妄想男その25(42停止目)

■A世界の***

※リンク先のログ消失

「たとえば、そうね……過去に行って自分を殺すと、どうなると思う?」
 部屋にやってきた美しい女の人は、そう俺に聞いた。
「過去の自分は死ぬ。ならば殺しに行った現在の自分は存在しないことになる。矛盾するよな?」
「だから時間を戻ることはできない。そう言いたいの?」
「ああ」
「ふ、ふふふ……」
「なぜそこで笑う」
「いい? 世界は無限に存在するの。たとえば私が朝食にトーストを食べるかご飯とお味噌汁を食べるかで世界はまっ
たく異なるわけ。そうね、ADVゲームってやったことあるかしら? 選択肢が出てきて、話を読んでっていうあれ。
ちょうどあんな感じなの。選択肢は無限にあるのだけれどね」「ふーん……」「極端に言えば今あなたが鼻をほじるか
耳をほじるかでさえ世界が分岐するのよ。これがバタフライエフェクト。でもね、自分が存在する以外の分岐した先に
ある世界は知覚はできない。だから自然科学的には存在しないことになるわね。観測できないもの」「へぇ……」「で
、話を元に戻すわね。私は未来からやってきた。するとそのことでまた世界は分岐するわけ。つまり私が未来からやっ
てくるか来ないかで今の時間は分岐するのね。時間軸というのは単一ではない。木の枝みたいにどこまでも分かれてい
くの。だから自分殺しのパラドックスは矛盾しない。時間を戻るということも可能なの。私が元にいた世界、分岐した
世界も消えない。それは歴史という形で残るわけよ」「はぁ……」

「……ぜんぜん分からん」いきなり電波なことを言われる。俺はまったく理解できず、鼻をほじるのであった。
「バーカ」
「バカにバカと言われたくないなっ!」
「私は客観的事実を述べただけよ」そういって彼女は俺に何かを差し出す。「まあいいわ。お守りよ、持っておいて」
 手にとって見てみる。どう見ても交通安全と書いてあるお守りだった。
「車に乗る時は気をつけて。それはバックミラーにでもぶら下げておきなさい。お母さんを大切にしなさい。私のこと
は忘れて、幸せになるのよ」
「いや、今すぐ忘れたいんだが」
「ふふ……」少し笑って、彼女は悲しそうな表情をした。
「誰だか知らんが、俺の部屋から早く出て行け」
「うん……それじゃあ……帰るね」名前も知らない彼女は俺の目を見ながら、確かにこう言った。

「ばいばい、お父さん」

 話はいきなり飛んで数年後。
 俺は結婚した。
 その翌年、娘が生まれて家庭を持つことになった。
 名前は俺が付けたぜ。***。いい名前だろう?

 ある日のこと。
 有休をとり、妻と三歳になる娘を連れて家族でピクニックに行った日のことだ。
 少し遠くの動物園に行くことにした。
 中古だけど、マイカーでな。

 ドアを開けて、運転席に乗り込む。
「……」
「どうしたの?」俺の妻が聞いてくる。
「いや、なんでもないよ」
 俺は車に乗るたびに、バックミラーにぶら下げたお守りを見るのが癖になっていた。それと同時に思い出すのはあの
謎の女の子。
『車に乗る時は気をつけて。それはバックミラーにでもぶら下げておきなさい。お母さんを大切にしなさい。私のこと
は忘れて、幸せになるのよ』
 まぁ、誰かは知らんが俺の安全を願ってくれるなら悪い気はしない。
「シートベルトはちゃんと締めろよ。***はチャイルドシートに乗せて」
「はいはい」
 ブレーキを踏み、キーをひねる。
 さあ、出発だ。

 助手席に妻、後ろのチャイルドシートに娘を乗せていた。
「ライオン撮るの!」***にデジカメを持たせた。まだ三歳なのに使い方が分かるのだから将来が楽しみだ。
 さて、動物園まで車で一時間ほど。少し長い運転になる。

 海岸沿いの長いトンネルを走っていた。
 昨晩は遅くまでどこの動物園にしようかネットで色々回っていたからな。少し眠くなっていた。

 ふと、バックミラーにぶら下げたお守りに目が行く。
 ――いかんな、少し注意力が落ちていた。お守りさんサンクス。
 そしてトンネルを抜けた。
 その時だ。

 急に明るくなった景色に目が順応するのが少し遅れた。
 道路の真ん中に何かがいた。

 鹿――?

