加賀見その4(42~43停止目)

ロストギア

 

 ――――少年の眼には、焦土と化した街が映っていた。

 呼吸をすると、風に乗ってきた煙が肺の中を満たす。
 煙は――僅かに熱を帯びていた。
 少年は奔った。肩に掛けた古びた鞄を振り乱しながら、ただ只管に奔った。
 ――たった半日。
 未舗装の道路を奔りながら、心の中で繰り返す。そう、たった半日。
 今朝、両親に見送られて、二つ隣の街にある学校へ向かうときに視た街は、白
塗りの建物が建ち並び、人々の気配や匂いがしたというのに。
 今は――。
 黒く焦げた瓦礫の山と、その燃え滓の匂いしかしなかった。

 少年の自宅もその例外ではなかった。
 黒く焦げた家の残骸と燃え残って四散した金属の破片。
 そして――地面に横たわった両親と傍らで泪を流す少女の姿。
「あ、あ――」
 口から零れ落ちる音は言葉にならず、嗚咽へと変わる。
 少年が覚束ない足どりで両親と少女の下へ歩み寄ると、姿に気付いた少女は
長く伸びた金色の髪を翻し、少年へと駆け寄った。
「養父さんと養母さんが……二人とも返事してくれな――」
 少女は左手に金色の懐中時計を握り締め、両親の血で塗れた右手で少年の衣服
を掴み、揺する。
 少年は少女の身体を抱き締めて頷いた。頷くしかなかった。他にどうしたら良
いのかわからなかったのだ。

 煙の立ち昇る空を見ると、空は暗赤色に染まっていた。
 ――この世界はあの空の色と同じなのだ。
 少年は茫然としながら思う。
 遥か昔、神様が争った挙句愛想を尽かした世界。黄昏の世界。
 そんな世界だから僕達はこんな不幸に遭うのだろうか。僕達に救いはあるのだ
ろうか。
 少年の取りとめもない考えは、虚空に立ち昇る煙のように浮かんでは消えた。

 ――――五年後。新暦九十五年。

 ――――ヴィルの眼には、延々と続く未舗装の道路と荒野が映っていた。

 ジープの後部座席から腰を浮かし、眼を眇めてみても目指す街は――まだ見え
ない。
 再び後部座席に座ると、ヴィルの隣の座席から、ねぇまだーと退屈そうな少女
の声が聞こえた。
 声の主は長く伸びた金色の髪を、細くしなやかな指で弄びながら、サファイア
色をした大きな瞳でヴィルを見つめている。
 マリー=アントワネット。ヴィルヘルム=ルイ=ブレゲの持つ金色の懐中時計
に宿る擬人である。元々は代々時計技師を生業としていたブレゲ家が、新暦以前
に修理を引き受けた懐中時計だったそうだが、今現在は両親の形見としてヴィル
が所持している。
「まだまだだ。あと、退屈そうだけど我慢しろよ。観光じゃないんだぞ」
 半分は自分自身に言い聞かせるようにヴィルは言った。
 そう――これは観光などではなく、実際に現場に赴き雑用等を行うことにより、
将来の仕事を疑似体験する、といった趣旨でヴィルの通う学校では定期的に行わ
れている研修の一環なのだ。在籍している科によって現場は様々だが、機械科に
在籍しているヴィルのような人間は、旧暦時代の機械――?ロストギア?の発掘
現場に回されることが多い。
「そんなことわかってるわよぅ。うう、お尻が痛い」
 型落ちのジープ自体の振動と、未舗装の道路による振動の所為だと主張するよ
うにマリーは眉を顰めて少し大袈裟に臀部を擦った。
「あーはいはい。腰でも少しずらしてれば良いんじゃないか。俺含め他のジープ
に乗ってる人もみんな我慢してるんだぞ」
「むぅ……」
 正論めいたことを言うと、マリーは妙な声を出しそっぽを向いた。
 以来――沈黙。
 ――まったく、何なのだろう。
 ヴィルは作業用のツナギを上半身だけ脱いで、両袖を帯のように腰に巻き結ん
だ。
 窓の外の景色を眺める。
 映る景色は先程と代わり映えのしないモノだった。

 

 目的の街へ到着したのは数時間後――夕暮れ時のことだった。
 街は、大きく――それでいて飾り気の無い茶褐色の山によって周囲を囲まれて
おり、山にはロストギア発掘のための穴が所々開いている。
 ――ゴツゴツという擬音が似合うような街。
 ヴィルは街に対してそんな印象を抱いた。
 時間差で出発していたジープが、全て街の入口へ到着し終えると、現場を統括
する中年の男性が一同の前に立った。
「それでは予定通り各々の荷物を宿泊施設に置いた後、発掘されたロストギアの
点検等を行うことにする。整備班が点検を行っている間、警護班は各人警護用ロ
ストギアを所定の場所へと移動させておくように」
 中年の男性は今後の日程を淡々と述べてゆく。
 やがて一通りの説明を言い終えると、中年の男性はでは解散と言った。
「んぅーやっと終わったぁー」
 整列していた作業員一同が方々に散ってゆくなかで、ヴィルの視界の端で金色
の髪がハラリと揺れた。
 見ればマリーが大きく伸びをしている。
「ねぇヴィル、これからどうす――イタッ! ちょ――何すんのよぅ」
 ――頭頂部に手刀で一喝。
「お前今の話全然聞いてなかったろ」
「う……。で、でも叩くことないじゃない」
「あのなぁ、まだみんなが解散し終えてないときに、そんな声出しながら背伸び
する奴があるか。現場責任者や講師に見られたら俺の印象まで悪くなるんだぞ」
「むぅ……。ヴィルはちょっと神経質すぎるのよ」
 マリーはバツの悪そうな表情を浮かべながらも皮肉を付け加える。
 代々時計弄りばっかりやってるから遺伝なんだろうな、とヴィルはそれをあし
らい歩を進めた。ジープに荷物を取りに行く為だ。

