偏見男(44停止目)

第三回短編大会投下作品

■ 人間・恭二の場合 〜 彼の生き様編

 夜食を買おうとこっそり俺の部屋を出、雪道を歩き、コンビニで買い物を済まし、帰宅
する途中。信号待ちをしていた時のことである。風は吹いて無かったので、はらはらと静
かに雪が下りて来ていた。吐いた息が白く、ゆっくりと空気に溶けていく。
 やがて信号が変わったその瞬間、
「お兄ちゃん」
 と、日本男子の3割ぐらいはピクんと反応してしまうフレーズを投げかけられた。俺は
ピクんと来なかったが(理由は7行下で述べる)、一応声が聞こえた方を向いた。

 その身長にふさわしくない妖艶な笑み、腰まで垂れた艶のある黒髪、紅く煌く双眸――
振り向くと、そこにいたのは正に子悪魔。

 そしてその少女は、こう続けた。
「悪い事しない?」
 まったく、危ないところであった。幸いにして年上属性の俺はその場で発作的行動に
至らずにすんだ。でも少し、年下の子もありかなーなんて思ったりもしたわけで。まぁ
ストライクゾーンが3歳ほど下がった位の影響はあったかもしれない。

 とにかく開口一番、俺は彼女にこう言った。
「家に帰れ、エロガキ」
「話ぐらい聞いてくれないかな? 私、あなたに用があるの、"恭二"君」
「……はて、知り合いだったか? 何で俺の名前を?」
「初対面だよ。私はあなたのこと結構知ってるよ。悪魔だから」
「……はぁ?」
 どうやらこの少女、電波らしい。
「まぁ、今時信じてもらえないよね。それじゃ、これでどう?」
 そう言って少女は軽く開いた手を掲げる。
 瞬間、ゆらゆらと降っていた雪がピタリと止まった。
「……え? は? なんで……え?」
 とりあえず、結構綺麗だった。

 少女との邂逅の後、舞台は俺の部屋に移る。ちなみに俺の設定は高校生で、実家暮らしで、
一人っ子で、もうすぐ大学受験。彼女なし。片思いあり。
 「時間を止めて色々遊ぼう?」と無垢な瞳をぎらぎらと俺に向ける少女。レス数も限られて
いるのでその部分の描写は割愛させていただく。
 ようするに、「時間を止めて悪い事をさせる」→「それが彼女の成果になる」ということら
しい。悪ければ悪いほどいいんだとか。

「どうして俺を選んだ?」
「暗そうで、エロい顔していて、眼鏡で、軽く天パだから」
「……」
 殴っていいか、こいつ。
「大体そういう人って世の中に対する不満とか、殺したい人とか、こう、人一倍ネガティブな
面を持っているのよ。人を殺すときも躊躇わなかったり、私でもひくような事を簡単にやって
くれるのよ」
「残念ながら人選ミスのようだな。俺は生まれてこの方、他人の上履きに画鋲を入れた事さえ
無いような人間なんだ」
「随分と例がねちっこいんだけど。うん、やっぱり私の目に狂いはなさそうだね」

 その時がちゃりと、部屋のドアノブが回って母が入ってきた。

「どうしたの?」

「……」←俺(人生終わった顔)
「……」←少女(別になんとも思ってない的顔)
「喋っているみたいだったけれど……」
 にこやかに母は言う。

「あら、姫子。またお兄ちゃんと起きていたの? あんまり夜更かししちゃだめよ」

「マ、ママーーッ!?」
「? どうしたの?」
「僕にいつの間に妹の姫子なんて子がっ!? 僕一人っ子よね!?」
「何馬鹿なこと言ってるのよ。姫子は妹じゃない」
「どうしたの? お兄ちゃん? 姫子だよ?」
「キモッ、お前何様だよっ!?」
「変な恭二ね。二人とも、あまり遅くまで起きていないで早く寝るのよ?」
「え、ちょ、おーい?」
 再びがちゃりと、ドアは閉まった。

