イカリングその2(29停止目)

the raining days

 

19XX年 6月12日

この時期はいわゆる梅雨。
梅雨とは日本において見られる特有の気象で、
5月から7月半ばにかけて毎年めぐってくる雨の多い期間である
夏休みを前にした一番じめじめしたいやな時期である。

いつもの様に起きて窓をのぞき確認する、までもない
このざあざあと騒々しく鳴り響く雨の音が物語る。
ベッドから起床すると学校にいく準備を始める。
今朝のメニューはトーストとオレンジジュース
食べ終えると勉強机に立てかけてある黒い鞄を持つ
いつもの日課だ、そして雨の日のお供
お気に入りの黄色い傘を持って元気よく「いってきます。」
僕は雨坂 雄時、どこにでも居る中学生だ
僕が通う『もし時中学校』は家からそう遠くはない
学校へ到着する前に幼馴染の麻紀と会い、一緒に歩く

「ねえねえ、聞いた? 最近、喪男山の展望台に幽霊がでるらしいよ?」
いかにも好奇心旺盛な彼女が好きそうな話題である、
まあ、その僕もその部類に含まれるのだけれども。

「へえ、どんな幽霊なの?」
「それがねえ、かわいい女の子の幽霊らしいの
雨の日にいつも独りでいるらしいよ」
「へえ、なんでまた雨の日なんかに?」
「さあ、雨に未練でもあるんじゃない?」
「一緒に行って確かめてみようよ!!」
彼女は、ええ〜! と驚いた様に目を見開いて俯いて考え始めた
「いいよ、じゃあ学校が終わってから校門の前でね。」

気が付くと僕らはもう既に校門の前まで来ていたようだ。
校舎にはいり、「放課後ね。」と言い残しそれぞれのクラスへと向かう。

1年生の頃まではずっと一緒のクラスだったのだが2年生に上がって別々のクラスになってしまった、だからと言って家が近いのでよく会うことに変わりは無いのだが。

待ち遠しかった放課後がやってきた。
麻紀との待ち合わせの時間である。
急いで荷物を鞄の中に入れると徐に走り出した。
昔から幽霊だの怪物だのそういうものには興味があった。
雨の日に現れる幽霊、この目で確かめてみなくては!!
と、僕は張り切っていた。
だが校門に居たのは麻紀とその愉快な仲間たち。
「ごめ〜ん、今日はこの子達の家に遊びに行くからまた今度ね」

・・・・
そんなあああ!!
期待が大きければ失望も大きいわけで僕はがっくりとうな垂れて校門を後にした。

帰り道、とぼとぼ歩く僕を雨が傘の上から叩く。
「まったく、なんだよ麻紀の奴、行くって言っておいて・・・」
独り言を言いながら歩くしがない中学生が此処に一人・・・
「あああ、もう!! こうなりゃ一人でいってやる!!」
誰に言うでもなく叫んで、僕は喪男山の展望台に向かった。

雨の中の喪男山は蛙の鳴き声と雨が木々を叩く音であふれていた。
それはまるでオーケストラ、
互いに違う旋律が絡み合うハーモニーを生み出し音を成す。
その自然が生み出す音楽ははしゃぐ僕の心をさらに躍らせる。
さあ、もうすぐで展望台だ!!
最後に出てきた短い階段を一気に駆け上り開けた場所にでる。
そう、噂の展望台に。

そこには・・・
誰も居なかった。

拍子抜けである。
またもや期待を裏切られた様な気持ちになる。
また大きくうな垂れ柵の所まで歩み寄る。
「なんで、雨の日にこんな所にきちゃったんだろうなあ・・」
はあ、とため息を吐く。

「あら、雨は嫌い?」
「当たり前だよ、雨が好きな人なんているわけ・・・」
んっ? まてよ、僕はいま誰と話している?