「とにかく、俺はジープから荷物を降ろした後、整備班の手伝いがあるから、そ
の間宿で大人しくしとくんだぞ。いいな?」
 振り向かずに注意を促し、返事を求める。
「えーっ。留守番なんて聞いてないわよ。私もヴィルと一緒に行く。行きたい」
 不満気な声を上げてマリーは主張した。
「一緒に来るって――無理言うなよ。第一、何でそんなに付いて来たがるんだよ
?」
「だって、ヴィルが今から行く発掘現場って、普通と違ってちょっと変わってる
んでしょ?」
「ん……まぁ、そうだけど」
 そういう部分だけは、確乎り聞いているのかコイツは。
 確かにマリーの言う通り、今回研修を行うロストギア発掘現場は、一般的な発
掘現場と比べると特異なモノなのだと、ヴィルは出発の際に講師から説明を受け
ていた。なんでも――保存状態が非常に良いのだという。
「でも、普通より少し綺麗ってだけで、あるのはただのロストギアだぞ」
「ヴィルにとってはそうでも、私にとっては?ただの?じゃないもの」
 宥めるような調子で言った言葉に対して、マリーの声が背後から吹いた風に乗
ってヴィルへと届く。
 透き通っていて、どこか寂しげな声だった。
 ――思わず振り向く。
 ヴィルより数歩下がった地点でマリーは歩みを止めていた。
「私にとっては……失くしちゃった記憶の欠片だもの」
 サファイア色の瞳が翳る。
 ――マリーは旧暦時代の記憶を失っている。
 外観は直っていても、内観は治ってはいないのだ。
「あ、いや……ごめん。お前がそんなふうに考えてたとは思わなくってさ……」
 ヴィルは取り繕うように言う。
 マリーは、別にいいのよと力無く首を横に振った。
 ――金色の髪が揺れる揺れる。
「あの……俺、整備班の責任者に頼んでみるよ。お前と一緒に発掘現場に行ける
ようにさ」
 だからそんな顔するなよな、とヴィルは心の裡で付け加えた。言葉にするのは
気恥ずかしかったからだ。

「ホントに……?」
 縋るような眼でマリーはヴィルを見つめた。
「ああ、ホントホント」
 ヴィルは半ば条件反射のように首を何度も縦に振った。
 するとマリーは、有り難うと言いニヤリと笑みを浮かべ――。
 ――――ニヤリ?
 何処か様子がおかしい。まさか……。
「ヴィルは昔っから女の子のこんな表情に弱いわよねぇー」
 そう言って先程の寂しげな表情をしてみせるマリー。
 ……嵌められた。
「自分の生い立ちまで利用するとは……なかなかえげつないなお前」
「あら、私は別に嘘は吐いていないわよぅ。発掘現場を見学して記憶の手掛かり
が見つかったなら、それはそれで御の字だと思っているのは本当だし。さ、それ
じゃあ早速行きましょ。まずはジープに荷物を取りに行くんだったわよねぇ」
 マリーは軽い足取りで、立ち尽くしたままのヴィルを追い抜いた。
「ちょ――ちょっと待てよ。やっぱりさっきの話は――」
「男に二言は――?」
 不敵に笑いながら振り向き、問いを投げかけるマリー。
 ああ、もう。
 先程と立場が逆転してるじゃないかまったく。
 ヴィルは自身の髪の毛を右手でクシャクシャにした。
「ない、ないよ。但し、さっき言ったようにちゃんと大人しくしておくんだぞ」
「はーい、わかったわよー」
 満足そうに言い、マリーは再び歩き出す。
 ――金色の髪が揺れる揺れる。
 ヴィルはその長い髪に牽かれるように後に続いた。

 

 2.

「うわぁ……! 広ーーい」
 夕暮れ時から続いた作業が終わり、辺りが薄闇に覆われた発掘現場にマリーの
澄んだ声が響く。
「ああ……改めて見るとやっぱり凄いな」
 続けてヴィルが同意するように言った。
 先程までの作業でヴィルは、整備班の荷物運びなどの雑務を任されていたので、
確乎りと発掘現場を視たのはこれが初めてだったのだ。
 ――それにしても。
 発掘という言葉が不適切に思えるほど綺麗な場所だと思う。
 発掘現場は街を取り囲む茶褐色の山――その内の一つに位置しており、山の中
腹に設けられた坑道と、山麓で発見されたロストギア搬入口の二箇所から向かう
ことができる。
 ヴィルはその中の、伽藍堂な空間を縁取るように造られた金属製のテラスから
発掘現場を俯瞰していた。テラスは坑道からの入口を進んで最初に辿り着く場所
である。
 テラスから俯瞰した一階部分は、凹凸の無い平坦な金属製の床が壁の端まで続
いていた。
 そして空間の中央部分には――白いロストギア。
「あれが今回発見されたっていう……」
「そう、ロストギアよ」
 ヴィルが呟いた言葉に被さるように声が響き、僅かに反響して消えた。
 柔らかで落ち着いた声だった。
「――えっ?」
 声のした方向へ顔を向ける。
 数メートル先に柔和な笑顔を浮かべる女性の姿があった。
 大きく優しげな翡翠色の瞳。アップにした藍色の髪。袖を捲った白いシャツに
デニム素材のパンツ。年齢は二十代半ばほどだろうか。

「あっ、ごめんなさい。お邪魔しちゃったかしら」
「いえそんなことは……」
「ふふ、なら良かった。どう? 現場を間近で見た感想は?」
 女性はヴィルに向かって歩み寄りながら言った。
「え、あ、はい、想像してたよりもずっと綺麗だと思いますけど……えと――」
 ヴィルは言い淀む。
 その様子を見た女性は白く細い首を傾げた後、何かに気付いたように両手をポ
ンと合わせた。
「あらら、私ったら――」
 そういえば自己紹介もまだだったわよね、と言って女性は続ける。
「私はアースラ=キスキード。?知識の大樹?――俗に言うタイジュで考古学者
として働いてるの。宜しくね」
 ――知識の大樹。通称タイジュ。
 ヴィルとマリーが現在暮らす首都ホッドミーミルを本拠地とし、旧暦時代の機
械――所謂ロストギアの発掘幇助、研究、生産からロストギアを悪用した犯罪や
、紛争の鎮圧などの軍事行動まで幅広く行う機関の名である。
「あ、お……自分はヴィルヘルム=ルイ=ブレゲです。タイジュ系列の学校の機
械科に在籍してます。こちらこそ宜しくお願いします」
 言ってヴィルは会釈をする。
 アースラは柔らかな笑顔でそれに答えた。
「機械科のヴィルヘルム君ね。よし、覚えたわ。ところで其方のお嬢さんは――」
 ヴィルの横に並ぶように位置取ったアースラは、僅かに不思議そうな顔をしな
がら視線を投げた。その先にはマリーの姿があった。
 長い金色の髪。機能性という言葉には縁遠そうな白いワンピース。
 視線に気付いたのか、マリーは辺りを興味深そうに見回していたサファイア色
の瞳を、アースラとヴィルに対して交互に向ける。
 恐らくヴィル達の会話など上の空だったのだろう。マリーは呆けた表情を浮か
べ首を傾げていた。
「あ、コイツはマリー=アントワネットって名前で、擬人なんです。これでも一
応」
 ――いやホント。こんなんでも一応。
 マリーの頭を軽く叩いてヴィルは苦笑する。
「一応は余計よッ一応はッ」
 呆けた表情から一転、唇をへの字に結び眉根に皺を寄せるマリー。
 むぅ、と不機嫌そうな唸り声。

