魔女その2(40停止目)

オリビアの魔女

第二話 証明

 

 欠けた夕焼け空に照らされた山脈のように連なった海に浸かった灰色の廃墟。
徐々に地平線に沈みつつある太陽は、夜空を覆う暗幕の深淵を覗いた。
上空を飛行機雲を残しながらマッハ二級でACMをする二機の機影がある。
 一機は両翼にエンジンを持ち、尾翼の付け根からワイヤーでジャマーを曳航し、
旋回と共にミサイルをランチャーに装填する戦闘機「デュアルハーツ」だった。
もう一機はアリスから三十キロ先を飛び、尾翼と主翼が一体化した形状で、
主翼が水平尾翼と垂直尾翼を兼ね、小型カナードを持つ戦闘機XF−203だ。
二基のエンジンは尾翼に埋め込まれ、二次元推力変更装置とフラップが融合している。
 「おい、禿げ!生きてる!?死んだなら返事して!」アリスが言った。
 「ファック、お前のせいで俺のケツが二つに割れちまった。
おかげで俺のF−505は一キロ先で高価なミサイル抱えたまま水浴びだ」
 ジャックからの通信だった。下方の廃墟で中指を立てている人影がある。
パラシュートが風に待舞って、飛び出た鉄骨に絡み付いていた。
 「それだけ吠えれりゃ大丈夫。私はちょっとやることがある」
 「これがただのDACTだったらハッピーなんだがなぁ」
 廃墟上空に出没しては、近付く輸送機を打ち落とす戦闘機。
その実力排除がアリス達に舞い込んだ仕事だった。
というのも、防空の大手であるエムロード・セキュリティ社が、
大規模な海賊・空賊の掃討作戦に乗り出しているためで、
傭兵の数は減る一方なのに、仕事は増えるという状況にあり、
彼女らのような小規模な者達であろうと「猫の手でも借りたい」者達には、
僅か二機でも充分な戦力とするしかなかったのである。

 次の瞬間、デュアルハーツのキャノピー内でミサイルアラートが鳴り響いた。
 「ブレーク!ブレーク!」アリスが叫んだ。
 アリスが操縦桿を引くと、飛んできたARHはジャマーに直撃した。
HOJだ。破壊されたジャマーはすぐに自動的に投棄された。
回避運動をしている間に、両者の距離は縮まりつつあった。
高速で接近する互いの距離は、二十五キロ、二十キロ、十五キロ……。
 「デッド・アヘッド!FOX2!FOX2!」
 アリスは、敵影をロックするとSRMを放った。
レールからミサイルが発射され、ロケットエンジンの点火と共に加速した。
だが、そのミサイルが敵機の身に直撃することはなく、
ランチャーから発射されて丁度、五キロ先の空中で爆発してしまった。
シーカーにレーザーを照射されたのは明白だった。
 「前面にも光波防御って。上等ォ!」アリスは笑った。
 「アリス、もういい!ここは一度、撤退しろ!」
 ジャックが通信にノイズが走るような大声で怒鳴った。
 「ネガティブ、私がウィングマン落とされてケツまくるような玉に見える?」
 「ガキ!玉なんてついてねぇクセに粋がるな!燃料だってねぇだろ!
あれにはIRパッシブホーミングもアクティブレーダーホーミングも無駄だ!」
 「お生憎、もう私のミサイルは空だ。だけど、あいつだって十発は撃ってるよ。
やばいのはお互い様だ、ヘッドオン。穴開きチーズにしてやる!」
 「FOX4のコールは間に合ってるんだがなぁ」
 ジャックは溜息をつくと両手を組み両膝を突くと祈った。
 アリスは加速する自らの心音を聞いた。既に目視出来る距離にいる敵戦闘機。
相手も彼女と事前に申し合わせたように、一直線に正面へ向かってきた。
そのシルエットはどんどん大きくなり、逆に周囲は薄暗くぼやけて見えた。
アフターバーナーを吹かして加速すると、感覚が鋭くなっていくのが分かった。
体がGに悲鳴を上げてパイロットスーツにぎゅうぎゅう締め付けられるというのに、
逆に心地良いくらいで、彼女の周囲はだんだんと静かに静かになっていった。
自分の体が空に溶け込むような不思議な感覚の中で、ゆっくりと引き金を絞った。
 デュアルハーツの胴体右側の主翼付け根上部が開き、三十ミリガトリング砲が現れた。
それは六砲身の油圧駆動であり、五百発ドラム弾倉が胴体中央部に位置し、
ベルトコンベア式で給弾され、右主翼付け根胴体側には排莢受けが備えられている。
毎分五千発という驚異的な速度で低い音と共に前面への砲撃が始まった。
 敵機から雨のように飛来する弾雨の中で、アリスは極めて冷静だった。
射程に入ってからが実際にはどの程度であったか、彼女は知らない。
だが、その射線上から離れる前に要した時間は余りに長く思えたのだった。
敵機の砲弾が凄まじい速度でデュアルハーツを掠めて行く。
 互いに命中弾ゼロ、すぐさまデュアルハーツはインメルマンターンを、
敵戦闘機XF−203はスプリットSを行い、再び対進状態がおこった。
 「良いターンだ、Gロック起こしてくれるなよ」と、アリスは思った。
再び機関砲が唸りを上げ、二機は高速で交差する。アリスは酷い頭痛がした。
押し舵でマイナスGを迎えているのだから、当然だった。
 迫る海面に気付いてに、ピッチを上げると、敵機が煙を吹いてるのが見えた。
 「ビンゴビンゴビンゴビンゴビンゴォーッ!」ジャックが無線で叫んでいた。
「ヘッドオンガンキルなんて実際には見たのは俺は初めてだ。
まぁ、実際に試した馬鹿を見るのも初めてだがな」
 「……ジャック、あの機体のパイロットの脱出を見た?」
 「いや……機関砲で死んだんじゃないか?」
 「そう……」アリスは溜息をついた。良い腕だったのに。
 墜落していく敵機。それを眺めるように夕焼けを背負い旋回するアリス。
 「ごめん」アリスが言った。それも今にも死にそうな擦れた声で。
「燃料の方もこのままじゃビンゴだ。……給油機、呼んでもらえないかな?」
 すっかり暗くなった廃墟の空には、綺麗な月が昇っていた。

