かつを その6(12停止目)

学校一キモイ女、腐川貞子の話

 

は〜、相変わらずカッコイイわ北川くんは。
いずれは北川くんと結婚して〜、そしてあんなことやこんなことを―――

「―――てる?――いてるの?腐川さん!聞いてるの!?」
ふいに私を妄想の世界から引きずり下ろす声、邪魔だわ。
「…聞いてるわよ、柴田さん。確かに山下くんはカッコイイよね」
「舘ひろしの話なんですけど……腐川さん、また北川くんのことを考えてたの?」
私はできる限りの可愛さで頷いた。
柴田さんは、弁当箱をカバンから取り出しながら言う。
「…確かに北川くんはカッコイイわよ。学校で一番とか言われてるけど…
 でも向井さんがいるじゃん―――」

――向井。この名前を聞くだけでムカムカしてくるわ。
私の恋路を邪魔するだけでなく、北川くんを惑わす魔性の女。
今もそこで北川くんと仲よさげに――

「――てる?聞いてる?腐川さん?」
「…聞いてるよ。ちょっとトイレ言ってくるね。」
私は食べかけの弁当を無造作に机に置き、足早にトイレに向かう――

それにしても、この学校のトイレってなんでこんなに綺麗なんだろう。
汚れ一つない床。ウン筋一つない便器。定期的に処理されるゴミ箱。
そんなトイレの中でペーパーホルダーに収めてある
拭き紙をするるると巻き取り切ることが私の小さな幸せ。
なにか嫌なことがあったら、それをするためにトイレに来るの。
本当に気持ちいいわ、コレは。あ、それするるるるー♪
「あはははは――――」

『―――人身事故のため少し遅れています』

学校が終わり、駅で帰りの電車を待つ。
なんの愛嬌もない駅内アナウンスが流れている。
別に人身事故が起きようが、全然興味がない。
それでも私が人身事故で気分を害されるのは、ただ、駅の人混みが嫌だから。
一刻も早くここから出て行きたいのに、それを許されない。そんな不満を一人口に出す。
「全く今日もいいこと無かったわ。なんでかし―――」
その時、私が見た光景は、私の口を黙らせるのに十分なものだった。

――北川くんと向井が手をつないで電車を待っている。
ダメよ、ダメよ北川くんそんなことしちゃ、あの女に洗脳されちゃうわ。
早くその手を離しなさい!

「……あの女〜…」
北川くんを心配する気持ちと同時に、向井を憎み、妬む気持ちが湧いてきて
完全にそれが私の心をどす黒く染めた時―――

「――あんた、いい顔してるねえ」

気づくと隣には背の低い、顔には深いシワが刻まれていて、
それでいて妖しい雰囲気の婆が隣にいた。
!? まず私はびっくりした。いきなり婆に話しかけられたこともそうだけど
なによりも、こういう時の私は人の話を聞くことができない。
それなのに、駅のざわめきの中で
この婆の声だけは、やけに明瞭に、そしてスムーズに私の心に入っていった。

「気に入ったよ、アンタ。このアメ缶をもっていきな」
私もこの婆をすぐに気に入った。同じ匂いがするというか。
「ありがとう、婆さん」
「そのアメを嘗めるとね、時間を止めることができるんじゃ。
 ただし、30秒しか止められないから気をつけて使うんだよ―――」
それだけ言うと婆は消え去ったかのように、その姿を人混みの中に消した。

―――アメ缶の中にはアメが5つほど。
私は家に帰ると、まず婆から貰ったモノを調べた。
部屋に入り電気も点けず、夕日を明かりにアメ缶を見る。
なんの変哲も無い、ただの鉄でできた缶。それほど大きくない半透明のアメ玉。
とても時間を止めれる不思議な力があるようには見えなかったけど、
婆を疑う気になれなかったので、その検証はあとで。
それよりも使い方を考えよう。

まず時間を止めて〜、…そうだな、北川くんのズボンを脱がしちゃおう♪
そしたら〜…やっぱりその先の〜……――――

――と、それはダメそれはダメ。
あくまでも、私は北川くんと幸せになりたいだけ。
そんな汚いことのために使ったりしないもん。
そうね、まずは向井をなんとかして、北川くんを解毒しなきゃ。
話はそれからよ。
解毒さえすれば、あとは時間をかけてじっくりと二人の愛を育むだけ。
そうすれば邪魔するものなんて何もないんだから―――

アメ玉をひとつ口に運んでみる。
無。それが最初の感想だった。音、匂いが無くなる。さらに感覚さえも麻痺するような感じがする。
TVの画面は間抜け面をした司会者を映し出したまま、動かない。
その不思議な出来事を理解しようとすればするほど、
私はこれまでにない感動を感じ、でもそれ以上に頭がとろける様な不思議な感じがして――
「――アン……」
……いつにもなく興奮しているみたい。乳首もアソコも敏感だわ……
ちょっと久々に――――

――――照明も点けていない薄暗い部屋で、私は蛇のようにベッドの上でうねる。
そそり立った黒い乳首は私の左手に弄ばれ、
右手はまるで意思を持つかのように、どす黒い女の部分をこねくり回す。
暴れまわる腰と呼応するように、女の部分から愛液―――いや、汁とでも言うべきものが
あふれだし、それが更に右手を激しくさせる。

