かつを その2(8停止目)

 

中学校の卒業式の帰り道、俺、田中文雄は一人で家へと向かっていた。
同級生達は学校に残って写真撮影をしたりしているが、
人がうじゃうじゃいる所と
イベント事が嫌いな俺は、式が終わるとすぐに学校を出た。
そもそも、写真を撮る友達なんていなかった訳だが。

ちょうど裏路地にさしかかった辺りだったか
ホームレスっぽい爺が横になっていた。
しかも、その爺は相当腹が減っているのだろう、
俺の方を見て、腹が減った、とつぶやいている。
俺は、給食の時使わなかったマーガリンがポケットに入っているのを思い出し
それを爺に渡した。
もう腐ってるかもしれんが、それでも人助けには変わりない。
バチは当たらないだろう。
「兄ちゃん、ありがとうな」
ニカッと笑う爺の笑顔はどこか幼く、また、少し不気味な感じがした。
「ときに少年よ、お前の親切さにワシは感動した。
 お前に時間を止める力を授けようと思うがどうじゃ?」
正直、老人の言ってることが理解できなかったが、
新手の商法かもしれない。ということで
「いや、結構です。」
俺は丁寧に断りその場を去ろうとした。
「まあまあ、少年よ悪徳商法でもなんでもないからちょっと待て
 時間はとらんから。」
「....。」
まるで俺の心を見透かしたかのような発言にとまどう俺に対して
爺は続けた。
「いくぞ....そりゃ!」
爺の声が轟くだけで何も変わったことは無い。
「....なにも変わらない訳なんですけど。」
「そりゃあそうじゃ。お前が念じなければなんにも起こらんにきまっとるがな。
 使い方じゃが..かくかくじかじか..というわけでな。
 次に説明するが、お前は一年間で30秒時間を止めることができる。
 ここで注.....」
....試しに使ってみたが、どうやらこの能力は本物のようだ。
周りの物は不自然に停止している。
爺は口を開いたままで間抜けな面をしている。
この爺には悪いが、もうそろそろバイトの時間なので
いつまでも話を聞いてるわけにはいかない。それにしてもよく喋る爺だな、
そんなことを考えながら俺は家へ急いだ。

ギィ
鍵を開けて家に入る
「ただいま」
返事はない。俺は慌ててバイトの支度をする。
それにしても、相変わらず無機質な家だ。
台所、風呂、トイレ。不便な所は何一つないし
市営団地ということで家賃も申し分ない。
ただ、独りでいるのには広すぎる間取りと
生活感の無い小奇麗な部屋のせいか、
安心して過ごせる場所、俺の場所が無いような気がする。
それが苦痛だった。
俺は支度を済ますと、妹の写真が飾ってある仏壇に座り、
チーンとひとつ鳴らして、忘れ物がないのを確認して家を出た。

バイトを終え、家に着くと8時を回っていた。
まず風呂に入り、ベッドに横たわってテレビをつけた。
高校の入学式まで続くバイト三昧の日々
高校に入ってからの生活、将来の自分
爺から貰った能力のこと
気づくとそんなことばかり考えていた。
爺から貰った能力、今日使ったから後一年は使えないのな。
まあでも、特に使いたいとは思わないしまあいいか。
夜も更けてきたので、寝ることにした。仏壇の鈴を鳴らした後に。

高校に入ってからの生活は、中学の時とあまり変わらなかった。
特に仲のいい友達ができたわけでもなく、部活動をするわけでもなく
睡眠,食事,勉強,睡眠とただ淡々と毎日を過ごしていた。
その日も学校が終わるまでは、そんな毎日の中のごく平凡な日だった。

それは、高校2年の春
最寄の駅で降りて家までの帰り道だった。
後ろから視線を感じたので後ろを振り返ってみると
「やっぱり田中くんだ」
と元気な声が。そこには渋谷さんがいた。
渋谷さんというのは小中学校の時の同級生で
実は、結構いいなあと思ってたりしてた女の子だ。
「久しぶりだね、田中くんってどこの学校いってるの?」
ヤバイ、話しかけられた。
同年代の女子と話すなんて小学校以来で、
一体なにを喋ればいいのか分からない。
しかも、何故か恥ずかしい。顔色が心配になるくらい顔が熱い。
ドラマでしか見たことの無い展開に頭は混乱していたが、
必死に冷静を装ってみせた。
「うん、仙北高校だけど、渋谷さんは?」
「えっ、ウソっ?私も仙北なんだけど!
 もっと早く言ってよ田中くん!そーなんだあ」
なんか分からないけど上手くいってるぞ!なんかいい感じだ!
「へー渋谷さんも仙北なんだ、知らなかった」
「うん、ところで田中くんって部活やってる?」
「やってないけど..」
「へーそうなんだ、私陸上部に入ってるんだけど楽しいよ、
 しんどいけど。田中くんも、クラブに入ればよかったのにね」
幸福のひとときだった。
普通の男にとっては、なんてことのない些細な出来事かもしれんが
普段、無味無臭な生活を送ってる俺には
そんな些細な出来事でさえこの上ない喜びだった。
ふと爺から貰った能力を使ってしまおうか、と考えもしたが
この些細な幸せを壊したくなくて、
流れる時間の中の一瞬だからこそ
価値があるような気がして、
そんな汚い考えはすぐに消えた。