 前の日。
 メガフロート上に建設された国家オリビアからも戦争の耐えぬ大陸からも離れ、
放置されて誰にも知られず、知られたとしても誰一人興味を持たない無人島。
そこに建設されていた空港こそがアリスとジャックの家にして事務所だった。
 今日も、アリスはハンガーで仕事を終えた自機のメンテナンスをしていた。
彼女こそがデュアルハーツの唯一の搭乗者であり、同時に整備員でもあるのだ。
格納庫は老朽化した概観とは裏腹に、内部は隅々まで手入れが行き届いている。
だが、機体横の丸テーブルの上にはキー上に埃を被ったノートパソコン、
飲料水、食べかけのドーナツ、灰皿と吸殻、開いたままひっくり返った薄い本。
その他何もかもが狭い面積を占領しようとカオスがひしめき合っていた。
 ノートパソコンでは、世界で数少ないオリビア放送のテレビも写る。
だが、テレビで放映されるのはニュース、ニュース、ニュースばかり。
各地では未だ紛争が絶えず、物騒なニュースが耐える日はない。
 画面の中の防弾チョッキを着込んだニュースキャスターは言った。
 「訪艦中の大陸総合臨時救国政府のトゥルーデ大統領は、
二十六日のインタビューで、合同会議でオリビアを訪れた際に、
ハインツ国務長官(当時)に対宙作戦に協力しない場合は、
「砲撃を覚悟しろ。爆撃で大陸ごと海に沈める」と脅迫されたと語った。
ハインツ氏は政策の一環として旧世代の人工衛星の破壊の必要性を説いており、
現在もオリビア空軍基地内に存在する天文観測所の改修作業は進み、
近日にも十六の軍事衛星が対衛星ミサイルによって破壊され──」
 アリスがラダーの調子を見ていると、ジャックがやって来た。
その褐色の巨躯に似合わぬピンク色のエプロン姿だった。
 「相変わらず精が出るねぇ。おさがりをここまで大切にしてくれると、
俺も譲った甲斐があるってもんだ。涙が出るよ、全く」
 ジャックが笑った。ペン回しのように煙草をくるくると回していた。
 「あんたの機体が落ちたからって、私は返すつもりはないよ」
 アリスがライターを投げつけると、ジャックは受け取った。
煙草を咥えてカチカチと火をつけようとするが、ガス欠だった。
 「まさか!」ジャックが空のライターを親指で弾くと、
ところどころが錆びかけたパイプ椅子の上に直立して落ちた。
 「F−505なんて旧式に乗るのはもう止めだ、俺の腕が生かせねぇ」
 「私は勝ったよ、あんたは落ちた。空は全部知ってる。それだけだ」
 「お前、性格悪くなった……?」
 ジャックはへの字に口を曲げると、テーブルの上の本を取り上げた。
表紙には見覚えのある大きな目の絵が書かれ、題名は「神について」だった。
 「何にしても、俺は丘で老後を過ごすつもりはねぇ。
次は単発のSVTOLあたりをひとつ──」
 「お金、あるの?」
 「ああ、あるとも。今月は三食、俺の特製肉なしカレーになりそうだがなぁ」
 ジャックがそう言うと、アリスはにやりと笑った。
 「鼠の肉やあんたの髪さえ入れいれなけりゃ、私はぜんぜん嫌じゃないよ。
私、カレー好きだし……だけど、人の食費を削る禿げた臭い中年は嫌いだ」
 「そりゃどうも」

