魔女(40停止目)

オリビアの魔女

 西暦2019年。
 未曾有の規模で発生した全世界同時多発EMPテロは経済を破綻させた。
事実上の第三次世界大戦となるテロ後の相互攻撃によって、国家という単位は消滅。
静寂の世に残された大陸を牛耳ったのは強力な兵器を持つ軍と企業であった。
 現存した無数の武器は無秩序に世界に流出し、後世の混乱を助長させた。
誰もが生きることのみに希望を見出し、復興の目処の立たない状態が長く続いた。
 それから約10年の歳月が流れる。
 大小七つのメガフロート上に建設された都市国家「オリビア」は、
膨大な人口を受け入れる為に、戦前から国際共同で建設が行われており、
高度に整備された自給自足システムと係留された浮島という地形的条件から、
小国でありながらも全世界に先駆けて逸早く復興を成し遂げていた。
 しかし、大陸からの紛争を逃れてきた難民の受け入れ態勢は万全とは言えず、
確実に流入・暗躍する犯罪者グループの存在は、都市の治安悪化に一役買った。
先進的な兵器を駆使する彼らに対して、閉じた世界で繁栄を築いたオリビアは、
経済水準と安定した秩序を両立するにはあまりに若く、そして脆弱すぎた。
 独力での解決に限界を見た政府は、反対派を押し切って、ある傭兵部隊を雇う。
数知れぬ大陸戦争の空を生き延び、戦場から戦場を渡り歩いた精鋭中の精鋭。
 彼らは大衆からこう呼ばれた。「オリビアの魔女」と──。

 第一話 少女

 まるで時が止まったかのように静寂を保つ薄暗な建物があった。
放置されて久しい空港のハンガーに隣接したぼろぼろの廃墟の一室。
天井には寿命をつげるように点滅しつつある電球、床には古びれた赤いソファー。
乱雑に積み上げられた皺のついた書類は窓から漏れた光でどこか黄ばんで見える。
針の動かない時計は一日に二回だけ正しい時間を指し示すのが精一杯だった。
灰皿代わりにされた空き缶にはいくつもの吸殻がくしゃくしゃに突っ込まれ、
いつか何の配慮もなくぽいと空か海に投棄されるのを心待ちにしているのだ。
だが、部屋の中央の机上のパソコンは似つかわしくないほどに手入れが施され、
無数の配線が植物の蔓のように部屋の隅から隅へと伸びては分かれていた。
 ぶんぶんと唸り回転する換気扇に吸い込まれる煙の元を辿っていくと、
ソファーの上でライターを握り、煙草を咥えてラジオを聴いている男がいた。
皺くちゃのグレーのスーツにだらしなく赤いネクタイがぶらさがっている。

