妄想男その22(41停止目)

狂い男

 

 そして静まりかえった教室の中、俺は後ろの女子生徒に話しかけていた。
「この教室もだいぶ寂しくなったなぁ」
「そうね……って私達しかいないわよ」
「……テンションの低いノリツッコミだな、おい」
「……低くもなるわよ」
「まぁ……な」

 俺の友達が3人近く死んだ。全員殺された。
 俺の後ろにいるこのお嬢様っぽい女の子。こいつの友達も何人か死んだ。殺
されたのかどうか分からないのが多数。遺体が出てきたのは何割かだった。
 俺達の学年をねらって殺人鬼が現れていた。死者はすでにこの二日で30人以上。
 学校は閉鎖された。事件解決まで無期限の閉鎖。
 街は落ち着かない雰囲気に包まれている。
 ■狂い男 一話


 今朝。
 いつもどおり、俺は学校に来てしまっていた。
 今日から学校は閉鎖だというのに何をしているんだ、俺。
 静まり返った校舎を校門からぼけーっと見ていた。

 ため息をつきながらふと、自分の教室を見てみると誰かがいた。
 ふと、目が合う。
 今日から閉鎖だというのに俺以外にも来てしまった間抜けがいるらしい。
 笑ってやろうと思って校舎に侵入することにした。

 アンニュイーな顔をして、そいつは午前九時の太陽をまぶしそうに見ていた。
「よう、今日から学校閉鎖なのに何やってんだ?」
「……それ、自分に聞いてみた?」
「いや、まだ聞いてねぇな」
「……ばーか」
 このいかにもお嬢様な雰囲気をかもし出すこのお方は平野さん。話しかけやす
いので暇つぶしにはもってこいの人だ。

「で、俺はいつもどおり学校にやってきたところ途中で学校が閉鎖されていたことを
思い出してね。まぁついでだから教室に間違ってやってきた誰かさんがいたら笑って
やろうかと、指差して爆笑してやろうかと思って来てみたところなんだがな。平野さん
はどうなんだい?」
「いや、聞いてないけど……まぁ、そんな感じよ。大体は」
「そうか」
 自然と会話がそこで切れた。
 しばらく、沈黙が続く。
 俺は死んでしまった友人達の席をぼーっと見ていた。
 平野さんはまだ太陽を見上げている。

「なぁ」ちょっと気障な台詞でもかましてみることにした。「俺しかいなし、別に気にせず
泣いてもいいんだぞ?」
「うるさいわね」と平野さん。「あと少しで乾きそうだったのに……アンタのせいよ」
 平野さんは俺に顔を向ける。涙がぽたぽたと彼女の机に落ちた。

「みんな、みんないなくなっちゃった……」平野さんは呟く。「まだ思い出も作っていない
のに、なんで私達だけ……なんで……」机に突っ伏して、しゃっくりを抑えて、彼女は泣く。
「麻衣子がね……来週は街に遊びに行こうって……、服でも買いに行こうって誘って……
くれてたの。ひとみも……付いていくって。みんなでクレープでも食べようって……。里美が
ね、来週の試験危ないから……一緒に勉強しようって。私は歴史ダメだからあんた任せた、
私は数学を教えてやるー……って。でももう誰もいないの。みんないなくなっちゃった……」
「……」
「私達何もしてないじゃない……何も……」
「……」
「……」
「……」
「……ちょっと」
「あん?」
「……アンタね……なんか気の利いた言葉でもかけてくれないの?」
「いやー、ここは黙って聞くところかなぁ、と」
「……はぁ」
「なんだその“期待はずれよ、はぁ”みたいなため息は」
「そのとおりよ」
「そうか……ん? なんだ痛っ」ピシッとでこピンを額に食らった。
 それから少しの間、彼女と話をした。

 時計の針が10時を示していた。
「さて……帰るかな。アンタは?」
「ふむ。そろそろ帰ろうかと思ってたところだ」
「そう」立ち上がる平野さん。「エスコートぐらいできるでしょ?」
「かしこまりましたお嬢様」俺も立ち上がり、うやうやしく礼をした。