「うわああああっっ!!!!」
傘が手からすべり落ちる
絶叫と共に振り返る、心臓はこの時点でもうオーバーヒートしそうである。
「あら、いきなり叫ぶなんて変な子ね。」
そこには僕と同い年くらいの知らない女の子が微笑んでいた。
さっきの恐怖とは違う驚きが全身を駆け巡った。
心臓の鼓動がさらに速くなる。
彼女は僕の横に並ぶと柵に手を掛け、目をつぶり上を向いた。
否、空を仰いだ。まるでこの空から降る無数の雨をその体に受け止めるかの如く

神秘的、という言葉がこれほど当てはまる人物は他に居ないだろう。
真っ白い肌に黒ながの髪、仄かに赤いピンク色の唇、
その顔はぞっとするくらい整っていて綺麗だった。

僕は彼女に見とれていた、
そこには思考はなく、ただただ美しいモノに惹かれる様に。
彼女がこちらに振り向いて目が合う、
とっさに目をそらして下を向く
恐る恐る顔を上げるとその少女は僕の顔を見ながら微笑んでいた。
「雨は嫌い?」
女の子は再び尋ねた。
僕が答えを返す前に少女は続けた。
「雨はね、世界の全てを映してるんだよ
  小さな雨粒のひとつひとつが景色を映して次の雨粒に届ける
    見えないだけで本当は映っているんだよ、私達が見ているずっと向こうも
       その先も、またその先も。 綺麗な光と一緒に。」
「良いモノ見せてあげる」
女の子はそう言うと、僕の手を握り小さく「眼を瞑って」と呟いた。
僕は静かに眼を閉じた。 
彼女が手を離す。
そしてその瞬間、周りの雨が地面を叩く音がやんだ気がした。
まるで、時が止まったかの様に。
眼を開けてみる、そこには微笑む彼女と広大な空に満遍なく広がる光の粒たち。
それはまるで星のような輝き、お互いに光を反射しあい幻想的な空間を作り上げていた。
「うわああっ・・」
感動のあまりに声が漏れる、この世の物とは思えない様な絶景の前にただただ立ち尽くしていた。
「綺麗でしょう?」
彼女は微笑みながら尋ねた。
「うん、すごく綺麗だ・・・」
「そう、よかった
だけど今日はここまで
明日またいらっしゃい。」

彼女が言い終わった瞬間、全てが再び動き出した。

雨は冷たく体を撃ち、周りには雨が作る雑音だけがそこにあり彼女は霧のように消えてしまった。
唐突に理解した、
「そうか、僕は幽霊に会ったんだ。」


次の日に僕が風邪を引く言うまでもない。

あの日を境に、雨の日は放課後に展望台に行き彼女に会う事が日課となった。
朝に麻紀と一緒に学校へ行き、学校が終わると喪男山の展望台へ向かう。
そこには決まって彼女が居て、二人で他愛のない話をするのだ。

実は彼女は幽霊ではないらしい、
彼女曰く『自分は精霊のようなもの』、だそうだ。
だが、彼女は見た目も性格も普通の人間の女の子となんら変わりはなかった。
まあ、確かに神秘的な雰囲気を纏っていると言う意味では彼女が精霊と言う事も強ち嘘ではなさそうだ。
「ねえ、ちゃんと聞いている?」
「ん? ごめん、何の話だっけ?」
「もう、この前ね、夜遅くに大人の男の人と女の人がここに来てたの
  それでね、ピッタリくっ付いて何かしてるから様子を見に行ったの
   そしたら女の人と眼が合ってその人、いきなり悲鳴をあげて走って何処かに行ちゃった。」
彼女は笑いながら言っているが、向こうからしてみれば冷や汗ものの怪談だろう。 
「それはきっと君が突然現れてびっくりしたからだよ」
「へへえ、人間ってほんとにびっくりしやすいよねえ」

いつもの様に彼女の『人間観察』で談笑し、共に時間をわかち合う。
だが、それも永遠には続かない、
彼女はある程度の時間を僕と過ごし、終わりが近づいてくるといつもこう言う。
『良いモノ見せてあげる』、と
そして止まった時間の中で幻想的な雨の景色を見て別れる。

僕は彼女について何も知らない。
彼女が本当に精霊なのか、それも僕には分からない。
何故、雨の日に必ずここに居て僕にあの景色を見せてくれるのだろう?
なんだか聞いてはいけない様な気がして聞けなかったのだが、
それで良いのかもしれない、理由など関係ない
いま、僕たちはここに居て同じ時間を共有して等しくこの雨の振動を感じ
等しくあの景色を見ているのだから。
そう、僕は思っていた。