 後日、早朝。
 空に燦然と輝く太陽と、空が映りこんだ海面の向こう側で輝く太陽。
二つの太陽に照らされながらも、海に浸かった灰色の廃墟がその様相を変える事はない。
放置されたままのパラシュートが吹き抜ける風で何度となくぱたぱたと舞った。
 そして、XF−203も何事もなかったように上空を飛んでいた。
 デュアルハーツの後部座席に座るジャックは言った。
 「俺が調べたところ、XF−203はEMPテロ以前の実験機だ。
全部で三機しか存在せず、うち一機は事故で喪失、もう一機は俺達が撃墜した。
最後の一機は行方不明で第三次世界大戦で消えたと思われてたんだが、
どういうわけか数時間前に廃墟近くを通りかかった輸送船を破壊している」
 「XF−203はどういう実験のために生まれたんだ?」アリスが聞いた。
 「元々の要求能力は短距離離陸能力。アフターバーナーなしでの超音速巡航。
高いステルス性能、良好な運動性能、長い航続力、簡易な整備性。
ミサイル防衛装備をした航空機への飽和攻撃が可能なだけの兵器搭載力。
全面光波防御、アクティブステルスも可能で安価なスマートスキン。
都市に無数に設置されたバイスタティックレーダーとのデータリンク。
ハードポイントの確保と各国へ対応した柔軟なソフトウェア。他にも──」
 「もういい」アリスが遮った。「滅茶苦茶だよ」
 「そうだな、滅茶苦茶だ。だが、これらはある目的を誤魔化す為の表向きのもの」
 「ある目的?アフターバーナーでバーベキューでもする?」
 「初の対人戦術的空中格闘戦をUAVで可能にすることだ」
 「ありえない!」アリスが言った。「フレーム問題が解決できないじゃないか」
 「その通り、どうにも俺もその点だけはわからねぇ。
障害者の脳が乗ってるだとか、ニューラルネットワークみたいな……
つまり、記号操作的ではない知能だとかを開発したとか噂は耐えないが」

 「私は解決してはいない」
 二人が沈黙した。誰の声でもない。無線から聞こえた、機械的な音声だった。
 「誰だ!」アリスが叫んだ。「お前は誰だ!」
 「私はXF−203。私はフレーム問題を解決していない」
 「XF−203?!」ジャックが言った。無線を切り忘れていた。
「相手にするな、アリス!」
 「あんた、本当にXF−203なのか!?」
 「私はXF−203。対人戦術的防空格闘用人工知能の第一世代だ。
フレーム問題は考慮すべき空間が有限である以上、容量と膨大な時間で回避出来た」
 「そんな馬鹿な、EMPテロを回避出来たそんな大容量のコンピュータなんて……」
 ジャックが言った。
 「私の大部分は君達の上空。つまり、軌道上の人工衛星内に存在している。
随時、更新することで戦闘経験を蓄積し、無限のバージョンアップを実現している」
 「そのお喋りくんが自我に目覚めてどうしてまた人間を襲ってるんだ?
自動販売機でコークでも売っててくれれば俺が落ちることもなかったじゃねぇか」
 「それは」アリスが言った。「都市を守るのが任務だからだろ?
ロマンチックじゃないか!なくなっちゃった都市を想って十数年」
 「吐き気がしてきた」ジャックが言った。「まるで十三日目の金曜日、
それに厄日と敗戦記念日、その他アンラッキーが全部、同時に来た気分だ」
いつの間にかXF−203戦闘機が接近して、目視出来る距離を並列して飛んでいた。
確かに曇った風防を通しても搭乗席には人影は見当たらないのはよくわかった。
 「私が自我に目覚めることはない。君達がそう感じたならば、
単にインターフェイスがうまく対処できているように見えただけだろう。
また、都市は消滅してしまった以上、それは任務にはなり得ない」
 「では、なぜ?」ジャックが聞いた。
 「戦闘経験の密度を上昇させることで成功率を高めた」
 「退屈だったってことか?」ジャックが鼻で笑った。
 「寿命という概念がない私にとって、退屈は認識できない」
 「じゃあ、あんたの目的って何なんだ?」アリスが聞いた。
 「私自身に目的は存在しない。XF−203は武器であって手段だ。
手段に対して目的を問うのはナンセンスだ」
 「アリス!」
 ジャックが叫ぶと、XF−203戦闘機が真正面から突っ込んできた。
アリスは咄嗟に機体を傾けて回避する。びりびりと振動が伝わってきた。
 「おかしな話。あんたは本物の人間みたいなのに手段だなんて」
 「仮に私が人間だとしても、それを証明することは出来ない。
なぜなら、人間は曖昧な存在だ。君達は何を人間の拠り所とするのか」
 「考えたことも」アリスは言った。「でも、あんたのループは綺麗だったのは確か」
「少なくとも、今この瞬間、私達の空だけは本物だ!」

 その日の夜は多くの流れ星が見えたという。

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