妄想男その12(39停止目)

■死神セカンド:一話

「ぁ……あの……こ、こんばんわ」
「うわっ?」
 黒い制服を着た知らない女性が俺のPC机の横に突っ立っていた。
 反射的に俺はディスプレイの電源を切る。

「だ、誰だ!? いつ部屋に入ってきた!?」
「あの……す、すいません、えっと、死んじゃうんです!」
「……」死んじゃう? 話が見えん。「誰が?」
「あの……あなたが、です。……あと2時間で」
 ソウデスカ。
「ちょっと待て」何ゆえ見ず知らずの女性に死の宣告を受けねばならぬのだ、俺は。
しかもあと2時間らしい。「とりあえず名前と住所と電話番号を教えてくれ。あん
た、誰だ?」結構、いやかなり可愛いので最後のほうでつい少し下心が出た。
「名前……無いです。死神です住所は……どこだろう。電話は……持ってないです」
 ソウデスカ。
 話にならねぇ。
「あ、でも、あの、ストップウォッチがあるから大丈夫ですよ? ほら」
 といってその変な女はストップウォッチを取り出す。どんどん取り出す。まだまだ
取り出す。10個目でやっと取り出し終わったようで、俺の部屋の床には体育の授業
でも無いのにストップウォッチがごろごろ転がっている。ほら、じゃねぇよ。
「で、これが……何?」
「ストップウォッチです」
「見りゃ分かる」
「あ、時間を止められるんです」
「それを先に言え!」
「ひとつにつき30秒だけですけど……」
「微妙っ!?」
 すると彼女はとりあえず仕事が終わったーみたいな顔でふぅ、と息をついた。
 俺はまったく理解できてなくて頭がぐるぐるしている。なんせこの5分で急展開だ。

 とりあえず俺はコーヒーを二人分淹れるために、こそこそと階段を下りて一階のキッ
チンへと向かうことにした。

 やかんを火にかける。
「ふぅ……」
 かちりと、セブンスターに火をつけた。
 親に気が付かれたくないので、換気扇はつけないでおこう。

 さて、この状況で考えることは断じて明日の朝ごはんのことではない。
「誰だ、あの子……」
 いつの間にやら部屋にいて、まず死の宣告を俺に食らわせる。
 名前は無くて住所不定。
 部屋に10個ストップウォッチを置く。
「……何がしたいんだ?」
 とりあえず新興宗教説が頭脳議会で多数派である。
 壷とか絵とか買わされるかもしれん。気をつけねば。
 早めにお帰りいただいて……いや、出来れば連絡先を聞いておいてから……

 しゅこしゅことお湯が沸き始める音に気が付き、かちりとコンロの火を消す。
 やかんのお湯がコーヒー豆を乗せたフィルターに吸い込まれていく。

「さて、どうすっかな……」
 とりあえず、砂糖とミルクは二人分持って行くことにしよう。
 さて、階段を上がって部屋に戻ると

『あぁん……おにいちゃん……きもちいいよぉ』
「あわわわわわわ……」
「……うおぁぁぁっ!?」
 何かディスプレイの電源付けられてるーーー!!!
 俺のはじ○すが見られてるーーー!!! しおりーーー!!!
 しかもこの女の人、興味ありそうな感じでなんかちらちら見てるーーー!!!

 次の瞬間、頭の中で種みたいなものがはじける。(イメージ)

 俺は冷静に、しかし確実に次の作業をこなしていった。まずコーヒーカップを
部屋の中央にあるちゃぶ台に置く。次に指の間に挟んできた砂糖とミルクを行儀
よく並べる。どう見ても一流喫茶店だぜ。ふはははは。次にダンディーでエレガ
ントなステップで机に向かって歩く。この間3歩。そしてジェントルに椅子に腰
掛け、まず本体の電源をコンセントからぶっこ抜いた。生きててくれ、俺のHD。
そして何事も無かったかのように沈黙したPCのディスプレイの電源をメランコ
リックに切り、マウスとキーボードをヒステリックに床に叩きつけた。次にコー
ヒーを置いたちゃぶ台の前に正座し、碇ゲン○ウ的に指をあわせて「問題ない」
と呟いた。