*
*  そして散歩から家に帰ってきた男は呟く。
* 「さーて、次は誰を殺そうかな? 犯そうかな?」
*  静まり返ったリビングに目もくれず、自室へと向かうその男。
*
*  部屋の4つの鍵をひとつひとつ開けていく男。最後の一つをあけ、ノブをひねる。
* 「ただいま、みんな」
*  その男の暗い部屋には、人がたくさん転がっていた。
*  縛られた者。
*  轡をされた者。
*  暴行を受けた者。
*  ……すでに息がない者。
*
* 「いい子にしてた? 麻衣子さん?」
*  上半身を裸に剥いたその女子生徒の名前を呼ぶ男。
*  麻衣子と呼ばれたその女子は答えられない。ただただ恐怖におののくのみ。彼女の
* 全身に刻まれた痣が、男に何を受けたのか物語っている。
* 「それじゃ……口でしてくれないか? 死にたくなかったらさ」
* 「は……い」
*  かすれた声で、麻衣子と呼ばれた女子は答えた。
*

 □狂い男 一話 終わり

 

 JRの駅に隣接した割と大きなショッピングセンター。
 そういえば俺、朝飯食ってねぇなと思いながらイートインを見ていた。
「お嬢様、おなかがすきました」
「……なんで私に言うのよ?」
「いや、つまりね、財布忘れた」
「……で?」
「奢ってくれ、頼む」
「イヤ……だけどここで借りを作っておくのもいいかしらね」
「よーし、それじゃハッピーセット!」
「アンタ……馬鹿?」
 冷たい視線を投げつける平野さんだったが、俺はかまわずドナルドに突撃した。


 ■狂い男 二話


 俺は付いてきた車のおもちゃを弄りながら、ポテトを貪り食っていた。
「……おいしい?」
「ふぐふぐ、ふまい。ほれだけではらいっぱいにふるのがおれのうめ」
「……安い夢だわ。はい、あげる」
「いらんのか?」
「太るからね」
「はんひゅー」
「その代わりにホットケーキはもらってあげる」
「お、お慈悲!」冷酷なる平野さんは俺のメインディッシュを奪っていく。「ひ、
ひどい女畜生だ! 鬼! アバズレ!」
「アンタね……女の子に向かってなんて口利いてんのよ……あーはいはい、泣かな
いの、気持ち悪いから。ほら、一枚あげるってば」
 フォークに突き刺したそいつを俺に向ける平野さん。こ、これは……伝説のあーん
シチュエーションって奴かね。ならば、俺も全力で答えねばなるまい!
「あぁーーーん」ものっすごい全力であごの間接を全開放した。
「……やっぱり気持ち悪いから自分で食べて」
「お、おま、俺のあーんバージンを返せ! トラウマになったわ!」
「うるさいわね」
「ふご」
 次の瞬間、がぽっとホットケーキ一枚が俺の口に詰め込まれていた。


「レイプだ……口レイプだ……」
「うるさいわね」

 氷が解けて薄まってきたオレンジジュースをちゅるちゅる飲みながら、俺はぼけっと
人通りの少なくなった景色を眺めていた。
「犯人、誰なのかしら?」
「……さぁ」
 俺達の学年だけが執拗に狙われていることから、犯人はやはり俺達の学年、ということは
想像に容易い。
 しかし、証拠が何一つ現場に残されていないと聞く。そんなこと出来る奴がいるのか?
単独犯なのかどうかさえ分からないみたいだし。
 街には非常線が張られ、マスコミが押し寄せ、自警団らしきものも組織された。しかし依然
として犯人の足取りは何一つつかめていない。“狂い男”という通り名だけがいつの間にか出
来上がっていた。

「いつになったら捕まるのかしらね……」
「俺はさ、こういう非日常に少し憧れていたんだよな」
「不謹慎ね。今でもそう思う?」
「いや、知っている誰かがいなくなるのは本当に悲しい。犯人に対してものすごく腹が立つ。
それ以上に、そんなことが起こって欲しいと少しでも思っていた俺が一番むかつくな」
「そう」平野さんも薄くなってきたコーヒーを飲みながら「よかった」そう呟いた。

 人通りの少なくなった駅通りを眺めながら、しばらくぼけっとしていた。

 俺達はドナルドに別れを告げた。太陽はまだ南中しきっていない。

 通りに出る。まずは平野さんを送ることにした。
「私の家知ってたっけ?」
「ストーキングしたときに覚えた」
「……嘘でしょ?」
「さあてね?」
「真顔で冗談言わないでくれる? ……心臓に悪いから」
「ドキッとしたって事か? ときめいたのか?」
「うるさいわね」
 平野さんは俺に顔を見せず、さっさと歩き出してしまった。