 横になった男の腹の上に乗ったラジオはノイズを交えながら言った。
 「オリビアの中央政府は21日、同国沿岸に出没する海賊・空賊への対応策として、
大陸の民間軍事企業に「掃討作戦」を依頼したことを明らかにした。
迷走する秩序の安定政策の完成を目指す政府の取り組みの一環であるが、
一時期では敵対すらしていた民間軍事企業への協力依頼が驚きを呼んでいる。
 作戦を請け負うのは原子力航空母艦に本社を置くエムロード・セキュリティ社。
1年契約で料金は公表されていないが、30億円から50億円とも言われている。
EMPテロ以来、無政府状態が続く大陸では、近海や近空の秩序も崩壊。
各地に乱立する暫定政府がオリビアの食料運搬船や輸送機を乗っ取るなど、
今年だけで分かっているだけでも既に28件の襲撃が報告されている。
オリビアは同社に長年、武器輸出の規制及び自重を求めているが、
同時に秩序回復が重要な課題であることもまた事実であり、首相は──」
 「どいつもこいつもクソッタレだ、悪党はそろって廃業しろってか」
 いつの間にかドアを開けて入っていた短髪で小柄な女が言った。
服のパイロットスーツには割れたハートを鎖で繋いだマークが描かれている。
ハートはよくみると骸骨のように目と鼻と口の部分が下地になっており、
骸骨の歯の刳り貫きはALICEと五文字が彼女の髪と同じ金色で刺繍が施されていた。
 「ビッチか、あがりは?」男は彼女を見上げると眠そうな声で言った。
 「死ね、タコ!」と、言うとソファーを思い切り蹴り飛ばした。
「どーもこーもないよ。SEAD機が先行しての楽勝対地攻撃だって聞いてたのに、
大陸の奴らと来たら、ろくにハードキルも出来ていやがらねぇ!
あっという間にバーンスルーされてSAMとAAAが雨のように降ってきやがる。
おかげで私の愛機のエンジンはローストチキン寸前、財布もガス欠ときた」
 「そいつぁ災難だったな、ベビーシッターにでも鞍替えしたらどうだ?」
 「その前に葬儀屋になってやるよ。そして、墓標にはこう刻むんだ。
ハゲの中年オヤジ・ジャック。禿げ散らかって童貞のままここに眠る。」
 「勘弁してくれ、ここは棺桶にはちょっと広すぎる。それに俺は禿げじゃねぇ」
 そう言うと、彼は起き上がりながら二度だけコンクリートの壁を軽く叩いた。
腹の上のラジオががしゃんと床に転げ落ちるが構う様子はない。
ジャックが大欠伸をすると、彼女は彼の持っていた煙草を取り上げて吸い始めた。
 「とにかくもう大陸の奴らと組むのはなしだ、命がいくつあっても足りやしねぇ」
 ジャックは目の前のパソコンのキーボードをパチパチ弾きながら言った。
 「そうは言っても、他にいい仕事なんてなさそうだぞ。
いつまでも突っ張ってないで、空軍か傭兵部隊にでも入ったらどうだ?」
 アリスは右手の人差し指と中指で煙草を挟むと、左手であっかんべーをした。
 「あとは運び屋か……でなきゃレーサーってところか」
 「ふざけるなよ」アリスは睨んで、短くなった煙草を握り潰した。
「私の空がどんなものか……お前なら知ってるはずだろ」
 「ああ、あったあった」と、ジャックは笑った。「次の仕事は要人護衛だ」

 アリスの愛機である戦術戦闘攻撃機「デュアルハーツ」は、
なんと主翼の両端にエンジンと水平尾翼が一体化して付いていることと、
胴体にはウェポンベイが存在し、後方にある双垂直尾翼が最大の特徴である。
 後方には固体と液体を組み合わせた光波防御レーザーや曳航式ジャマーを持ち、
フレアやチャフと合わせて軌道に捕らわれ難い広範囲の防御を実現していた。
また、アフターバーナーを使用せずとも超音速巡航が可能でありながら、
翼下にミサイルや増槽を付けない限り、ステルス性能も持ち合わせている。
 だが、アリスは、ウェポンベイ内の500発近くの機関砲弾も6発のAAMも、
光波防御レーザーも曳航式ジャマーも何もかもが殆ど無駄であることを悟っていた。
なぜなら、彼女の仕事は護衛というよりもずっと子守的だったからだ。
 雲ひとつない青空に、静寂を掻き乱しながら飛ぶ五機の航空機の姿があった。
 空中で花びらのように舞うデュアルハーツを羨望の眼差しで見上げるのは、
小奇麗な服装と不思議な装飾品を纏ったまだ十二、三歳にも満たない少女である。
少女はジャンボジェットの二階の丸窓を通して彼女の空を見ていた。
アリスの、ジャンボジェットの後方にはさらに三機の戦闘機が追従している。
三機のうちの一機はアリスと機体と同様のジャックの機体であり、
残りの二機はクロースドカップルドデルタ翼を採用した別の部隊の機体である。
ジャンボジェットと後方の二機には大きな眼の絵がかかれていた。
 アリスは無線でジャックに言った。
 「どうして護衛で私がエアロバティックをしなくちゃならないんだ?」
 「そうだな、俺も知らなかった。最近は護衛にはスピンドルオイルが必須らしい」
 「生きたまま燻製にされる気分ってのがどんなもんか?
今度、原稿用紙に五百時以上でまとめてからゆっくり聞かせてくれ」
 「……まぁ、どこぞの宗教団体の巫女さんだったかよく覚えてないが、
金をくれる奴は皆良い奴にさ。せいぜいリクエストに応えてやるように、頼むよ。
依頼者からも口をすっぱくして言われているからな。
それにしたって、もうすぐこの領空から出れば、任務も終わりだ。
ローストチキンだかフライドチキンだかに比べたら楽勝だったろ?」
 「ふん、依頼者って彼女の父親だとか言ってたか。興味ないけどさ。
巫女が人殺しの道具が飛んでるのを見てはしゃいでるんじゃ世も末だ」
 「違いねぇ」
 アリスがくすくすと笑うと、ジャックが続けて噴出した。
しばらく飛ぶと、その領空の端も近づきつつあった。