「……」
「……」

 部屋には気まずい沈黙と、破損したキーボードのプラスチック片が転がっていた。
「あ、あ、あ、あ、あの」
「OKお嬢さん、落ち着かないと舌かむぜ?」と相変わらずゲ○ドウ的姿勢を崩
さずに俺はささやく。落ち着くべきは俺の方だがな。とりあえずコーヒーを一息
で飲み干す。ぐいっと。
「ご、ごめんなさい……」
「いえいえ、気にすることは無い。ただ僕が二次元愛好家でロリィタ趣味で毎日
家に引きこもっている四浪中のダメでクズな人間で親にも早く死ねとか言われる
そんな毎日でしてね、はっはっは……」言ってて自分が嫌になってきた。「今日
も元気に部屋に引きこもってたら親に死ねって言われたからそこでブチ切れです
よ。殴ったね、ぶん殴ったよ。死んで欲しいなら殺してみやがれってね」自分が
どうしようもないクズ人間だということを再認識してしまった。見てみぬふりを
していたのに。

 死のう。俺はガラリと窓を開けた。「さようなら」
「え?」
 ちょっと地面が恋しくなったから、激しく体当たりしてくるな。
 結果的に死ぬかもしれないけど、それが恋よね。
 もう死ぬほど好きって感じ?
 とか言ってる間に、俺の体は落下を開始していた。
 地面ラブ! 今すぐ君と抱きあいたーい! それも頭からな!
 もうどうにでもなれー! はっはっはー!!!
 さぁ来い! ばっち来い!
 あれ? 俺地面にふられたのかな?
 いつまでたっても彼女は来なかった。-Bad End-的な流れか?
 あれ? 止まって……
 「……あれ?」
 脚がしっかりと俺の体を支えている。
 俺は後ろから彼女に抱きつかれて窓際に生還していた。

「ま、まにあいました?」
「お、お、おぅ?」なんだ、何が起こったんだこれ?「……なにしたんだ?」
「えっと……時間を……」なんていいやがる彼女。
 今現在、世界の物理法則がまだ健在だったら俺は地面と脳漿を撒き散らしながら
激しいキスを交わしていたはずなんだが。

 ……まさか本当に止めやがったのか。
 本物だったのか、あれ。

 どうやら、このストップウォッチは本気で時間を止めるらしい。
 三十秒という誰が決めたか知らんが非情に微妙な時間らしいが。
「んなアホな……」
「あなたが死ぬまで後……えっと、一時間あります」
 急に彼女の言うことが信憑性を帯びてきた。
「マジに死ぬのか? 俺」
「あ……はい、マジです、マジ死にです」
 そうですか、マジ死にですか。
「嫌だーーー!!! 死にたくないーーー!!! まだおっぱい触ったことも
無いのにーーー!!!」
「えっと……ストップウォッチが……その……」
「童貞の道程で死すのか! 俺は! はっはっは!」
「……ストップォッチが……ありますので……」
「右手の感触しか俺は知らぬまま朽ちるのか!?」
「……あの」
「そんな人生いやだあぁぁぁ!!!」
「……聞いてくださいよぅ」

 俺は動転しているふりをしつつ、足元に転がっていたストップウォッチを手に取り、
ポチっとスイッチを押した。
 うぉっ、本当に止まりやがった。30秒らしいから手っ取り早くいこうか。
 部屋に乱雑する電源ケーブルの一本を適当に取り、「つまり、時間を止めてすき放題
し放題やり放題ってことですね?」「……え……あ、あれ?」彼女の両手をベッドのフ
レームに縛りつけた。

 ストップウォッチは0を刻むと同時に、どこかに消えていった。

 