 平野邸に向かう途中、何台もパトカーが止まっていた。
 降りてきた警察官に何度か話しかけられる。――高校の生徒だな。危ない
んだから、家にいなさいと怒られた。パトカーで送ってくれるらしかったが、
すぐそこなんでと断った。

「ちっ、せっかくのデートなのに」
「これ、デートだったの?」
「いや、少なくとも俺はそのつもりだったけど。ちょっと楽しかったから」
「だからね、真顔でそういうこと言わないでちょうだい」
「あれ? 俺だけ?」
「……」
 返答はなかった。
 俺はデートと散歩の境目ってなんだろうなと思いながら平野さんとしばらく
歩いた。

 平野邸に着く。邸とつけるのが正しいくらい、でかい屋敷である。うちの3倍
は豪華だ。なんせでかい門がある。
「それじゃ、また明日」
「おぅ」
「ありがとね」
「うむ」
 そういうと平野さんは門の勝手口に入っていった。
 さて、俺も帰るか。

 くるっと方向転換したところに見知った顔がいた。
「あれ? そこにいるのは同じクラスの矢田君?」
「……ブツブツ」
 まるで俺に気がつかなかったかのように、矢田(やだ)君は何か呟きながら歩いていた。
「危ないからさっさと帰れよー」
「……ブツブツ」
 いや、あれは矢田君自身がなんか危ないな。もともと神経質そうだったし。

 それにしても矢田君の家ってあっちのほうだったのか。
 ちょっと趣味のストーキングでもしてみるかね。
「男をストーキングしてどうする、俺」
 はっ、客観的に見てみると俺もなんか呟きながら歩く危ない人じゃないか。
 いかんな、クールマンで通ってるナイスガイなはずなのに。
 ……まぁ、今度こそとりあえず帰るか。

 家に帰っても俺は、やはりぼんやりとしていた。
「やることねぇなぁ」
 とりあえず今日のことを思い出してニヤニヤすることにした。

『それじゃ、また明日』

(あれはどういう意味だ?)
 ベッドに寝転がり、腕を組んでぬーんとうなってみた。
(要するに明日学校に行けばまた平野さんがいるフラグが立ったのかね?)
 んな馬鹿な。
(いや、でもありえるな)
 んなわけないって。
(平野さんのことが好きなんだろ?)
 いや、まぁね。
(チャンスじゃないっすか)
 そうだね。ところでお前誰だ?
(お前だよ)
 お前?って事は俺か?
(そうだ、俺だ)
 なぜ俺は俺と話しているんだ?
(眠たいからさ)
 なるほど、俺はまどろんでいるわけだ。
(そうだね)
 それじゃ眠たいから寝るわ。
(おいおい、話はまだ始まったばかりじゃねぇか)
 ぐー。

 と、アホなことを考えていたら、いつの間にか寝ていたようだ。
 夜2時に一度目がさめた。のどが渇いたので水を飲んだ。
 目覚ましは7時にかけておこう。
 明日も平野さんに会えますように。
 そしてまた布団に入って寝た。
 ぐー。

*
*  男は名簿をパラパラとめくっていた。
* 「誰にしようかなぁ」男は出来のいい果物を選ぶかのように人を選んでいた。
*
*  男のベッドの上では少女が二人、お互いを犯しあっていた。
* 「ちゃんと指、いれろよ」
* 「あ……やぁ」「……」
*  互いに秘部を愛撫しあう少女二人。赤く染まった頬と背中の青い
* 痣が対照的でキレイだなと男は思った。
*
* 「次はまた自分のクラスにしようかなぁ……」
*  自分のクラスの名簿を手に取った男。指で名前欄を押さえていく。
* 「相田さん、楠さん、菊池さん……んー、微妙だなぁ」
*  自分の欲望のままに選り好みする男。
* 「おい、もう少し激しくしてくれないと、死ぬよ?」
* 「は、はぃ……」「や……んん……」
*  二人の少女にダメだし。他の女の子達は見ているしかない。
*
* 「んー、最後にとって置きたかったけどなぁ……平野さんかなぁ」
*  男の指先が“平野 美咲”で止まる。
*  麻衣子と呼ばれた女子がピクリと反応した。
*
* 「まぁ、そうしたら君達はもういらないか」
*  次の瞬間、男の体が少しぶれる。
*  そして一人の少女が急に首をおかしな方向に曲げ、倒れた。
*
* 「あー、叫ぶなよ。うるさいと……殺すぞ」
*  狂気が部屋を支配する。
*