「まあ、擬人さんだったのね。初めましてマリーさん。宜しくね」
「むぅ……宜しく」
 マリーは表情はそのままにボソリと言葉を返す。
「こらこら、アースラさんに失礼だろうが」
「私ならいいのよ、気にしないで。それにしても、二人とも仲が良いのね」
「腐れ縁ってヤツですよ」
 ヴィルはマリーの剥れた顔を一瞥する。
 それはこっちの台詞よとマリーは顔を背けた。
「あらあら。ヴィルヘルム君、女の子には優しくしてあげなきゃ駄目よ」
 優しく嗜めるようなアースラの声。
 ヴィルがたじろぐと追い討ちをかけるように、そうよそうよとマリーは賛同の
声を上げた。
 ――見た目は女の子でも、やはりコイツだけは例外だ。
「ふふ。あ――そういえばさっき言ってたけれど、ヴィルヘルム君は機械科なの
よね?」
 胸の辺りで両手を軽く合わせ、アースラは問うた。
「はい、そうですけど。それがどうかしましたか?」
「うーん……となるとやっぱり一度手続きを……いや、駄目だわもうすぐ夕食だ
し……」
 ヴィルが答えるとアースラは片手を頬に当て呟いた。
 ――考えを廻らしているのだろうか。
 思案に沈む姿は流石学者というべきか中々さまになっていた。
「……それに私が一緒に行けば……大丈夫よね。ねえ、ヴィルヘルム君」
 考えが纏まったのだろうか、アースラはヴィルに視線を遣った。
「あ、はい」
「折角だし、今から?アレ?見に行ってみましょうか」
 アースラは人差し指でテラスの下――白いロストギアを指し示した。
「いいんですか……?」
 驚きと好奇が入り混じった瞳をアースラに向ける。
 本来、研修生は現場の責任者によって見学で立ち入れる区域が指定されている
のだ。今回の場合、二階部分に縁取られたテラスのみが指定された区域であり、
それ以外の区域を研修生が見学しようとなると、相応の手続きを踏まなければな
らないのである。
「あらあら、心配しなくても大丈夫よ。私これでも結構現場での立場は上なんだ
から」
 アースラは少し悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「それじゃあ行きましょうか。私の後ろに確乎り付いて来てね。あ、マリーさん
も一緒にどうぞ」
 さっきから一所懸命辺りを見てたみたいだしねと言うと、アースラは踵を返し
テラスの突き当たりに設けられた階段へと歩き出した。
 ヴィルはマリーと一度顔を見合わせアースラの背後に続く。
 金属製のテラスは僅かに揺れていた。

 ちょうど先程まで俯瞰していた位置だろうか。
 テラスから伸びた階段を降りた先――金属製の床が敷き詰められた一階フロア
の中央辺りにヴィル達はいた。
 直ぐ近くに視線を向けると、石膏細工のような白いロストギアの脚部が眼に映
る。脚部は発掘現場に元々備え付けられていた拘束具によって固定されていた。
「どうかしら。遠くから見るのとはまた違った迫力があるでしょう?」
 直立不動の白いロストギアを見つめるヴィルの横顔をアースラは伺う。
「ええ、確かに」
 ヴィルは振り向かずに返事をした。
「ヴィルヘルム君は、ロストギアを間近で見るの初めてなのかしら?」
「えっと、作業用のロストギアならよく見ますし、何度か乗った事もありますけ
ど――」
「こんな外観のロストギアは見たことない、と?」
 ヴィルが言い終える前にアースラは言った。
 少し驚いた表情のヴィルを見ると、アースラはあ、ゴメンなさいと微苦笑いを
浮かべた。
「実はヴィルヘルム君とマリーさんが此処に来る前に、整備班の人達と同じよう
な会話になったの。それでつい――ね」
「整備班の人も知らないんですか?」
 それは意外だった。
 今回派遣されている整備班の構成員は、通常タイジュで技術者や機械工として
働いている人々であり、ロストギアに対する造詣も深い筈なのだ。
「ええ、皆さんそう言っていたわ。確かに珍しい外観よね」
 アースラは白いロストギアを見上げる。
 釣られるようにヴィルもそれに続く。
 流線型且つ細身のボディーにデュアルアイ式のメインカメラ。作業用ロストギ
アとも軍用ロストギアとも似つかぬ外観。
「ねね、ヴィル見て見てー!」
 アースラと共に白いロストギアを見上げていると、マリーの声が閉鎖空間に響
いた。

 視線を戻し周囲を見渡す。マリーの姿は見えない。
「あいつ……どこいったんだ?」
「ふふ、多分反対側にいるんじゃないかしら」
 微笑みながらアースラは言う。
「ヴィル〜早くー! こっちも凄いわよー!」
 今一度ヴィルを急かすようにマリーの声が反響する。
 どうやらアースラの言う通り、マリーはロストギアを挟んで反対側にいるよう
だった。
「――ったく、マリーのヤツ勝手にウロウロして」
「あらあら。けど、すっかり機嫌は直ったみたいね」
「まあそうなんですけどね……」
 ――まったく。気苦労が絶えない。
 ヴィルは声の聞こえる方角へ向かい、白いロストギアを周回するように歩を進
めた。ロストギアの付近は拘束具や、胸部の搭乗口に続く通路によって囲まれて
いるため、直進はできないのだ。
 歩き出して間もなくロストギアの背面へと辿り着く。
 マリーは金色の髪を揺らしながら、キョロキョロと周囲を見回していた。
「あ、やっと来た! 遅いわよぅ」
 ヴィルの姿を視界に捉えると、マリーは頬を膨らませ眉根を寄せた。
 開口一番これである。
「あのなぁお前――」
「ね、ヴィルあれ見て。凄いの、ロストギアに翼が生えてるみたい」
 コイツ聞いちゃいねぇ……。
 片手でヴィルの袖を引っ張りながら、マリーはロストギアを指し示す。
 ヴィルは訝しみながらもマリーの細い指先を眼で追った。