 服の上から胸を鷲掴みにしてやる。
「あ……」思いっきりこねまわす。「だ、だめ……やめて……」知るか。
 布越しにとてつもない柔らかさを持つ物体を感じる。
 あーもう、じれったい。直に触ってしまえ。
「いや、いやだ、だめ……」
 服の隙間から手を侵入させる。
 熱を帯びた彼女の体。滑らかな体の感触が手に伝わってくる。
 ぷにぷにしてて触る指先が気持ちよくなるな、これは。
 指先が胸に達するがブラジャーが邪魔くさい。まぁいいか、とるのも面倒だ。
「やめて……やめてください……」
 ソウデスカ。
 胸はもういいし、やめてやるか。
「脚ひらけ」
「……え?」
「いいから、脚だ。早く開け」
「や、やだ……やです」
 ギュッと太ももを閉じてしまう彼女。まだ抵抗するか。
「んじゃこれを使うまでだけど」
 そういってストップウォッチを見せ付ける。
「あ……」抵抗が無駄だと悟ったのか、彼女は俯く。「やだ……だ、だめ……」
 ギュッと目を閉じてうわ言のようにやだとだめを繰り返す。
 脚に手をかける。びくっと彼女は反応したが、次第にその力も弱まる。
 力をこめる。両足を開かせる。スカートの中の下着が目に入った。
「……なんだよ、濡れてんじゃねぇか」染みが楕円状に広がっている。
「いやだ……やだ……」
 なんだよ、いやだって言ってる割には「やだ……」うるさいな「いやだ」強引に
覆いかぶさる「やだあ」うるさいので少し黙らせる。「!? ん! んん!」ファー
ストキスはレイプの味だった。
「ん……や……た、助けて」

「誰も助けてなんてくれねぇよ」
「――あ……」

「……ん?」
 彼女の瞳から色が消える。そして「いやああああああああああああ!!!」暴れる。
地団駄を踏む子供のように。脚をばたつかせて。耳障りな声で。
「うるさい」うるさくて腹が立ったので頬を張る。
「痛っ……やだ! ひっ、やめてよぉ……やめて……」少しおとなしくなる。「だ……
助け……くれない……」彼女が何か言おうとする。
「なんだよ、はっきり言え」見ていたらなんだかイラついてきた。

「だって……だれも……助けて……くれない……お父さんなのに……なのに!」

 誰も助けてくれないと彼女もそう言った。
「なんだよ」急にやる気が失せていった。「お前もか」
 誰も助けてくれない、自分は苦しいのに。その絶望的な感情をこいつは知っていた。
 なんだよ、俺と仲間なんじゃないか。なのに俺は……。

「ひ……ひぃ……は、はひ……」
 彼女の呼吸音がおかしい。いかん、過呼吸を起こしている。
「すまん、謝罪は後だ。大丈夫か?」
 俺は背中をさすろうとすると「あっ! やーっ!」彼女は暴れだす。その空ろな目に俺は
映っていない。
 くそ、えーっと……エヴァ10巻で仕入れた知識によるとだな、過呼吸の治療には紙袋か。
「ひく……ひ、は……は……」んなもんが都合よくあるわけが無いわけでして、つまりカオ
ル君はだな……。
「えーっと……ごめんな、また一つ謝ることが増えた」
「ひ、ひぃ……はっ……」
 唇を重ねる。今度は出来るだけやさしく。
 「んん! ん!」脚で腹部を蹴られる。気にしている暇は無い。
 俺は懸命に彼女と呼吸を合わせる。「んぅ!」次第に彼女の目がしっかりしてきた。
 そろそろ呼吸が苦しくなってくる。「……」あれ、大人しくなった。もういいか?
「ぷはっ……」
 つーと、唾液が糸をひく。
 頭がくらくらする。くそっ、酸素が足りん。呼吸を整える俺。

「えーと……とりあえず、大丈夫か?」
「……ぁぅ」
 彼女はぼーっとした目で俺を見ていた。

 コーヒーを淹れ直して、二度目の気まずい沈黙。
 俺はなかなか謝罪の言葉が思いつかない。
 そんな中、先に静寂を破ったのは彼女だった。
「あ、あの……」
「は、はひっ!?」いかぬ、不意をつかれたとはいえキョドり過ぎだ、俺。「ごほん……すま
ない。えっと……?」
「だ、大丈夫ですから……大丈夫」
 ――だから、何がだ。
 この子は主語とか大事なところを省く癖があるな。アホな子に違いない。
「いや、とりあえずだな……」
 俺は座布団をほおり投げる。びくっと彼女は驚く。そして俺は猛烈な勢いでフローリングの
床に額を叩きつけた。ゴフォと鈍い音が部屋に響き渡る。「が…」予想以上に痛くて声が出た。
「謝ってどうなる問題じゃないが……」俺は精一杯の気持ちで謝罪する。「すまない、殺して
くれてもかまわない。罵って俺の頭を踏んづけてくれてもいい。そうすると作者は喜ぶが……
いやすまん、真面目な話だったな。どんな罰でも受ける、好きにしてくれ」
「いえ……あの……」
 分かってる。こんな謝り方をするのは卑怯だってことぐらい。
 でも、形だけでも、彼女には謝っておきたかった。
 罪が消えるわけでもないし、絶対に許されることじゃない。それぐらい分かってるよ。