□狂い男 二話 終わり

 

*
* 「さて、少し出かけてくるからな。おとなしくしてろよ、お前ら」
*  ほぼ裸にされた女子達に向けて、男は言う。
* 「逃げるなよ? 逃げたら他の奴が死んじゃうぞ? ははは」
*  入り口の近くで寝ていた女の子を、男は邪魔くさそうに蹴りつける。
*  部屋を出て、鍵をかける。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。かちゃり。
*
* 「いい朝だねぇ。七時前か」
*  男はリビングに下りてくるとそう呟く。転がっている女性の死体を気にも留めない。
* 「さて、どうやって平野さんを持ってこようかなぁ」
*  1:おびきよせる
*  2:家に侵入して家族皆殺しの後誘拐
*  3:眠らせて車で運ぶ
* 「とりあえず、平野さんの家に張り付くかなぁ。ふひひ」
*


■狂い男 三話


 時計を見たらもう8時を回っていた。
 おかしい、目覚ましが鳴った記憶がない。
 まぁ、よくあるよね。

 全力全速で着替える。急いで学校へ行こう。もしかしたら平野さんがいるかもしれないし。
 おっといかんな、財布を忘れるところであった。今日の昼飯は奢ってやらねば。
 どこがいいかなと考えながら学校に向かった。

 学校の前に車が何台か停まっていた。いかんな、マスコミか。インタビューされてもいい
が、俺には時間がないんでな。
 さて、どこから学校に潜入しようかね。4つほど覚えているルートから適切そうなものを
選択する。

 俺は野球グラウンドの破れたフェンスから侵入、体育館裏の地下倉庫へと続く
重たい扉を開けて中に入る。明かりをつけ中に入るとかび臭いにおい。んん、いい
スメルだね。ちなみにここの鍵が壊れていることはこの学校じゃ結構有名である。
地下倉庫から体育館へ出る。点けた電気はしっかりと消しましょう。かちりと。
さて、後は教室へ向かうだけだな。てくてくと人のいない校内を歩く。軽くメタル
ギアごっこだなこりゃ。外の記者達に見つからないように下駄箱の隙間を縫って進む。
足音が響くのが心臓に悪いね。

 こちらすねいく。教室前まで来た。これから扉を開ける。ガラッと。
「おはよう」
 返事はなかった。
 誰もいねぇや。

 俺の席に座ってみる。外の記者達も、もういなくなっていた。
「ふーむ」
 フラグたてミスったかなぁ。
 誰も座っていない平野さんの机を見ながら、俺はそう考えていた。
「……」
 ――そのとき俺は決してやましい気持ちでそういったことをしたわけじゃない。
その選択はそのとき最良の選択だったと後で分かったし、そうするべきだったのだろう。
いや、けっして淡い恋心から生まれる下心ではないですよ? 多分。

 俺は 平野さんの 椅子に 座った。

「……ほ、ほぉ」
 ここに平野さんのお尻が触れていたわけだ。擦れていたわけだ。ふむふむ。
 なんか背徳的なものを感じつつ、俺は妙にどきどきしていた。
 次の瞬間、机のにおいを嗅いでいた。やべぇ、ただの机なのになんか甘いにおいが
するような気が……あああん!
 はふはふと妙に興奮しながら、欲望の赴くままに机の中に手を突っ込んだ。
 背徳の極みだね。女の子の大切な部分を弄り回しているようだ。
 そのときかさりと、空なはずの机の中に紙くずが一枚。いや、紙くずにしては妙に
大きいような……。
 取り出してみた。

 『 変 態 』

「ぐはっ……」
 効いた、こいつは効いた。もう俺、立ち直れない。さすがは平野さん、俺がこうする
ことなんてお見通しなわけだ……。
 罪悪感にやられ、俺は全身から力が抜け切っていた。すまん、平野さん。俺が悪かった。
 ぺらっと、紙切れが床に落ちてしまった。いかん、拾わねば……。そして元に戻して
何事もなかったかのように――