 ――――機械仕掛けの翼がそこには在った。

 小さく矮小で一見飾りのような一対の翼。折り畳まれた両翼には羽根を模した
フィンが幾つも収納されている。
 ――なにかしらの機能を持つ機関なのだろうか。
「あら、マリーさん。良い所に目を付けたわね」
 ヴィルの後方を歩いていたアースラが、感心するような口振りで言った。
 マリーはえっへんと得意気に唸る。
「あれ……何なんですか?」
 ヴィルはアースラに問う。
 見ての通り機械の翼よとアースラは悪戯っぽく笑い、さらに続ける。
「残念ながら今のところは何も解かっていないの。点検中、ロストギアを簡易起
動させてみても動作しなかったそうだし」
「動かないってことは壊れてるのかしら?」
 ヴィルとアースラの会話に挟まるように、マリーは疑問を口にした。
「うーんどうなのかしら。こればかりはホッドミーミルに搬送しないと何ともい
えない、といったところかしら」
 解からないことだらけね、とアースラ。
「でも綺麗。鳥――雛鳥みたい」
 嬉々とした表情のマリー。
 ――?雛鳥?。
 翼のことを言っているのだろう。
「雛鳥か。整備班の人達がMX‐00って型番で呼ぶよりも、愛嬌があって良い
わね、ふふ」
 賛同するようにアースラは微笑み頷いた。

 それとほぼ同時だっただろうか。
「おーい! そろそろ夕食の時間だぞー!」
 野太い男の声が発掘現場に響き渡った。
 ヴィルが周囲を見回すと、やがて二階部分のテラスの柵に寄りかかった男が視
界に入った。男はヴィル達に合図を送るように大きく腕を振っている。
「やば、夢中になりすぎてたかな。早く戻らないと」
「あらあらもうそんな時間。残念、もう少し時間があれば操縦席も見せたかった
んだけど、ゴメンなさいね」
 残念そうな表情をアースラは浮かべた。
「いえ、そんな。色々見学させて頂いて有り難うございました」
「こちらこそどういたしまして。あ、そうだわヴィルヘルム君。良かったら夕食
後も見学に来てみたらどうかしら」
「えっ!? 大丈夫なんですか?」
 探るようにヴィルはアースラの顔を窺う。
 ついさっきのやり取りみたいね、とアースラは笑った。
「私は残念ながら不在だけれど、警備の人達に話は通しておくわよ。今見れなか
った操縦席も見学するといいわ。複座式で変わってるんだから」
「わわっ、アースラ有り難う!」
「アースラさんだろうがッ」
 マリーの額に一喝。
 パチンと一度、高い音が閉鎖空間に鳴り響いた。
「じゃあアースラさん、俺達そろそろ失礼します」
「あ、ちょっと待って。ヘルマンさーん!」
 会釈をし、踵を返したヴィルとマリーをアースラは引き止め、テラスに向かっ
て声を張り上げた。
 名を呼ばれた男――ヘルマンは諸手を振ってそれに答える。
「宿に戻るならこの二人も一緒に連れてってあげてー! 車あるんでしょう?!」
 アースラは右手を口元に当て拡声器のようにする。
「あいよー!」
 僅かに間を置いて山彦のようにヘルマンの返事が届いた。
「ふふ、決まりみたいね。じゃあヴィルヘルム君、そういうことだから」
「は、はぁ……」
 ヴィルは戸惑いながら口にした。
「心配しなくてもいいわよ。ヘルマンさんはあんな風だけど話し易い人だから」
 テラスに立つヘルマンに向かいアースラは顔を向ける。
 ――あんな風とはどんな風なのだろう。
 ヴィルが幾ら見据えてもテラス上のヘルマンは矮小であり、様相を窺うことは
できなかった。

 

 3.

 灰色のジープで発掘現場を後にし、宿泊施設へと戻り夕食。
「おぅ坊主。今日は良く働いてたなぁ!」
「ほらほらもっと喰え! 残さず喰わねぇと現場でやっていけねぇぞう」
「コラコラ、未来の新人をあんまり虐めんじゃねぇよ。がはは」
 食事が始まるやいなや、ヴィルとマリーは周囲を男達に囲まれていた。
 揃いも揃って陽に焼けた肌と筋肉質な腕。身に纏った枯草色のツナギの右袖に
付けられた大樹に蛇が巻きついた絵柄のワッペン。彼等は全員、整備班の人間で
ある。
「あーすまんなぁ。五月蠅いかもしれんが勘弁してやってくれ」
 ヴィルが男達の言葉に顔を引き攣らせていると、周囲の輪を肩で掻き分けなが
らヘルマンが現れた。
 見ればヘルマンの両手には大皿が握られ、その上には色取り取りの料理が並ん
でいる。
「あれで結構ヴィル坊のこと歓迎してるんだぜ、っと」
 ヘルマンはテーブルを挟んでヴィルの正面に腰掛け大皿を置いた。
「ヴィル坊は止めてくれませんか。ヴィル坊は」
 ヴィル坊――。宿泊施設へ戻る道中に名前を聞かれ、答えるなりヘルマンによ
って付けられた渾名である。
「ん、そうか。じゃあヴィル男……いやヴィルっちも良いなぁ」
 ヴィルの視線から逃れるように、天井を見ながらヘルマンは独り言のように呟
く。
 普通の渾名が浮かんで来ないのだろうかこの人は……。
 諦めたように溜息を吐くと、ヘルマンはヴィルに向き直り、冗談だよ冗談と言
ってニヤリと笑った。
 これで整備班長だというのだから恐れ入る。
「……それで、こんなに人を集めて何かお話でも?」
 ヴィルは眉を顰めて不機嫌そうにヘルマンを見据える。
「いいや特には。まあ、強いて言えば世間話程度ってとこだな。それに少ない人
数で飯喰うより大勢で飯喰ったほうが楽しいだろう?」
「いやまあ……そうかもしれないですけど」
 これは――ちょっと違うような気がする。事実、周囲のテーブルからの視線が
痛い。
 ……本来ならば自分もあちら側にいる筈だったのだ。研修には定員が予め決め
られており、その都度ランダムで生徒が選ばれるシステムを採っている。今回の
研修では、ヴィルの顔見知りが一人もいなかったことが明暗を分けたのだろう。