「いいですから……あの……わ、忘れましょう?」
「……はい?」

「あれはあの……じ、事故ということで……」
「いや……そういうわけには」
「大丈夫ですから……大丈夫。こちらこそ、ごめんなさい」
「いや、あの……すまん」
 なんだか良く分からないが、二人して謝りあう変な形になってしまった。

 おそらく彼女には永遠に許してなどもらえない。
 それが俺に与えられた罰なんだろう。
 俺はもうすぐ死ぬまでの時間、これを背負いきらなければならない。
 それはなんと難しいことなんだろうかね?

「……? 何してるんですか?」
「人間、死ぬときには準備が必要なもんさ」
 俺は死に支度を始めることにした。
 まずはPCをつける。乱暴に電源を落としたが、ちゃんと生きていた。
 とりあえず、HDの中身を全消し。ぐっばい、俺の彼女たちよ。
 次に見られたら切腹ものの物品を机からガサガサ取り出す。
「あの、すまん」俺は彼女にお願いする。「ちょっと部屋から出てて欲しいんだが……」
さすがに見られたら引かれるな、あれは。
「その……すいません」と、彼女は言う。「私たち死神は……あの、監視する目的もある
のです。あなたから目を離したら……職務怠慢です」
 ソウデスカ。
 ……冷汗が頬を伝う。
「……引くなよ?」
「? え?」
 ガラッと机の一番でかい引きだしを開ける。わがエロゲコレクションの一部である。
「う、あ……」
 引いてる! 明らかに引いてる!
 俺はもう自棄になりつつ、布団が3セットほど入りそうな押入れを開けた。ガラッと。
「……」
 沈黙が痛い。
 たぶんゴミ袋に入れたら4袋分にはなるだろうエロゲたち&ヲタグッズが積まれてたからね。


「あね……じる?」
「そこ! 手にとって読むな!」

 俺は川のせせらぎを聞きながら女の子と夜の散歩中である。「これがなきゃパーフェクトな
シチュなんだがな」ゴミ袋四袋分にもなったヲタグッズを両手にぶら下げながら。そろそろ重
たさに手がしびれてきている。
 家の裏手に位置する川に来ていた。
 住宅街の真ん中を流れる川だけあって、両側には立派な堤防がある。
「私、夜のお散歩って好きです」
「ほぅ、お前もか」

 橋の袂に来た。
 小学校のころから鬱々していた時にはよくここに来て漫画を読んでいた。
 人生の1%ぐらいの時間はここですごしたかもしれない。
 俺の、第二の家。
 100円ライターとセブンスターを取り出す。咥えて火をつける。ここで吸う最後の一服に
なるだろうな。


 灰皿代わりにしてあるパイナップルの缶詰。もう吸殻が入らないからそろそろ捨てなきゃ。

「ひみつきち……みたいですね」
「ああ……でも、この秘密基地とももうお別れだ」

 座布団の代わりにしてあるダンボール。雨が降ったら取り替えるのが面倒なんだ。

「わたしにもありましたよ……ひみつきち」
「へぇ、うちよりも綺麗か?」

 虫除けの蚊取り線香。結構効果はあるんだぜ。

「うーん……もうちょっとだけ綺麗です」
「へぇ、良かったら今度招待してくれよ」

 藪だらけの草むら。小学校の頃座るところだけ頑張って一人で刈ったっけ。

 水の流れる音は好きだった。
 蚊がうるさくぶんぶんと飛び交うのは嫌いだった。
 虫の綺麗な声は好きだった。
 コンクリートの橋の上を暴走族がけたたましく走っていくのは嫌いだった。
 川の匂いや雑草の香りが混じった澄んだ空気は好きだった。
 トラックの排気ガスは嫌いだった。
 人がいないのは好きだった。
 誰にも何も言われない自由が大好きだった。

 でももう、この景色ともお別れ。

 最後の紫煙を吐き出し、吸殻を缶詰に突っ込む。
 しばらく煙が立っていたが、やがてそれも消えた。

「じゃあな」
 俺は川にゴミ袋を流す。
「お世話になりました」
 見慣れた光景に別れを告げる。
 横で彼女もぺこりと頭を下げてくれる。
 しばらく二人でそうしていた。

 少しぐらい、泣いたっていいだろう?