 次の瞬間、背筋に電撃が走る。
 その紙の……その紙の裏には

 『助けて 011-21xx-xxxx hirano_misaki@…』

 おそらく仕掛けはこうだ。
 平野さんは自分が狙われたときのために、昨日この紙を机に入れておいた。
 今日学校に来ることができれば紙は自分で回収、もしくはまた入れておく。そして俺と遊んで帰る。
 もし学校に平野さんが来れなければ、俺がこの紙を発見することになる。
 なかなか考えたな。
 ――関心してる場合じゃない。
 事態は確実にやばいことになっている。

 紙に書かれているのは自宅の番号とメールアドレスのようだった。

 まず電話。平野さんが寝坊して家にいることを願う。
 「もしもし、平野さんのお宅ですか? どうもこんにちわ、平野さんと同じクラスの
常木と申します。あの、失礼ですけど平野美咲さんはご在宅でしょうか……あ、学校へ
行った……そうですか、わかりました。いえ、すいません。それでは、失礼しました」
 いない、やはり平野さんは家にいない。
 ヤバイ、これはヤバイ。
 すぐに判断しなければならない。
 警察に通報? もう手一杯で動けないだろう。
 自警団? マスコミ? 全部同じだ。
 ならば、俺が動かなければならない。
 昨日の借りだってまだ返してないんだから。

 とにかく走る。走る、走る。
 どこに向かっているんだ俺は。
 何も考えられない。
 手がかりさえ何もない。
 準備しなければ。
 何の?
 何をしなければならないんだ、俺は?
 わからない、誰か、ヒントをくれ。
 ヒント? そうだ、聞けばいいんだ。

 先ほどの紙を取り出す。
 メールアドレス。
 ならば、聞こう。
 聞ける状態にあることを祈る。

 指先がもどかしい。
 アドレスを打ち込んで送る。
 本文なんて空のままでいい。
 早く、速く、はやく……送信。
 その間も俺は走る続ける。
 とりあえず、平野さんの家へ。

 俺の携帯が振動した。
 ボタンを連打。
 受信メール。

 Re:
 「じかんとめるやだ」

 極限状態から発せられるメッセージというのは大抵難解な物のようだ。

「じかんとめるやだ」

 走り続けながらも思考はフル回転してる。
「時間とめる やだ」
 だろうけど、これは何だ?
 嫌なのか、それほど時間をとめるのが嫌なのか。
 ……考えろ。
 普通、こういう場合は現在地とか、犯人の名前が送られてくるはずだ。
 待てよ、犯人の名前?
 閃いた。

 やだ −> 矢田

 つまり、こういうことだ。
「時間止める 矢田」
 時間止めるの意味わからんが。
 犯人に矢田君が関係している可能性大である。

 OK、矢田君。
 君の家は……確かそっちのほうだったな!

*
* 「なんだよ、これ」
* 「あ……」
*  矢田は平野の持っていた携帯電話を奪った。血の気が引く平野。
* 矢田の顔が豹変する。
* 「なんだよ……何してんだよおまえっ!!」
* 「いっ! あんたこそ、何すんのよ!」
*  ぴしゃりと、矢田の頬を打ち返す平野。
* 「……ほぅ、この僕に手を上げるか!」
* 「美咲ちゃん……だ、だめ……」そう言って止めに入るのは麻衣子。
* だが、遅かった。次の瞬間にはうずくまる平野。
*
* 「あっ……かはっ、かは」
* 「ふーん、なかなかいいおっぱいだねぇ。みぞおちを殴られるのは
* 初めてかな?」
* 「げほっ、げほっ」
*  苦しそうに咳をする平野。
* 「さて、お楽しみはこれからだ。死にたくなければ僕を喜ばせろよ」
*

□狂い男 三話 終わり

 

■狂い男 最終話

 昨日矢田君が歩いていった方を探す。
 町内の看板を見つけた。苗字と家のおおまかな位置が描いてある。
 矢田君の家は……少し周りから離れているな。
 割と最近分譲された地区のようだ。

 全力で走る。
 矢田君の家が見えてきた。
 俺は日々のストーキングで培った能力をフルに使い、矢田君の家に近づいていく。
 ほぅ、平野邸ほどではないにしろ結構でかい。なんせ三階建てだ。