「まあまあ、そう顰めっ面しなさんな。嬢ちゃんなんてほら――」
 ヘルマンは顎の先でヴィルの二つ隣を指し示した。
 顔を向ける。
「お嬢ちゃん擬人なのかい。いやぁ別嬪さんだねぇ!」
「いやいやそれ程でも有るわよぅ。まったく、小父様ったらお上手ね」
「マリーちゃん、この料理も旨いぞぅ!」
「わあっ――有り難う!」
 顔を背ける。
「……あれは例外ですよ。例外」
 流石、長い年月を過ごしてきただけの事はあるというべきか。マリーは適応能
力だけは高いのだ。無駄に。
「そうかい。まぁ、悪い例外ではないわな」
 ヘルマンは鼻を鳴らし、大皿に盛られた料理を頬張った。
「そういや発掘現場はどうだった? あのロストギアも見たんだろう?」
「え、あ――はい」
 料理を口に運ぶ手を止めてヴィルは答えた。夕食が始まってから初めてのまと
もな話題である。
「今回の現場に当たったヴィル坊……じゃなかった、ええっと――ヴィルは運が
良かったな。あんなロストギアはそうお目にかかれるモンじゃないぞ」
「アースラさんも言ってました。なんでも解らない事だらけのロストギアだそう
で」
 ヴィルが先程のお返しとばかりに皮肉っぽく言うと、手厳しいねぇと言ってヘ
ルマンは大きな両肩を竦めた。

「ま、実際のところその通りなんだけどな。外観はもとより、複座式の操縦席や
ら背部の翼状の機構やら、現行のロストギアとは異なる点が多い。あくまで予想
なんだが、ありゃあ実験機の類なのかもしれんな」
「実験機――ですか?」
 顎に生えた不精髭を撫でるヘルマンに向かい、ヴィルは僅かに身を乗り出した。
「ああ、実験機。でもってあの発掘現場は大方研究施設ってトコだろう」
 ヘルマンは続けて予想を述べる。
 ――実験機、研究施設。確かにそう考えると、謎の多いロストギアや保存状態
の良い発掘現場にも納得がいくように思える。
「まあ、最終的な判断はアースラさん任せだよ。しっかし、皮肉なもんだな。俺
達は新暦時代に生まれたってのに、大昔に造られた機械の事さえ満足に解りゃし
ない」
 思案に沈むヴィルに向かい、ヘルマンは冗談めいた口調で言って食事を促した。
「それは仕方ないですよ。ラグナロクの所為で旧暦時代の技術は殆ど失われちゃ
ったんですから」
 料理に添えられたサラダを咀嚼しながらヴィルは言った。
 そう――ラグナロク。旧暦時代に起こったこの戦争の所為で、高度であった文
明は滅び、過去の人々は地下へと移り住むことを余儀なくされたのだ。
「だよなぁ。戦争なんかやらかしたご先祖様のお陰で、俺達は今日も機械弄りに
精を出してる訳だ。でもま――」
 ヘルマンは芝居がかった身振り手振りを交えながら、ヴィルに言葉に頷き、な
おも続ける。
「こんな新暦時代でも、飯の旨さは旧暦時代に勝ってるぞぅ」
 言葉を結うとヘルマンはニヤリと唇の端を上げ、ヴィルの表情を窺った。恐ら
くヘルマンの瞳には、怪訝な顔をしたヴィルが映っていることだろう。
「味ですか?」
 ヴィルは咄嗟に数十秒前咀嚼したサラダの味を反芻させる。
 ――確かに美味しかったような気はしないでもない。
「ん、そうだ。長い地下生活のお陰で、食料に関する研究は旧暦時代よりも進ん
でるからな。旨い筈だぜ、大昔よりも。怪我の功名っていうのかこういうの」
「それはちょっと違うような……」
 まあ、言いたい事は何となく解る。要するに――。
「ま、要するに前向きに生きろってこった」
 そういうことなのだろう。
 どう足掻いても過ぎた事象は元には戻らないのだ。
 ならば、過ぎた事象を悔やむよりも、物事の見方を変えてこの時代も楽しむほ
うが有益である。

 ――と、そんなことをヴィルが思慮していると。
「ねえヴィル、ヴィルってば」
 マリーの声。続いて肩が揺すられる。
「何だよ、ってか肩揺するなって」
「何だよじゃないわよ。もう一度、発掘現場見に行くんじゃなかったの?」
「え――?」
 肩を揺すられながらも、ヴィルは食堂内を見回す。
 やがて視界に捉えた壁掛け時計――その針は八時四十五分を指し示していた。
 ――拙い。
「みんなもう食事食べ終わっちゃってるわよ。残ってるのヴィルだけ」
 マリーは腕組みしながらヴィルを見据える。視線が痛い。
「おー勉強熱心だねぇ」
 正面から様子を見ていたヘルマンが暢気な声を上げた。
 何時の間に食べたのだろうか、見ればヘルマンが持ってきた大皿には料理の跡
形すらない。
「ええまあ。マリー、ちょっと待ってろ。一気に片付けるから」
 適当な返事を返すとヴィルは一度大きく深呼吸をし、盛られた料理を口へと掻
きこんでいく。
 肉、肉、ご飯、肉、ご飯。
「よひっ!」
 一通り料理を食べ終えると、ヴィルは料理を口内に詰め込んだまま席を立ち、
背後で腕組みをしているマリーを促した。
 もうっ! と唸ってマリーはヴィルの後に続き出口へと向かう。
「まあなんだ、気を付けて行きな」
 ヘルマンは苦笑しながらヴィルの背中に手を振る。
 ヴィルは振り返り頭を軽く下げ、マリーはヘルマンを真似て手を振ってそれに
答えた。