だが、人間とは強欲な生き物である。
何かを手に入れても更に欲する。
僕が彼女の事をもっと知りたいと思うのにそれほど時間は掛からなかった。

そんな想いを抱えて展望台への階段をゆっくりと上る。
思ってみればここに通い続けてもう1ヶ月になる、
もうすぐで待ちに待った夏休みだ、これでもっとここにいられる。
などと考えながら僕は展望台に着いた。
そこにはいつもと同じ様に立っている彼女。
そして、同じ微笑、似たような会話、笑い。
だがいつもとは違う感情が僕の中に一つあった。
「ああ、そういえば 僕の学校もうすぐで夏休みなんだ
    だからもっとここに居られるようになると思うよ」
何気なく言った一言、だがそれを聞いた彼女はほんの一瞬
それこそちゃんと見ていなければ見逃してしまうほどの刹那、
彼女はとても、悲しそうな表情をした。
だが、すぐにもとの彼女の表情にもどり返事を返す。
「ん〜とね、私も言い忘れていたんだけどね
    私、もうすぐで君に会えなくなっちゃうの」

え?

「そんなっ?! 急に何で?!」
「ごめんね、前から言おうとしてたんだけれど・・・
私は雨の季節の間しか居られない・・・     
これは運命なんだよ、もう決まっていて覆す事はできない」
「そんな・・・ なんでだよ・・・」
僕は泣きそうだった
「雨は空から地上に降り、その小さな体にこの世の中の全てを映す
    でもね、最後には地に落ちて水溜りになりやがて消えてしまう
        空から綺麗な景色を映せるのはほんの刹那だけ
              始まりがあれば終わりは必ずあるものだもの」

そういう彼女の顔に先ほどの笑みはなく、その表情は痛々しいほどに悲しみに満ちていた。
「ごめんね・・」
彼女はそう呟いた。

僕は走り出していた、現実から逃げたくて
彼女が居なくなってしまうという事実から逃げたくて。
雨の中をひたすら、当てもなくがむしゃらに走り続けた。
気が付くとそこは自分の家の前。
ずぶ濡れになり意識はぼうっとして僕は家に入るなり玄関で倒れた。


目を覚ますとそこは自分の部屋。
そうだ、僕は玄関で倒れてしまって母さんにベッドまで運んでもらったんだ。
どうやら熱があったようで長く眠っていたらしい。
時計を目をやると針は4時30分を指していた。
どうやら母さんは買い物に行っているようだ。
重い体を起こして、リビングに行きテレビをつける。
そこには天気予報士が何やらボードを使って説明している所だった。
「ええ〜、長く続いた今年の梅雨の季節ですがいよいよ終わりに近づいてきた模様です。
      早く雨続きとお別れして夏を満喫したいですね、それではまた来週」

お別れ?
何故、この言葉が心に引っかかるんだろう?
何か、大事なことを忘れているような・・・

『 私、もうすぐで君に会えなくなっちゃうの 』

あっ!!
再び時計に目をやると時刻は4時56分。
『展望台にいかなきゃ!!』
その言葉だけが頭の中に響いた。
言葉どおりそのまま家をでると僕は展望台に向かった。
途中にある山道を走る、息が乱れてまともに呼吸できないが構うものか、
休んでいる暇はない。
いま行かなければ彼女にはもう会えない
根拠のない直感の様な物だが確信に似た何かがあった。
最後の階段を走って上りきり展望台にやっとの思いで届く。

だが、そこに彼女は居なかった。
あったのは吸い込まれそうな位に大きな夕日とそれに紅く染められた空だけだった。
人っ子一人居ない空虚な空間に溶けこんだ紅い色がより一層、孤独を強める。
「うわあああああぁぁぁぁ!!!!」
僕は泣いた、獣の様に後悔を叫びに乗せて、
その時、冷たい何かが僕の頬に当たった。
それは落ちてくる回数を増しついに降り始めた。
そう、夕立が降ったのである。
僕は夕立の中、立ちすくみ泣いていた。
「雨は嫌い?」
驚き、やさしいその声がした後ろへと振り返る。
「また会えたね」
「ごめん、僕・・僕・・」
周りの雨の音にかき消されてしまいそうなくらい小さな声で僕は呟いた。
「でもね、もう行かければならないの」
彼女はそう言ってゆっくりと僕の手を取り、握った。
辺りに響いていた雨の音が消える、
僕はゆっくりと顔を上げた。
そこには僕が見たどんな景色よりも綺麗で、儚くて、悲しい景色があった。
夕日が雨粒を通り、反射し、空に無数の紅い輝きを描いていた。
本当に吸い込まれてしまうのではないかと思うぐらいに、
この世の物とは思えないぐらいの迫力と神秘的な何かがあった。
「綺麗だね。」
彼女は小さく呟いた。
「うん・・・本当に綺麗だ・・・」
僕は全てを受け入れた、失う事を知っていても伝えずには居られない。
僕はそっと向きを変え彼女を抱きしめた。
愛しくて、弾けそうなぐらいのこの気持ちを腕に宿して彼女を抱きしめた。
「好きなんだ・・・初めて合った時からずっと・・・」
「・・私も、 あなたが好き・・・」
僕と彼女の頬に涙が伝った。
抱きしめてお互いの存在を感じながら
僕は目を閉じ、ゆっくりと彼女と唇を合わせた。
「大好きだよ・・・」
そういい残すと彼女は光の粒となり消えてしまった。
再び時が動き出し雨が頬を撃つ、