「こちらすねいく、目標に接近した」
 そこで違和感を感じる。
 なんだ、この臭い?
 残飯のような、なんか生理的に嫌悪感を催す酸っぱいにおい。
 めちゃくちゃ怪しいじゃないか。

 さて、どうやって侵入しようか。
 見たところ窓は全てカーテンが締め切ってある。
 とりあえず、基本だよな。作戦コード1。
「お邪魔します」
 正面玄関から堂々と、かつコソコソと入ろう。
 一縷の望みにかけて、静かにドアノブをひねる。

「ふ……無用心だぜ、矢田君よ」
 開いた。

 家の中は異常な光景だった。
 捨てられたように転がっている女子生徒の体、体、体。
「……」
 見るまでもない、死んでいる。
「矢田……やはりお前なのか」

 しかし、どうしてこんなことが出来る?
 時間を止める? 確かにそれならここまで可能だろうな。
 ならば矢田は時間を止める可能性が高い。
 この状況を見ればそれを信じるしかないな。
 さて、俺はそれにどうやって勝ったらいい?

 冷静になれ。
 考えろ。
 どうやって矢田を仕留めるか。

 俺がまだ死んでいないということは、時間を止める矢田には気づかれていないということ。
 そして俺は矢田の情報を知りえている。
 この2つが大きなアドバンテージになる。

 勝負は一瞬で決まる。
 矢田が俺に気付く前に……。

 ならば確実な一撃が欲しい。
 不意打ちで、急所を付き、屠る。

 台所へ。
 先のとがった包丁を選んで持った。
 予備にもう一本、果物ナイフをポケットに。

 足音を完全に殺して三階へ。
 扉が少し開いている部屋があった。
 そこには……。

(うっ……)

 そこは完全に狂気の世界。
 目が、耳が、鼻が、その情報を取り入れることを拒絶している。

 腐臭がひと際濃く、薄暗いその部屋の中。

 女の子が死体となっていくつか倒れていた。
 服はつけていない、もしくは中途半端に身に着けている。
 首が変な方向に曲がって、目がだらしなく開いたままで。手足は投げ出したままで壊れた人形のよう。
 体に残る暴行を受けた後が生々しい。

 生きている女の子もいた。
 やはり衣服を剥ぎ取られているのが多い。
 そして、全身に刻まれた痛々しい痣や、やけどのあと。
 ある子はひどい顔つきになっている。顔があんなになるまで殴られた人間を、俺は始めて見た。
 ある子は犬用の水のみに入った液体を一心不乱に飲んでいる。犬のように。
 ある子はだらしなく股を広げられ、そしてそこに……あれはペットボトルか?
 ある子は薬をキメられたようにぼんやりと口をあけて俯いている。唾液があごから伝っている。
 ある子は自分のアソコを一心不乱に弄っている。それを見せ付けている先に……

 この世界の王がいた。
 矢田だ。
 そしてその矢田の股の間にひざまずいている子……――――――!!!

 ぶわっと全身の毛が逆立つ。
 その、矢田のアレを口にしてるのは……平野さん、だったから。

 殺す。
 一秒でも早く地上から抹殺する。

 どうしたらいい、どうすべきだ。
 思考がクールになってくる。
 妙に落ち着くいてくる。
 矢田を殺すことだけを考える。
 頭脳はフル回転する。

 すぐにでも助け出したい。
 しかしそれは激情に駆られてのミステイク。
 この状況では扉一枚ある分、向こうが有利だ。

 不意打ちに最適な箇所はどこか。
 今まで見てきた中で死角となる部分はあったか?
 6箇所。
 その中から不意打ちに最適な箇所はどこだ?
 2箇所。
 玄関と、今俺がいるこの場所。矢田の部屋の入り口の影になる部分。
 後者のほうがチャンスはある。

 次。
 包丁を突き立てるなら胸か?頭か?
 胸には肋骨、頭には頭蓋骨がある。
 確実性があるとは思えない。
 ならば……首。
 一撃で、首にステンレスの刃をぶち込む。