 ■■■

「NO−02。どうだ、様子は?」
 短髪で眼つきの鋭い男は独り言のように呟く。
「特にこれといって動きはないな。警備用ロストギアが三機、入口を取り囲んで
るよ」
 間を置いて何処からともなく届く返事。
 ――――夜。
 街外れの小高い山にロストギアの機影が三つ。
 それぞれの操縦席には薄手のパイロットスーツを着た男達が乗り込み、無線に
よりやり取りを行なっていた。
「はぁん、こっちと同じく三機かよ。ま、オレらにとっちゃザルだな!」
 短髪の男の操縦席にあるモニタ上に『NO−03』と表示されたブラウザが開
くと、高揚した若い男の声が聞こえた。
 ああ、そうだな、と短髪の男は同意してモニタを一層鋭い眼つきで見詰めた。
モニタにはNO−02から送信されてきたデータが整然と並んでいる。
「ふん、この戦力差なら小細工は要らんな。NO−02、索敵は止めだ。二十一
時ちょうどに三機で奇襲をかけるぞ」
「あいよ」
『NO−02』と表示されたブラウザから抑揚の無い返事。
「いいねぇ! 人様が汗水垂らして見つけた宝物を掠め盗っていくのはさぁ」
 短髪の男の言葉に反応して、NO−02とは対象的な声が『NO−03』のブ
ラウザから響く。
「まったくだ、この機体さまさまってとこだな」
「さて、御喋りはそこまでしておけよ」
 二人のやり取りを制して、短髪の男はモニタ上の時間を再確認する。
 ――二十時五十九分。
 そろそろ頃合いか……。
「――いくぞ。時間だ」
 言って短髪の男は作戦開始を告げる信号を二機に送信する。
 ――二十一時。
 三機のロストギアは一斉に荒れた山肌を滑り降りた。

 

 4.

 街外れの発掘現場へと続く未舗装の道。
 無機質な闇夜を染め上げるように立ち昇る紅蓮の炎を、ヴィルは眼にしていた。
「なんだ……あれ……」
 脚を止めて独り言のように呟く。
 炎はヴィルとマリーが向かっている発掘現場の方角から立ち昇っているようだ
った。顔を向けると熱帯びた風がヴィルの頬を掠めていく。
 嫌な風、嫌な臭いだ。
「……ヴィル」
 着ているシャツの袖を握り締める鹿細い指。連れ添い歩いていたマリーは不安
そうな瞳でヴィルを見上げていた。
「大丈夫。とにかくまずは人を呼びに行こう」
 マリーを安心させるように、そして自分に言い聞かせるようにヴィルは言った。
 ――瞬間。
「ッッ!?」 
 不規則に振動する大地。響く重低音。
 地震? 否、これは天災の類ではない。これは――。
「マリー! こっちだ、早く!」
「えっ!? キャッ!」
 ヴィルはマリーの華奢な腕を強く握り締め、咄嗟に視界に入った岩陰に身を隠
す。
 同時に一段と大きな重低音と振動、舞い上がる砂埃。そして――ロストギアの
姿。
 現れたロストギアは計五機。その内の二機はタイジュ製警護用ロストギアであ
り、残りの三機は見馴れない外観をした灰色のロストギアだった。
「戦って……る?」
 ヴィルが岩陰から顔を僅かに出して覗き見ると、二機の警護用ロストギアは腰
部の兵装ラックからスタンロッドを取り出し身構えていた。対して三機の灰色の
ロストギアは、その瀟洒な体躯を無雑作に動かし、警護用ロストギアとの間合い
を詰めていく。

 張り詰めた弦の如き両者の対峙。
 やがて――その均衡を破ったのは警護用ロストギアだった。
 警護用ロストギアは、互いの背中を合わせ背後を守りつつ、右太腿部の兵装ラ
ックから取り出した自動式拳銃で灰色のロストギアを牽制し、ヴィル達が歩いて
きた方角に向かい後退していく。
「誘き寄せている……? もしかしてあの灰色のロストギア、盗賊か……?」
「盗賊って……じゃあ」
 マリーはロストギアが現れた方角を見遣る。その先には闇夜を侵蝕するように
揺らぐ紅蓮。
「だろうな。多分、あの発掘現場が狙われたんだ」
 恐らく――あの二機の警護用ロストギアは、物資が格納されている発掘現場か
ら、盗賊を遠ざけるために交戦していたのだろう。
「ヴィル……どうしよう」
「クソッ――」
 今、来た道を戻れば再びロストギア同士の戦闘に遭遇する可能性が高い。それ
だけは避けなければいけないだろう。先程は運良く遣り過ごす事ができただけな
のだ。次も無事で済む保証は無い。
 ならば――。
「そうだ……ロストギア」
「ロストギア……? でもロストギアは今先刻――」
「ああ。でも、先刻見た警護用ロストギアは二機だったろ? 今回派遣された
警護用ロストギアは三機なんだ。恐らくあと一機は発掘現場を護っている筈だよ」
 そう――警護用ロストギアに保護されれば、身の安全を確保することができ、
状況を確認することもできる。
「とにかく急ごう。此処に居るとまたロストギアが戻ってくるかもしれない」
「う、うん……」
 岩陰から身を乗り出し、マリーの鹿細い手を掴んで促す。脚を踏み出そうとす
ると、ほんの一瞬マリーは躊躇した。
 怖いのだろうか。
 怖いのだろう。
 ヴィルは闇夜に対比を描くように白いマリーの手を、強く握り締めると同時に紅
く染まる地平へと駆けた。まるで――不安や恐怖を振り切るように。
 その途中――吸い込んだ風は硝煙の臭いがした。

 

 荒れた山道を駆け抜け辿り着いた発掘現場。
 山肌に生えた枯木は燃え盛り、紅い世界に紅い花を添えている。
 ロストギアは何処に居るのだろう……。
 ヴィルは両肺を焦がすような熱風に噎せ返りながら周囲を見渡す。
 ――と、それは直ぐに双眸に映った。
 発掘現場を内包した小高い山の山麓に露出した搬入口。その分厚い金属の扉に寄
り掛かる、四肢をもがれ大破した警護用ロストギアの姿。
 警護用ロストギアの周辺には空薬莢が雑然と転がり、残された胴体部分には無数
の銃創が付いていた。
「嘘……だろ……こんな事って……」
 ――信じられない。
 旧型とはいえ現在でも軍で運用されているロストギアが、盗賊の駆るロストギア
によって撃破されたというのか。
「……非道い」
 微かに掠れたマリーの囁き。
 見ればマリーはヴィルの傍らで茫然と立ち尽くしていた。
「……そうだ、操縦者は」
 ヴィルは大破した警護用ロストギアの胸部を注視する。
 胸部は銃創こそ無いものの、強い力で押し潰されたかのように変形していた。
 ――息は有るだろうか。
「あっ! ヴィル、待って!」
 マリーの制止を聞かず、ヴィルは警護用ロストギアへと駆け寄る。凹凸の有る銃
創に手を掛け胸部へと攀じ登ると、胸部ハッチ付近に備え付けられたハッチ開放用
レバーを探し当て握り締めた。
 ――熱い。炎によってレバーが熱されているのだろう。
「開けッ――」
 ヴィルは構わずにレバーを手前に引き抜く。
 数瞬の間を置き、胸部ハッチは音と共に半分ほど開いた。ヴィルはその隙間へ上
半身を滑り込ませる。
 薄暗い操縦席には警護班のパイロットスーツを着た中年の男が、血反吐を吐き力
無く突っ伏していた。
 息は――既に無かった。