「うわああああああぁぁぁぁ!!!!!!!!」

僕の頬を伝った雨は、少ししょっぱかった。

〜〜 1年後 〜〜

19X○年 6月12日
その日は曇り、

変わらない日常、変わらない自分、変わりだす自分の周り。
僕は中学3年生になった。
本来ならば受験やら何やらで忙しいのだがある高校に推薦してもらったので受験はなしだ。
と、言っても麻紀の受験勉強を見に行ってやるからあまり変わらないが。
――――― 1年前のこの日、 僕は彼女に出会った。

考えてみれば名前も知らない、自分を精霊だという女の子。
互いに奥へは踏み込まない脆弱な繋がり。
それは人間と精霊の間にある壁のようなものだったのかもしれない。
1ヶ月だけの夢のような出来事、、いやもしかしたら本当にただの夢なのかもしれない。
だが、目を閉じると今でも見えてくる。
あの輝かしい雨の景色、
彼女の顔、仕草、表情、
そして、最後に見た大きな夕空に浮かぶ光たち。
幻想的で、神秘的で、儚い一ヶ月だった。
僕はもう、あの景色は見れないのだろうか?
僕はもう、彼女には会えないのだろうか?


と、その時 不意に電話が鳴った。
「はい、もしもし雨坂ですが。」
「雄時〜!! わかんない所あるんだけどこっち来て教えて〜!」
麻紀か。
麻紀の家は歩いて1分でいける所にあるのでたまにこうやって呼び出されるのだ。
「わかった、ちょっと待ってて。」
電話を切り支度する、と言っても鍵と財布を持っていくだけだが。


麻紀の勉強をみてると気が付くともう夕方になっていた。
あれだけあった雲はどこへ言ったやらで夕日が空を照らしている。
僕は麻紀にさよならをすると散歩に出かけた。

僕が彼女と出会った場所、
僕が彼女と時を分かち合った場所、 
そして、僕が彼女を別れた場所。

そうこの展望台、ここから全てが始まって終わった。
まるであの日みたいに、辺りは静寂に包まれていて夕日が空気を紅く染み込ませる。

雨粒が一つ、僕の顔に落ちた
雨とは言えないほどにささやかなもの
「帰るか・・」
僕が立ち去ろうとした瞬間、後ろから誰かが手を握った
どこか懐かしい感覚、小さな柔らかい手。
僕はこの手を知っている。

「雨は嫌い?」
「いや、好きだよ・・」

振り向くと、そこには彼女が居た。


止まった時間の中での再開。

静寂な世界の中で居るのは僕と彼女の二人だけ、
何を言うでもなく僕と彼女はお互いに見詰め合っていた。
そして、決めた。
ずっと迷っていたこと、ずっと考えていたこと、それをたったいま決断した。
「僕はこのままずっと時間を止めて死ぬまで君と居たい。」

それから時は刻むことを止めた。
たまに分からなくなることがある
僕の決断は正しかったのか?
これは僕自身だけの幸せを求める許されないの行為ではないのか?
僕が息絶え、時が再び動き出した時
そこに僕は居ない、
大切な人を残して去るというのは僕にあった全ての責任を放棄する事だ

僕はわがままな人間です。
自らの幸せだけを求め罪を犯し続ける。
止まった時間の中にある刹那の幸せを求めて大切な人たちを裏切ろうとしている卑怯者です。
弱くて、卑怯で、無責任で、愚かな罪人です。

だが、僕はこれを願った

いつかは終わろうとも
一緒に居られる時間はほんの一瞬でも
それが他人から見ればどんなにちっぽけな事でも

それは永遠の夕暮れ、終わらない今日、そして幸せ。


糸冬

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