「うああああ!!」
 反射的にハンドルを切ってしまう。同時にブレーキを踏み込む。
 ガードレールに突っ込む車。
 そして車体は……海に投げ出される寸前で停止した。

「た、助かった……」
 車内を見渡してみる。
 気絶しているものの、何とか生きている妻。
 チャイルドシートに乗せていたから飛ばされずにすんだ***。わんわん泣いているけど。

 車を慎重にバックして、道路わきにいったん止める。
 ものすごい声量で泣いている娘を抱きしめて慰め、妻が起きるのを待った。

「生きてる……?」妻の第一声だった。
「あぁ、天国でも地獄でもないぞ」
「……家に帰ったら説教ですからね。とりあえず、どうしましょう?」
「うーん……なぁ***、動物園行きたいか?」
「……行く」
 さすがわが娘、たくましいな。

 再び車に乗り込む。いつもの癖でバックミラーを見るのだが、お守りがかかっていなかった。
「あれ? ……あ」
 なくなったわけではなかった。床に落ちているお守りを発見した。紐が切れ、中の紙が出てきてしまっていた。
「あーあ……破れちまったか」
 手にとる。
 名前も知らない変な女の子にもらった交通安全のお守り。
 何とか死ななかったのはこれのおかげだな。

「ん?」
 中の紙に手書きで何か書いてあった。
 多少かすれていたが、何とか読むことができた。

『幸せになってね 別の世界の***より』

「……?」

 数年後。
 ***は美しく成長した。父の俺が言うのもなんだが、20年前なら惚れていた。

 ***は頭の出来がやはりすばらしく、東京大学は理科一類、理学部物理学科に一発合格したのだった。
 さすがは三歳でデジカメを使いこなしただけあるな。
 たまに俺にも難しい理科の話を面白く説明してくれるのだった。

 そんな***にこの事件のことを話してみた。
「……」
 ***は俺の話を聞くと、しばらく沈黙した。考えているようだ。

「お父さんのところにその子が来なかった場合の未来。どうなると思う?」
「最悪、あの時に海に落ちて死んでいたかもな」
「そう。そのお守りのおかげで運転するときに注意することになる。ならばなぜ、その子はお父さんにお守りをあげたのか?」
「未来から来たとか言っていたな」
「もう少し詳しく」
「えーっと……覚えているのは、『車に乗る時は気をつけて。それはバックミラーにでもぶら下げておきなさい。お母さんを大切にしなさい。私のことは忘れて、幸せになるのよ』かな」
「あとは?」
「分かれるときに変なことを言っていたかな」
「なんて?」
「『お父さん』って」
「……なるほどね」

「これから話すことは仮説だよ」
「確かめる術がないわけか」
「うん……たぶんその子はね、私だよ」
「……は?」
「だから、お父さんにお守りをあげたのは私。どう? 私はその子に似ていない?」
「なんとなく似ているかもと思っていたけど……待て、それじゃ何で同じ名前がお守りに?」
「お父さん、私の名前ってどうやって決めたんだっけ?」
「俺が小学校の時から女の子なら***にしようと思ってたわっ! ……ってなるほどね。たとえどうなっても俺は同じ名前をつけるわけか」
 まさか、あのときの女の子が自分の娘だとは。

「その子はね、多分お父さんとお母さんが事故で死んでしまった世界から来たの」
「……待て、意味が分からん。なんだその世界は」
「理論的な説明は後でするわ。お父さんとお母さんが事故で死んでしまった世界。仮にA世界としましょう。今の私たちがいる世界をBとする……こんな感じかな?」
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「待て、何ゆえ世界が二つに分かれるんだ?」
「多分、これのおかげでしょう」
 そういって娘はお守りを指差す。

「そうね、ストーリーはこんな感じかな。A世界ではお父さんとお母さんを事故で亡くしてしまって私は深い悲しみに落ちるの。そして憑かれたように研究に打ち込む。その過程で過去に戻る方法を発見する。」
「そして、過去を訂正してお父さんとお母さんに感動の再会ってわけか」
「違うよ。分岐しちゃうの」
「分岐?」
「お父さんとお母さんが死んでしまったA世界はなくならないの。たぶんその子は今でもA世界、つまりお父さんとお母さんのいない世界にいるはずだよ。お父さんとお母さんが助かる世界が存在してほしくて、その子はお父さんにお守りをあげたんだと思う」
「……」

「時間軸は一本じゃなくてもいい、つまり分岐しててもいいとする。その場合、たとえばそうね……過去に行って自分を殺すと、どうなると思う?」
「……まったく同じ質問を、お守りをもらったときにされたよ。俺は矛盾すると答えた」
「うん、私だって普通はそう考える。でもそれは時間軸が一本だと限った場合。……分岐するのよ。その時自分を殺す自分が来るかどうかで。それならば、たとえ殺されたとしても矛盾はしない」
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「なるほどね。って、それだと、あの子は……」
「きっとA世界で、私たちの無事を祈ってると思う」
「……」

 お守りをくれた***が言っていたことを思い出していた。

『車に乗る時は気をつけて。それはバックミラーにでもぶら下げておきなさい』
 ありがとう、おかげで助かった。

『お母さんを大切にしなさい』
 これは俺の母さんのことじゃなくて、俺の嫁のことだったのか。
 ああ、この歳になっても毎晩大切にしてるぜ。

『私のことは忘れて、幸せになるのよ』
 すまない、この約束だけは守れない。
 俺はお前の父親なんだぜ?
 子供を忘れる親がどこにいるって言うんだ。

 俺はぼろぼろのお守りを見て泣いてしまった。
 ありがとう、向こうのわが子よ。
 こちらからお前の幸せを祈っている。


■A世界の*** / 完

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