「ハァ……ハァッ、ヴィル、中の人は――?」
 後を追って駆けてきたマリーは、肩で息をしながらヴィルを見上げた。
 ヴィルは胸部ハッチの隙間から這い出ると、マリーに向かって無言で首を横に振
る。
 頭髪に付着した灰がハラリと舞い落ちた。
 ――その時。
「…………?」
 炎が燃え盛る音に紛れて、単調な電子音がヴィルの耳に届いた。
 マリーから視線を外して胸部ハッチへと振り返る。
 聞こえる電子音は幾分大きくなった。
 これは……通信機のアラーム音か……?
 今一度、ヴィルは胸部ハッチの隙間へと身体を滑り込ませる。操縦席には先程と
変わらぬ光景。その中で――通信機は中年の男の足下に生じた血溜まりに浸かりな
がら、己が存在を主張していた。
 壊れていない。動いている。
 ヴィルは思い切り腕を伸ばし、血溜まりから通信機を拾い上げる。
 紅く染まった指で通話ボタンを押す、と――。
『三号機操縦者、ロストギアからの通信が途絶しているようだが、一体どうなって
いる? 現在の状況を報告せよ』
 男の声が響いた。
 ヴィルは通信機を耳元に引き寄せる。
「あ、あのっ! 発掘現場に着いたらロストギアが壊れてて、操縦者の男の人も死
んじゃってて大変なんです!」
 堰を切ったように溢れる精彩を欠いた言葉。
『どういうことだ?! そもそも君はそこで何をしている?! 答え給え』
 通信先の男は狼狽しながら、ヴィルに向かって声を荒げた。
「俺は研修に来た学生ですッ! そんな事よりも今は――――」
『俺だ。判るか?』
 ヴィルが言葉を結うのを待たずして、低く野太い声が問うた。
 この声は――ヘルマンか。 
『済まんな。今こっちも状況確認に追われててな、少々冷静さを失ってる奴が多い
んだ』
「ヘルマンさん、一体どうなってるんですか? 他のロストギアは?」
『まあ落ち着け。状況はだな、警護用ロストギアは発掘現場を南下しながら敵ロス
トギア三機と交戦中――なんだが、五分前の連絡を最後に通信が途絶してる。安否
は現在のところ不明だ。宿泊施設に居たウチの職員達は、街に出て住民を避難させ
て回ってるよ』
 少々急ぎ早にヘルマンは状況を述べた。
 警護用ロストギアの通信途絶、住民の避難。発掘現場のみに限らず事態はどこも
切迫しているのか。

 ……俺達は一体どうすればいい。
「――ィル! ヴィル!」
 状況を聞きヴィルが逡巡していると、外でマリーが声を張り上げた。
 何事かとヴィルは通信機を一度耳元から離し、半開きの胸部ハッチから抜け出す。
 外界には――規則的な重低音が響いていた。
「段々と音が近付いてきてるの! この音ってもしかしたら先刻のロストギアなん
じゃ……」
 マリーの言葉に背筋が張り詰める。
 警護用ロストギアの上から音の聞こえる方角を看破する。

 ――――無彩色の世界の中で、猛禽の双眸のようなメインカメラが紅く光を放っ
ていた。

 視線を交えると恐怖で身が震える。
 闇夜に浮かび上がるメインカメラのシルエットは警護用ロストギアのそれではな
い。あれは――盗賊の駆っていた灰色のロストギアのモノである。
「マリー!」
 ヴィルは驚愕し大きく見開いたままの瞳でマリーを見据える。
 その表情と口調からヴィルの意思を汲み取ったのか、マリーは力強く一度頷くと、
虚空に向かい陶器のような手を差し伸べた。
 ヴィルは警護用ロストギアの上から一気に飛び降り、その手を取ると同時に大地
を蹴る。
 もう逃げる場所は一つしか残されていない。
 ヴィルとマリーは警護用ロストギアの残骸が寄り掛かる金属製の分厚い扉の左手
――小高い山の中腹へと続く緩やかな坂道を駆け上る。
 奔る度に大きくなる重低音。
 やがて坂道を登り終えると、ヴィルとマリーは山の中腹に設けられた短い坑道を
潜り抜ける。
 その先には――伽藍堂な空間を縁取るように造られた金属製のテラス、壁の端ま
で続く凹凸の無い平坦な金属製の床、そして白いロストギア。
 直線で形作られた閉鎖空間は変わらぬ佇まいのまま其処に在った。
 が。
「キャッ! 何……この音!?」
 その平静は長くは続かなかった。
 唐突に響くドン、という衝撃音。
 衝撃音の発生源は一階部分の金属製の分厚い扉からだった。
『おぅ、流石に頑丈だねぇ。アハハハ!』
 扉を隔てて漏れ聞こえる、ロストギアによって増幅された高揚した男の声。
 まさか……扉を破壊しようとしてるのか……。