 チャンスは一度、矢田が部屋から出てきたその瞬間。
 俺は息を潜めて待つ。

 ――部屋の中の声が聞こえてくる。

「ちゃんと咥えろよ」
「やっ……め……んん!!」
「歯立てるな、舌使えよ」
「んー!!」

「次はそっちに寝転がれ……とまれ」
「いや……あ、あれ?」
「ほら、いくぞ」
「や、やだ、ああ、――い、いたい! いたいい!!」
「はいるじゃん。ん? なんだ? お前処女だったのか」
「いっ……や、やだ……助けて、誰か助けて……」
「誰も来ないよ。誰も僕が犯人だなんてわかりはしない」
「常木くん……」
「ああ、あいつが来るかもしれないなぁ、なんせお前がメールなんて
送りやがったからなあ!!!」
「や、やああああああ!!!」
「狭い、もう少し力抜け」
「助けて、助けて、助けて、助けて、助けて……」
「誰も僕に勝てるはずがない」
「いやだ、いやだっ!」
「とまれ。逃げる女も好きなんだけど、俺、時間止めるから無意味だね」
「くっ、ああああああ!!!」
「へえ、いい声だね。それじゃ、気持ちよくなるからさ、ほら」
「痛いの! やめてよ! あ、あんた何してるかわかってるの!」
「気丈だね。普通は痛くて声も上げられなくなるのに」
「くっ、つっ……!」
「……なんだよ、声上げろよ」
「……」
「つまんない。つまんない、つまんない。つまんない、つまんない、つまんないぃ!!」
「いっ……ん……っ……」

………
……

「くそ……黙り込みやがって。しばらくおとなしくしてろよ、逃げたら
代わりに友達が死ぬぞ。それと平野、あとでまた犯してやるからな。常木を殺した
後でね。いや、常木の目の前で犯してやるのもいいかな、ふひひひひははは!!!」

 ――39回だ。お前は39回、俺に殺意を抱かせた。
 よってお前は39度死ぬべきだ、否、殺す。
 全身の細胞が奴を殺せと訴えてくる。

 かみ締めすぎた唇から血が滴ってフローリングの床に落ちた。
 口の中に広がる鉄の味が俺の思考を落ち着ける。
 失敗はしない。
 絶対に、殺す。

 ――かちゃり。

 スローモーションで世界が動き始めたようだった。
 扉の死角に潜んだ俺には、部屋から出てきた矢田の右足が幾分かゆっくり見えた。
 矢田が鍵をかけようと扉のほうに振り向く。
 その瞬間を、どれほど待ち焦がれていたか……!

 俺は包丁を可能な限り早く、矢田の首に突き刺す!
 出来るだけ垂直に、出来るだけ深く!!
 最短コースで、無駄なく!!!
 一撃で、仕留めてみせる!!!!

 「   !!!!!」
 「ひっがぁ! と、ととまま、とま、とごぷっ――と、とまれ!!!」
 がッッ――!!!
 確かな手ごたえがあった! 包丁は突き刺さった!
 しかし次の瞬間、俺のわき腹にその包丁が深々と突き刺さって――

 俺はわき腹に包丁を立てたまま、矢田は首から血を噴出しながら廊下に倒れこんだ。
 なるほど、確かにコイツは時間を止めやがった。
 しかし、なぜだ?
 俺を仕留めそこなったのに、矢田はこれ以上追撃してこない。
「とひゅーれ、こぽほー、ひひゅー、ぽあえ」
 矢田は俺が切り裂いた喉から空気と血液を漏らしている。何か唱えたそうにしているが
上手く聞き取れない。

 いかん、俺の意識が飛びそうになっている。
 痛みがこれほど意識を持っていくものだということは始めて知った。
 俺は気絶する前にもう一撃加えるべく、執念で果物ナイフに手を伸ばす。

「ぐぽ、がぽお、ひゅー」
 矢田は首から血と一緒に声を出している。恨みに満ちた三白眼を俺に向ける。まるで
気味の悪いクリーチャーだ。
 いつの間にか俺に這いずり寄ってきた矢田は、俺のわき腹の包丁の柄を手に取る。
「あ、ぐあああああ!!!」
「ひぷう、ぷげええ」
 内臓をぐちゃぐちゃにかき混ぜられるような痛み。
 くそっ、もう限界だ、意識が飛ぶ。
 ああ、平野、
 すまん、お前を守れ――
                ――再びかちゃりと、しかしそれは奇跡の音だった。――
 ――部屋のドアが開いた。
 突然出てきたそいつは、矢田を思い切り蹴飛ばす!
 血がだららっとその転がった跡をつけていく。
 ああ、そういえば部屋の鍵、まだ矢田はかけてなかったなとぼんやり思った。