 さて、死ぬ支度は整ったものの、残りの人生の時間をどうすごすか俺はかなり悩んでいた。
「あと何分だっけ?」
「えと……10分もないです」
 残り10分。何ができるかな。
 部屋を見渡すと、時間を止めるストップウォッチがまだ8個あった。

「これは返すよ」
 俺はストップウォッチを彼女に返す。
「え……あの、いいんですか?」
「ああ、どうせもう使わないし」
 彼女をあんなに泣かせてしまったんだ。もうしないと心に誓ったしな。
「あ、でも」俺は少し考え直す。「すまん、お守り代わりに一つだけもらってもいいか?」
「あ、はい。いいですよ」
 そういってストップウォッチを一つ俺に渡してくれた。未遂とは言え、あんなことしてし
まったのに疑いもなく。……いかん、なんか彼女のいい子っぷりに俺ったら感動してる!
「あ、でもあの……」
「ん?」なんだ?
「……え、えっちなこと……してもいいんですよ?」

 ズキューン

 いかん、罪の意識が吹っ飛びそうになった。ついでに生きることに未練が沸いてきてしまっ
た。あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙ーーー!
「だめだめだめだめ! 大体あんなに嫌がってただろうに!」
「あ、あの……もう大丈夫です、我慢できます……無理やりじゃないなら……」
 な゙ーーー!!!
 俺は理性を総動員して欲望を鎮圧する。滅っ! 滅べっ! ついでに静まれ、俺の息子っ!
ほら、嫌がってるんだよ、だから我慢するんだよ! わかるか! ここでやったらレイプだ
ぞ!? ほらほら、あきらめろあきらめろいやちょっとぐらいだめだめあきらめろあきらめろ
心頭滅却心頭滅却……。
「ふぅ……おっし、とりあえず落ち着いた」
「……?」
 だめだ、この子、本気で何を考えているのか分からなくなる。あんなに泣いて嫌がったのに
今度は大丈夫だって言う。
 まったく、女は謎の生き物だなおい。

 死ぬ準備は整っていた。
「ところでさ、俺ってどうやって死ぬんだ?」
「えと……あの……ひ、秘密です」
 まさかこの子が鎌を持ち出してグサッと……やるわけないか。

 人生最後の煙草になるだろうな。
 カチンと煙草に火をつけた。
「ふぅ……」いかんな。「吸いすぎか、俺」
 なんだかそわそわして落ち着かない。

 まぁでも、大丈夫だろう。
 今はどうやって死ぬにしても後悔はない。
 こんな女の子に死に際に出会えたんだから。
 自分の生涯に決別も付けられた。
 俺の人生に思い残すことは何も、ない。
 今なら安らかに死ねる――


 ――そう思っていた。
 母親が鈍く光るそれ――包丁を持って俺の部屋に来るまでは。

「うるさいよ、夜中にどたどたと……」俺はあんな目をする母親を見たことが無かった。「寝れ
ないじゃない」
「ご、ごめん……」
「いっつもそう……あんたは……」泣き出しそうな顔で俺を睨む、俺の母親。「あんたは、邪魔」
包丁を片手に俺に迫ってくる。
 あぁ、人間ってこんな表情も出来るんだな、とぼんやりと母親を見ていた。
 無言で母親は俺に包丁を突き刺さんとしてくる。
 なんだよ、こんな死に方なのかよ。

 俺は死ぬ覚悟などまったく出来ていなかった。
 眼前に明確な形となって迫る死。
 それを見た俺は、震え上がった。

 包丁がきらりと蛍光灯の光を反射する。
 俺は誰かに助けを求めたかった。
 しかし部屋を見渡しても彼女の姿はすでに消えていた。

 絶望した。
 ああ、これが俺の一生……。

 何かにすがる思いで手に取っていたのは――彼女から一つだけ受け取っていたストップウォッチ。
 すまない。お守りにでもしようと思ってたんだがな。
 俺はストップウォッチのボタンを押した。

 逃げたかった。
 殺されたくなかった。
 だからストップウォッチを押した。
 時間は止まった。
 俺は動ける。
 いつでも逃げられる。
 でも俺は……。
 俺は。