「――んああぁん!……あっダメよ……あっ、北川くぅん…あっ
 あっあっ…ダメ北川くん……イクゥゥ!!――――――――」

いつの間にか寝てしまったのだろう。
鳥のさえずりと母の怒鳴り声が聞こえ、カーテンからは太陽の光がこぼれている。
時計を見ると7時半を回っている。
急いで学校の仕度を済ませ、朝食のパンをくわえながら家を出る。
アメ缶を確認して、ナイフをポケットに忍ばしてから。
胸の高鳴りは、初めてジャニーズのライブにいった時のそれ以上だった。

「――さん。腐川さん」
お昼休み、柴田さんが私に話しかけてきている。
私は柴田さんに生返事を返しながらも、目線は確実に向井に釘付けだった。
「……分かってる、分かってる。舘ひろしはカッコイイよね」
「…ジャッキー・チェンの話をしてたんですけど……腐川さん、やっぱり話を――」
立った、向井が立った。トイレに行く……はず。
私は、なおも喋り続けようとする柴田さんをなだめる様に言った。
「……ごめん、ちょっとトイレ…」
私は席を立ち、向井の後について行く。手にはアメ缶を持ちながら。

「ふふふ、ビンゴォ」
向井がトイレに入っていく。
登校してから4時間ほど。私はこの時をどれだけ待ったことか。
教室でやっても良かったんだけど、それじゃあ教室が汚れちゃうんだから。

―――向井が個室に入り、ドアを閉めるその瞬間、私はアメを口に放り込む。

動くものは無く、何も聞こえず、何も感じない。
そんな虚無の世界を私は突っ切り、トイレに駆け込み、向井が入った個室を開き。
ポケットに忍ばせておいたナイフを手にして、思いっきり―――

―――何の抵抗も無く、すんなりと刃が突き刺さっていく。
返り血は無かったわ。時間が止まるって不思議ね。
まるで私だけ違う世界にいるみたい。
根元まで刺さったナイフを向井から抜き取ることもなく、私はそのままトイレを後にした。
満足感と充実感にちょっと興奮しながら、それを抑えるようにゆっくりと歩く。
30秒経ったのかしら?
何か後ろから悲鳴のようなモノが聞こえてくる。
それはまるで、喉がはち切れそうなほどの金切り声だった。
安心して、向井さん。死ぬことは無いから―――


――――ちょっと、股間を゛さくっ゛としただけ。

私だって、人間よ、殺したりしないわ。
北川くんと一緒に幸せになりたいだけなんだから……

あの後ちょっとした全校集会があったり、パトカーが来たりしたけど
結局何も分からなかったみたいだった。当然といえば当然、ナイフに指紋が残らないようにしたし
そもそも、その場に私はいないことになってるんだから。

―――学校の近くの駅、私は時刻表を確かめている。
時刻表によると、もうすでに電車が通り過ぎた後。
次は特急電車、この駅には止まらないから、しばらく待たなきゃならない。
でも、そんな何もない時間も、今日は全然苦にならない。
学校での出来事の余韻に浸りながら、私は北川くんを探していた。
昨日もこの時間にいたのだから、今日もいるかもしれないと思い、
私は右へ左へと目を走らす。

「―――いた、北川くん…」
白いラインの上、北川くんは一人でぼんやりしている。
いつもの元気は無く、視線を下にやって、無表情で立っているが、
そんな姿もまたカッコイイ北川くん。
人をかき分けながら、精一杯の明るい声を出して駆け寄る。
「北川く〜ん」
北川くんは声に反応してこっちに目をやるが、
すぐに視線を戻し、さっきまでのように下を向く。
「えへへ、北川くん。残念だったね、向井さんのこと」
「…………」
「それでそのぉ……終わったことは早く忘れて――」
「なんでそんなにヘラヘラしてんだ?」
え? 何? 痴話喧嘩? 本当に照れ屋さんね北川くんは。
「え?でも、悲しんだってなんにもならないし、忘れて私と一緒に…」
「…お前ずっと俺のこと見てるだろ……キモイんだよ」
北川くんは呟くように言った。
線路は微かに震えている。
「そ…それは、北川くんが今ちょっと動揺してるからよ…ねっ?だから…
 時間が経てば私のこと好きに――」
「百年経っても無理だから」
そう言うと北川くんは私から離れていった。

―――え?どうして?私、北川くんのこと考えて刺したんだよ。
それなのにキモイだなんて……幸せになってほしいのに。
私と一緒になれば幸せになれるんだよ………

――間もなく快速電車が参ります。大変危険ですので白線の内側に――

快速電車が凄い勢いでやってくる。
かなりの質量を持った白が、風を切り、轟音をかき鳴らして
私達の前を――――

―――電車が有り得ないタイミングで止まる。
口の中にはアメ玉が一つ。私は北川くんの方へ走り出し、
そして、渾身の力で北川くんの体を押す。線路の方へ。
北川くんの体は宙に浮き、その体は停止している電車の前に晒された。

―――百年…心が変わるのに、それだけかかるなら…仕方ないよね。

全身に力をこめて北川くんの方を見やる。
これから、電車が通るはずの空間。
北川くんの周りに広がる、何も無い空間。
北川くんを待ち構えるかのように大きくその口を開けている。
そして私は―――

―――私は宙に浮く北川くんに抱きつくように…その空間に飛び込む。
北川くんにしがみつき、全力で抱きしめた。その感触を確かめるように。
目を閉じて、残された時間をただただ噛みしめる。

世界の全てが、静けさに包まれていて、
そんな中で口の中のアメ玉だけが、ゆるりと溶けていった。



「………何万年でも……一緒にいてあげるからね………――――――――――」

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