……――キャー!」
 バカさ加減はうなぎ上り。全くうるさい。

 朝倉さんは私立大学に入ることが決まったから、ここに来る必要がなくなった
だけなのだ。
「とりあえず朝倉さんみたいに(大学生に)なりたかったら勉強しなさい」
 説明つきで説教すると、友達はぶー垂れながら、ノートに書き込む作業に
もどった。

 気がつくと夜9時を越えていて、窓からは薄暗い闇が差していた。わたし達は
自然に帰り支度を始め、誰もいなくなった塾を出た。
 帰り道では、英単語を反復確認しながら友達と会話を交わした。自転車を進める。
 やがて友達の一人と別れ、町の暗さや寒さが深くなって、人通りは少なくなる。
 そしてA公園に差し掛かった頃、いつもの別れ道でその友達はバイバイの代わり
に切り出した。
「あのさ」

「今日もこの公園を通るの?」
「ん、まあね」
「事件が起きてること知ってるでしょ?」
 気づくと、友達は凄く真剣だった。少しだけぎこちなくて、気まずい雰囲気。
「塾で言ってた話……結構本気だよ」
「大丈夫大丈夫。毎日ここ通ってるし、今まで何にもなかったんだからさ」
 わたしが明るく装って言うと、友達はため息をついた。
「どうしても通るっていうなら仕方ないけど――」
 友達は何やらもぞもぞして、
「後ろに気をつけなよ……」
 取り出した携帯のライトで自分の顔を煽った。下から。稲川淳二みたいに。
 バカ、と返そうとすると「――――きしし」友達のいやらしい笑い声にかき
消された。
「とりあえず朝倉さんみたいにならないようにね〜」
 そう言うと、友達は闇の向こうへと消えていった。
 全く、どこまで本気なのか分からんやつ。

 わたしがA公園を通るのは、塾と家を結ぶ最短ルートだから。
 照明器具が無いA公園は、日が暮れると異様に暗くなるので誰も近づかない。
 あからさまに気味が悪すぎて、不審者も近づかない。なんてタカをくくって、
わたしはA公園を自転車で横断する。
 今のわたしにとって一番大事なのは時間だ。こうして自転車をこいでいる間も、
他のライバル受験生達は勉強を進めている。
 だからA公園で事件が起ころうが、わたしはそこを通る。

 A公園で変なことなんて、今まで起こらなかった。
 人影どころか虫の鳴き声すらほとんどしないA公園。音が無くて耳がおかしく
なり、頭が詰まったように感じるのはいつものこと。でもやっぱり、中々慣れない。
 そんな中で物音がすると少しびっくりした。
 そして公園の中ごろで、急に外れたチェーンをわたしは信じられない思いで
見た。

 ふいに、がさがさと雑音がたって、頭の中がうるさくなった。
 わたしはすぐに自転車をかかえて、出口まで急いだ。雑音はわたしを煽る
ように、どんどん鳴り続ける。
 チェーンが外れた理由なんてどこにも見当たらない。今まで何ともなかった
のに、いきなりこんなことが起きるなんて反則だ。
 とにかく走る。考えると嫌な気分になるので、考えるのを止めた。
 やがて出口が見えてきて、わたしは歯を食いしばった。
 大丈夫だ。今まで通った公園なんだから。

 異常なくらい息が上がっていた。心臓も苦しくて、嫌な汗が下着にまとわり
ついて重い。最悪な気分。チェーンも直さなければいけない。
 ――でも、とにかく、わたしは公園を抜けた。友達の話は単なるガセネタ
だったのだ。そもそも行方不明の原因がこの公園だ、なんてどうやって分かる。
 当の本人は行方不明だというのに。
 雑音もすっかり止んでいる。いつも通りの静かな公園だ。
 友達に明日言ってやろう。それに後ろなんて何もない。ホラ。

 その瞬間、意識が飛んだ。
走馬灯が一気に流れ込んだ。断片的な光景が頭の中に続く。

 そして気がつくと、白い空間にいた。
 状況が分からず、しばらく無表情で立っていた。目の前には扉。
 わたしはその扉に向かうことにした。周りは見ない。何か感じても、それを
気にしないようにする。後ろなんて二度と振り返りたくない。
 とにかく進む。ドアノブに手をかけて、一気に扉の向こうへ――――。

 気がつくと白い空間にいた。
 意味が分からず立ちすくむ。目の前には扉がある。さっきと同じ状況。そして
同じ心境。
 とにかく全力で進む。出ることしか考えない。それと、声にならない声。
 ドアを全力でこじ開ける―――。

 何度繰り返しても、白い空間。5m先に扉。
 声も顔もひしゃげる。でもそんなのはいい。とにかく出たい。出して欲しい。
 無心にドアを。

 ――全て元通り。出していた声も、くちゃくちゃだった顔も。
 ドアに向かう。
 ひょっとすると、何かの間違いで助かるかもしれない。そんな希望的観測で
扉を開けても、戻される。
 それなら何も考えなければいい。無心。絶望的観測でも希望的観測でもなく
無心。ドアを開ける。そして巻き戻る時間。

――――――――――――――――――――――――――――――――

それにしても今回の素材はよく耐える。

 芸術を仕上げるのに必要なのは職人の腕だが、それを維持するために
定期的なメンテナンスと素材が必要だと考える。

「あ゛」

物事は放っておくと予期せぬ所へ向かい、それが芸術になるとことさら顕著だ。
 目を放さず、あるべき姿に留める必要がある。
 男にその意志がある以上、問題は度重なる修繕に耐えるだけの素材。

「あ゛」

 その点、この素材は何度手を加えようが壊れない。
 無論、その他の根本的な要素も申し分無い。今までで最高の素材だと男は
断言できた。

「あ゛」

歪みを直し、対象に語りかける。
虚空を見つめる対象に、もう少し手を加えてみる。丁寧に。この状態をずっと
思う。
 しかしそれは叶わずに、再び30秒が経つ。

「あ゛」

 機械的に時間を止める。少し息をついて修繕に取り掛かる。素材の体を抱え
上げて、元の位置に戻す。素材の崩れと表情をもどして、体勢を整える。
 対象の容姿と愚かしさに、もう一度溜息が出た。
 白いアトリエに佇む対象の姿に見とれる。
 そしてほころびを見せる対象の姿――。

「あ゛」

できればその姿は見たくない。そんな彼女の姿は痛ましい。
 だが男がこの対象に魅かれるのは、そんな姿の執念に魅力を感じている
からかもしれない。
 もし、素材が抵抗を見せなくなったら?
 自問するや否や「――あ゛」不快なノイズが響き、男はそれをかき消した。
「君の声は嫌いなんだ」
男は少女の時間をもぎとっていく。

     『/アトリエにて』

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