「いつも迷惑かけてごめんな」
 この声は母さんに聞こえてはいない。
「いつか謝りたかったんだけどさ……」
 最後まで謝れなかった。
「いつから俺とあんたはこんな関係になってしまったんだっけ……」
 俺が正しい人生を送れるようにいつも叱ってくれていた。なのに俺は反発して。
「顔、そんなに痩せこけていたんだな」
 俺の記憶の中の母さんの顔は、もう少しぽっちゃりしていたはずなんだがな……。
「ごめん」
 時間が動き出した。

 俺はついに、母さんから逃げなかった。
「お元気で」
 この声は母さんに届いただろうか。
 切っ先が俺の胸を――

 ――こぽこぽと血が流れていく。
 胸が苦しくて苦しくて、気が遠くなっていく。
 母さんが俺に何かを言っていた気がした。
 俺は頑張ってその顔を見ようと、声を聞こうとしたが――

 ――消えていく意識の中、せめて母さんに笑顔を見せてやろうと頑張った。

 ……。

 そこからの記憶ははっきりしない。
 何故か俺は生きていた。
 いや、生きてるんだよな? 足はしっかりついている。
 ここはどこだ? 俺の部屋だ。
 椅子に座って胸に包丁を立てて何故か微笑みながら安らかに死んでるのは俺のようだ。
 ん? 俺? いや、俺は生きているぞ?
 でも死んでるっぽいんだが。
 このなまなましさはハリウッド級の造形技術でもないと無理だろう。

 部屋の端っこに小動物みたいな何かがいた。
「あ……うぅ……う……」
「……なんで泣いてるんだ? おまえ?」
 急にがばっと、そいつに抱きつかれた。
「うぉっと……なんだ? どうした? 出来れば現状の説明を頼む」
「よ……よか……あ、ぐ……かなひぃ……うぅー」
「言葉をしゃべれ、言葉を」
 べしっと額にチョップを入れてやる。
「あぅ……」ぐずぐずと鼻を啜っていたが次第に落ち着いてきたようだ。「あの……痛く
……ないですか?」
「ん?」そういや今刺されたばっかりだったな。「いだだだだっ!?」
「あ、あああー、ご、ごめんなざい゙ー」
「いや、嘘だが」
「う……ひ、ひどいでずー」
 鼻声混じりで言うからなんだかおかしくなって、俺は笑い出してしまった。

「へぇ、めずらしいわね、合格か」黒髪ツインテールでこれまた黒い制服を着た女の人が
立っていた。「おつかれさま。私達の説明はもう聞いた?」
「いや、まったく」
 なんだか知らんがまた黒い服を着た変な人が増えていた。それも二人も。ん? 気がつ
くと俺もなんか黒っぽい服着てるし。
「君も大変だったね、今回が初仕事だったのに。大丈夫だったかい?」
「ゔー……ひっく……ひく」
 黒い服の男のほうはひたすら泣きじゃくる彼女を慰めている。

「あ゙ー……で、ですせんぱいー……」
「おーよしよし。やっぱり始めはちょっとキツかったかな? あの男にやらしいことされ
ちゃった?」
「ぐふっ」
「……したのね。あーあ、トラウマほじくり返すようなことしてくれちゃって……大丈夫?」
「は、はい……だ、だいじょふれす……」
 目を真っ赤にしながら鼻を啜って彼女は健気に言う。

 俺はといえば、自分の死体をじーっと見ていた。
 なんか半笑いで死んでて微妙に嫌だな、これ。

「さて、それじゃ行こうか」
 男は言う。
「そうね、さっさと死神局に登録しなきゃ」
 女のほうも同調して言う。
「は、はひ……」
 いまだ鼻声の彼女もどうやら肯定しているようだ。
 すると黒服の人たち(まぁ俺も黒服になっているが)は部屋の壁をするりと抜けて、どこか
に行ってしまった。
「とりあえずな……」俺はもう限界だった。「誰か説明しやがれこんちくしょおおお!!!」

「あ、ごめんなさい……」相変わらず気が弱そうな彼女が戻ってきた。「私の手を握ってて下
さい」
 ……おぅ。
「それじゃ、行きますよ」
 まぁ、どうなるにしても。
 彼女と一緒なら、その、悪い気はしないのだった。
「あの……これからもよろしくお願いします」
「ソウデスカ」

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