 「アリス、その巫女様本人がお前と直接話したいってさ。
下手なことを言ってくれるなよ?繋ぐぞ──」
 断絶のノイズ音が鳴り響いた後に、トントンと叩く音がした。
アリスがキャノピーから旅客機の二階の窓を見上げてみると、
窓にべったりと張り付いた巫女の片手にコードレスの受話器が持たれていた。
 彼女は言った。無機質な搭乗席に黄色い声が響く。
 「はじめまして、私はアリス。あなたもアリス。そうでしょう?」
 「はい」アリスは素っ気無く答えた。
 「同じ名前だって聞いて、驚いたわ!きっとこれは運命ね。
私達、短い間だけど友達になれそう。あなたの飛ぶ空はとっても素敵だった」
 「ありがとうございます」アリスは言った。予定の領空まであと少しだ。
あと少し飛べば、このうるさいメスガキともおさらば出来る。
 それからどのくらい退屈な会話が続いただろうか。アリスは覚えていなかった。
ほとんど頷くだけで会話が成り立ち、不自然な返答になっても少女は気にしなかった。
ただ、RPGのレベル上げ作業のために永遠とボタンを連打しているような気分。
 それからしばらくして、アリスはアリスに聞いた。
 「ねぇ、あなた。……今まで時間が止まったように感じたことはない?」
 「ありませ……あります」
 「それってどんなとき?」
 「周りに雲も何もなくて、自分だけの空を飛んでいる時……
まるで自分が世界の中心にあって、他のもの全部を動かしてるような、
時間が止まったような錯覚を感じることがあります」
 アリスはぼそぼそと言った。ジャックに聞かれてるんだろうな。いやだな、と。
眼を瞑るだけでにやにやと薄ら笑いを浮かべる薄ら禿げの顔が頭に浮かんだ。
 「私もあるわ。だけど、あなたとはちょっと違うみたい。
私の時間はね。パパとママが教義がどうだこうだって離婚した日から止まってるの。
パパしかいなかったから、半分だけしか満たされれない不完全な歪な幸せの時間」
 「自分は無神教者なんで、教義の大切さなんてよく分かりませんが、
私にとったらそんなどうだっていい教義のために家族を失うのは信じられませんね」
 「私も……そう、私にとっても……そんなことどうだってよかったのに!」
 彼女がそう叫ぶと、ジャンボジェットが航路を逸らし始めた。
旋回して徐々に角度の問題から見え辛くなる少女の背後から、
彼女と同様の面影を持った女性が少女に優しく手を回していた。
 「だから、私は欠けた時間を取り戻しに行かなくちゃいけない。
止まった時間を動かしに行かなくちゃいけない。
だから、お願い!どうか……私を逃がして!……私達を邪魔しないで!」
 通信が切れた。続けざまにジャックがキャノピー側のアリスに話しかけた。
 「おい、依頼主から通信だ。あのジャンボジェット、ハイジャックされたらしい。
撃ち落せば追加報酬を出してもいいそうだ。どうする?落とすか?」
 「そんなの決まってるだろ」
 アリスのデュアルハーツはインメルマンターンを行うと、
後方のカナード付きにミサイルの照準を定めた。
 「私達はせいぜいリクエストに応えてやるようにって言われてるじゃないか」

終わり

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