「常木君! 生きてる!? 大丈夫!?」
 俺は返答代わりに、そいつに予備で持ってきていた果物ナイフを差し出す。
 が、そいつは受け取らなかった。
「あいつは殺されて当然のことをした。苦しんで死なせるの」
 冷酷な奴だな。なんて女畜生だ。鬼だ。アバズレだ。
 そしてそこで意識がとんだ。

*
*  俺は世界に馴染めなかった。
*  世界は俺を拒絶した。
*  俺は迫害され、小さくうずくまっていた。
*  そんな俺に対して世界はさらに俺を痛めつけようとしてきた。
*
*  やがて俺は狂ってしまった。
*  俺が悪いのか世界が悪いのか分からなかった。ぐるぐるした。
*  そんな俺に奇跡が降りてきた。
*
*  ある日時間が止まった。
*  簡単だった。「とまれ」と言えば止まった。
*  ほんの30秒しか止まらなかったけど、俺には十分だった。
*  俺は世界に復讐することにした。
*  そのために与えられた力だと思った。
*
*  男は殺し、女は犯してから殺した。
*  全部簡単だった。
*  痛めつけて男を殺すのも面白かったし、嫌がる女を犯すのがこれほど
* 楽しいとは思わなかった。蹂躙し奪いつくす快感がたまらない。
*  そして俺は恐怖でこの世界を支配しだした。
*  そんな俺につけられた名が狂い男。なるほど、俺にふさわしい名だ。
*
*  俺は今、死ぬらしい。
*  なんだよ、常木め。喉を刺されちゃ上手く声が出せない。時間も止められねぇよ。
*  馴れ馴れしくて、でも世渡り上手で、こんな俺にも優しくしてくれる一番殺したい
* 奴だったから最後までとっておいたのに。最初に殺せばよかった。
*  肺に血がたまってきたようだ。苦しい。
/  あーあ、やってらんねぇ。
+  やって――らんねぇ。
'  せめて――世界を  呪ったまま――死んでや  ――ろ
;
.
.
  苦しい
  助けて
  誰か

 俺の意識がない間に、なんだかずいぶんと処置がなされていた。
 包丁が抜かれて、ガーゼやら包帯やらでわき腹がぐるぐる巻きにされて、ソファーに転がされ
ていた。包帯がきつく巻かれているようで少し呼吸が苦しい。
「気が付いた?」正面のソファーにいたのは平野さんだった。「もう少しで救急車が来るわよ」
「あ――」喋ろうとして激痛が走る。ものすごく傷口に響いた。
「ほら、無理しないの、寝てなさい」
 困った、喋れない。
 感謝の意を彼女に示したいのだがどうしたものかね。

 俺はゆっくりとポケットの中に手を突っ込み、携帯電話を取り出した。
 新規メール。送り先はそこの人。
 本文、「ありがとう」と。送信。

 平野さんのポケットから振動音が聞こえた。
 携帯を取り出し、画面を見た彼女。
 ポチポチとボタンを押してぱちりと閉じた。

 今度は俺の携帯が振動する。
 「ありがとね、変態さん。」
 ……。

「ぐふっ」
 ショックに意識がまたふわふわしだした。
「あ、うそ、ちょっと大丈夫!?」
「ぃ……」
「え、何?」
「いたい……」
「……はぁ」
 そう言って平野さんは俺に顔を寄せ――「これでしばらく我慢できる?」――キスされた。
 ……俺のキスバージンまで奪いやがった。俺からいくつ奪っていくつもりなんだよ、こいつは。

 対面のソファーに座りなおした平野さんは、いつも通り凛とした雰囲気を漂わせて俺を眺めている。
 あんなことをされた後なのに、なんてこの人は強い人なのだろうと、俺は思った。
 たしかに、ああ、惚れるには十分すぎるな。

 やがて救急車とパトカーがやってきたようだ。
 俺にはその間延びしたサイレンが終劇の鐘の音に思えた。


□狂い男 完 / 妄想男


 その日、狂い男の事件は幕を閉じた。

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