「渋谷さんって昔から足速かったもんね」
あっ、変なこと言ってしまったかもしれない。
そう思って俺はもう一言付け足した
「中学校のとき表彰されてたからさ」
「うん、でも速いと言えば田中くんの妹も速かったよね、今どうしてるの?」
「...うん、まあまあかな」
妹が交通事故で死んだことなど言えるはずはないし
その質問に上手く返せるような言葉も見つからない。
なんかちょっと気まずいというか、そんな感じの雰囲気だった、
少なくとも俺にとっては。
「じゃあ、私ん家こっちだから、じゃあね」
幸福のひとときだったことは間違いないが、少し後味の悪さが残った。

その日から渋谷さんのことを考えることが多くなった。
あいかわらず、高校での生活はたいしたメリハリもなく
特別おもしろいものはなかったが、
渋谷さんが同じ学校にいると考えるとまだ気分が良かった。
すこし気持ち悪いかもしれんが、そんなのは人の自由
感情を表に出さないだけ、全然マシだった。
しかし、不思議なことにあれ以来、渋谷さんを見ることは無かった。

3年、クラス替えから2ヶ月ほど経ち、
クラス替えのときは渋谷さんのことを強烈に考えたが
結局渋谷さんとは同じクラスにならなかったことと、
大学受験に向けての気持ちの切り替えで
渋谷さんのことを考えるのは稀になっていた。
そんな中、ある日の帰り俺はまた渋谷さんを目にする。

最寄の駅から降りてテクテクと歩いていた。
渋谷さんが向こう200Mほどの距離にいる。横断歩道を歩いている。
久しぶりに見かけたな、などと悠長に考えていたが
次の瞬間俺は自分の目を疑った。
大型トラックが渋谷さんに向かって猛然と進んでいる。
速度を落とす様子は全く無い。明らかに赤信号なのにも関わらずだ。
居眠りしているのか、酔っ払っているのかそんなのは知らない。
しかも、渋谷さんは気づいていない。
ウォークマンを聞いているのだろうか、ここからは確認できない。
ヤバイ、このままじゃ渋谷さんは確実に死ぬ。
どうすればいい?一体どうすればいいんだ?
そんな考えはよそに、俺は無意識に力を解放させ
全力で走り出す。

時間が止まる

はっきり言って俺は足が遅い、その上、街の人混み、
そんな障害物を避けながら渋谷さんの所まで間に合うのか?
もし間に合ったとして、俺は危険じゃないのか?
そんな考えを振り払うかのように俺は走った。
 10秒
人混みが鬱陶しい。道端の空き缶が鬱陶しい。
自分の体が重い、俺は日頃の不摂生を悔やみ、
生活習慣を徹底させることを誓うとともに、走り続ける
 20秒
息が切れ、視界がぼんやりしてきて、立ち止まりたい衝動に駆られたが
圧倒的な目的感であらゆる煩悩を押さえ込む
ゲロっぽいものがこみ上げてくるが、そんなもの気にしてる暇はない
もしかすると本物のゲロかもしれんが、確認してる暇も無い!
 25秒
もうすぐ、もうすぐで渋谷さんに手が届く!
 27秒
渋谷さんを押し飛ばす俺の手、宙に舞う渋谷さんの体。
助かった、渋谷さんは確実に助かった。
しかし、同時に俺はあまりの勢いに前につんのめりに倒れてしまった。
本来ならここで瞬時に起き上がってトラックを回避するところだが
全力で走り続けた俺にはそれだけの余力は無かった。
俺は死を覚悟した。
正直悔いはある。
渋谷さんは何も知らない、自分が死にそうだったのを
そして、俺が渋谷さんを救ったことを。
ただただ、それだけが心残りだった。
渋谷さんは分かってくれるだろうか、
俺が渋谷さんの人生に影響を与えたことを。
俺が渋谷さんを好きだったことを
 30秒


...!

何故か時間は止まったままだった。理由は分からない。
俺はその時、信じたことも無い神に感謝した。
俺はゆっくりと起き上がり、今にも倒れそうな彼女を
倒れないようにした。
俺は何事もなかったかのように歩き出した。
渋谷さんの帰り道とは違う方向へ。

しばらくすると時間は動き出した。
何事も無かったかのように、街は心地いい喧騒を取り戻す。
迷惑なトラックを野次るかのようなクラクション、
街を行き交う人々、いつもと変わりない風景がそこにあった。

「いや〜神様、この頃仕事が多いですなあ」
「うむ、ときに爺よ、ワシになんか言うことない?仕事でミスったとか」
「...さすが神様は耳が早いですな。実はこの前、能力を授けた少年に
 『能力を1年間使わなかった場合、次の1年に繰り越される』ってことを
 言いそびれちゃって。まあ大したポイントじゃないからいいんですけどね」
「....お前しばらく休み無しな」
「...トホホ」

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