『――い返事しろ! 聞こえてるか! 何があった?! おいヴィル!』 
 ヴィルが分厚い扉を注視していると、左手に持った通信機からヘルマンの呼び掛
けが聞こえた。
 通信機を耳元へと近付ける。
「ヘルマン……さん」
『無事……だったか。急に返事を返さなくなったから、どうしたかと思ったぜ』
 ヘルマンは安堵した口調で言った。
 無事。
 確かに無事である。
 だが数分後の自身はどうなのだろう。
『ん、どうかしたか?』
 反応の乏しいヴィルを怪訝に思ったのかヘルマンは疑問を口にする。
 だがその問いは、一階部分から断続的に響き続ける衝撃音によって、ヴィルの脳
内から掻き消される。
 僅かに歪む金属製の扉。
 扉越しに響く男の声。
 もう逃げ道は無い。
 ならどうすればいい。
 なら――。
「ヘルマンさん」
『なんだ?』
 ――眼に映るのは、機体を拘束され直立した白いロストギア。
 ヴィルは手に持った通信機を、一層強く握り締めてヘルマンに言った。
「あのロストギアは動くんですよね……?」
『あのロストギアぁ?』
「俺……あれに乗ります」
『何言って……ってまさか! おいヴィル、お前今何やってる?!』
 ヘルマンはヴィルの発した言葉に狼狽えながらも問い詰めた。
 ヴィルはそれには答えない。
 その様子から只ならぬ気配を感じ取ったのか、通信機越しにヘルマンの苛立つ声。
『ああ糞ッ! とにかく今から俺がそっちに向かう。いいか、莫迦な事考えるじゃ
ないぞ!』
 行動を制すように早口で捲くし立てるヘルマン。
「ヘルマンさん――ゴメンなさい」
 そんなヘルマンに向かい、ヴィルは一言だけ言って通信機を耳元から離した。

 通信機越しからヴィルを呼ぶ声が、段々と小さくなっていく。
 金属製の扉から響く衝撃音が、段々と大きくなっていく。
「ヴィル……行くの?」
 通信機での遣り取りを背後で聞いていたマリーが口を開いた。
 ヴィルはマリーに向かって踵を返し、肯定の意味を籠めて首を縦に振ると、一階
部分へ続く階段へと促した。
「あのさ、ゴメンな」
 階段を駆け下りて一階部分の中央へと向かう途中、ヴィルはマリーに横顔を一瞥
し言った。
「どうしたのよぅ? 何で急に謝るの?」
「いや、なんとなく……」
 もし、この発掘現場を見学しようとしなければ、マリーをこんな目に遭わせる事
は無かったかもしれないと思うと後ろめたかったのだ。
「私、気にしてなんかいないわよ。だって私はヴィルの擬人だもの――」
 傍に居るのは当たり前でしょ、と。
 言い淀むヴィルの顔を見詰めながら、マリーは場にそぐわぬ軽やかな笑みを浮か
べた。
「あ、えと……有り難う」
 少し気恥ずかしい。
 だが、有り難かった。
 だからもう――無くしたくないと思う。
 五年前のあの日のように。

 閉鎖空間の中央――聳え立つ白いロストギアへと辿り着き、ヴィルとマリーは白
いロストギアの胸部ハッチへと続く、簡素な金属製の階段を駆け上り、ハッチ開放
用レバーを引いた。
 機械音と共に胸部ハッチが口を開ける。内部の操縦席は上段と下段の二段構成に
なっていた。アースラやヘルマンの言葉通り、複座式である。
「操縦桿が付いてるのは下段だけなのか……?」
 操縦席は上段と下段に分かれてはいるものの、操縦桿や各種機器が搭載されてい
るのは下段部のみだった。対して上段部は、モニタこそ備え付けられてはいるが、
本来操縦桿が存在している筈の空間は、手の平大の平坦なパネルになっている。
「よし、マリーは上段の操縦席に座ってくれ。俺は下段に座る」
「う、うん。わかった!」
 設計意図は解らないが、この際問題ではない。今はこの場から逃げる事が先決で
ある。
 ヴィルは、マリーが上段部の操縦席に座り終えるのを確認すると、下段部の操縦
席に乗り込みハッチを閉鎖する。操縦桿の右下に挿し込まれたキーを半回転させる
と、薄暗い操縦席内に明かりが灯る。
≪お早うございます。起動シーケンスを開始します≫
 正面モニタに起動画面が映ると、それと同時に冷淡で抑揚の無い女性の声が言っ
た。搭載されたAIなのだろう。
≪各関節駆動確認、操縦者との同期確認……≫
 AIの言葉と共にモニタには複雑な文字列が流れては消えていく。
「ちゃんと動くの……?」
「ああ、操縦方法は作業用ロストギアと変わらないみたいだ」
 ヴィルは操縦桿の感触を確かめる。
 あとは――逃げる手段だ。
 ロストギアを街を囲む山々の間へと奔らせて、各所に掘られた坑道へと身を隠せ
ば灰色のロストギアを遣り過ごす事ができるだろう。その際にロストギアを、なる
べく街から外れた場所に乗り捨てれば、住民の安全を確保する事も可能だ。
 だが――それにはまず、金属製の扉を隔て立ち塞がる、灰色のロストギアを退け
る事が不可欠である。
「クソ……まだ起動しないのかよ!」
 勝機が有るとすれば――それは一つ。扉が打ち破られた瞬間に不意打ちを仕掛け
るしかない。此方には武装の類は何も無いのだ。
『お、もう少しって感じだなぁ!』
 一際大きな衝撃音。
 サイドモニタに映った映像を観ると、扉の中央部分が大きく歪んでいた。
 ――もう時間が無い。

≪……起動シーケンス終了、各システム異常無し。呼称確認。初期起動のため、機
体及びAIの呼称を設定してください≫
 瞬間、AIのアナウンスが流れ、正面モニタにメインカメラからの映像が映し出
される。
 名前。
 そんなモノ、後からでも構わないだろうに。
「――――雛鳥ッ!」
「えっ?」
 ヴィルが逡巡していると、上段部に座ったマリーが敢然として言った。
 上段部を見上げると、マリーは良い名前でしょう? と得意気に微笑んだ。
≪呼称確認。型式番号MX−00 多目的人型ユニット 雛鳥、起動します≫
 ――動く。
 両手両脚を駆使し、拘束具を力尽くで引き剥がす。
≪センサーに反応有り。パターン照合、、、人型ユニットです。距離五〇、IFF
応答無し。敵機として識別しますか?≫
「――ああ」
 ヴィルは汗ばんだ手で操縦桿を握り締める。
≪了解。人型ユニットを敵機と識別、戦闘行動を開始します≫
 淡々と状況を告げていく雛鳥の声。
 ――もう戻れない。
 引き剥がした拘束具を武器代わりに握る。
 身を低く屈め、鎌首を擡げる。
 衝撃音、歪む扉、覗く外界。
「……来る!」
 ヴィルは足下のペダルを踏み締め、雛鳥を奔らせる。
 ――扉の軋む音。
 ――翼の軋む音。
『!? 何だ!?』
 灰と白の邂逅。
 驚愕した男の声。
 間合いを詰めた雛鳥は、灰色のロストギアに拘束具を叩き付けた。

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