「……姫子?」
「そうだよ? おにいちゃーん(はぁと)」
「ナニヲシタ キサマ」
 俺の右手が光ってうなる。貴様の頭蓋にアイアンクロー。
「いだ、いだだだだあ! た、ただのチャームだって! 私を妹だって思い込ませた
だけいだだだだぁ!」
「解け。解術申請。5秒以内」
「そうすると自分の部屋に年端も行かない少女を連れ込む人になっちゃうけど?」
「……くっ」
「なんでたたたあぁあー! 割れるってばちょっといたいってあああ!」
 このやり場の無い怒りをとりあえず少女のこめかみにぶつけておこう。

 次の日。
「ふっ、ふおぉぉーー……」
 思いっきり欠伸。……寒い。ストーブ点けるか。「うぐぅっ」むにゅっと床で寝ている悪魔
を踏んでしまったが……まぁ問題は無いだろ……。
「何すんのよ!」
「うるさいな……朝から大声だすなよ……」
「大体何なのよ! こういう時って普通女の子にベッドを譲るものじゃないの!?」
「だって……寒いし……」
「私だって寒いわよ! ちょっとストーブの前に座らないでよ! こっちまで熱が来ないじゃ
ない!」
「……何でそんな元気なんだよ……お前」
「お兄ちゃん、ひょっとして朝弱いの?」
「――誰がお兄ちゃんだっ」
 一気に目が覚めた。

「行ってきます」「行ってきまーす」
「行ってらっしゃい、気をつけるのよ」
 なんだかありえない朝の風景だ。なぜ俺がこんなチビと家をでなければならんのだ。
「どうして付いてくる?」
「え? だって、綺麗な女の子に出くわしたら恭二の気が変わるかもしれないでしょ?」
「何でだよ?」
「舐めたり揉んだりしたくなるかもしれないじゃない」
「表現が卑猥だな、おい」

 そして並んで歩く俺たちに突然声がかかる。
「おはよう、恭二君」

 いいんちょうだった。あえて漢字ではなく、ひらがなでいいちょうとさせていただく。そう
いうふんわりとした雰囲気を持つ人なのだ。及川 唯っていう名前なのだけれど、みんなからは
「いいんちょう」と呼ばれている。
「……あら、今日は妹さんと一緒なのね」
 もうチャームされてるのね。
「おはようございます」「……おはよう」
「あれ、恭二君? 寝癖ついたままだよ?」
 ドキッとした。俺の頭の後ろをぽんぽん触るいいんちょう。女に免疫の無い俺はまともな
反応を返せない。

「私、今日日直だから早く行かないと。それじゃ、また後でね」
「あ、ああ……」
 もたもたと可愛らしく走っていくいいんちょうだった。ペース的に100m40秒ぐらいだな。
……遅っ。

 ふと横を見ると、なんか少女が苦笑いしている。
「あのさぁ――」

「――惚れてる?」

「ぶほっ!」
 侮っていた。コイツ……なかなか鋭い!

「あの人の背中を見る目が慈しむようだったし……でもあれ? 恭二って年上属性じゃなかった?」
「なんでんなこと知ってるんだよっ」
「恭二は彼女に思いを伝えることも出来ない。教室の後ろのほうからじろーっと彼女を見つめては
『あー、俺には無理』と諦めている。でも好き。あわよくば合体したい。そんなとこ?」
「話を無視するなっ! そして誰が合体したい、だっ!」
「私と契約して時間を止めない? 彼女に好きなことし放題だよ?」
「ふぅ……」
 性別的に女じゃなかったら顔面に弱キック竜巻旋風脚をお見舞いするところだ。

「あのなぁ……」俺は言う。「人間が集団で生きるために必要なものって何かわかるか?」
「食べ物」
「……いや、それもそうだけどさ」
「わかった、服ね」
「……まぁ、隠さなきゃいけないよな」
「あと家」
「うん、衣食住と揃った所で話を進めていいか?」
「え? 違うの?」
「違う。一人で生きるのと集団で生きるのではどう違うかって言う話をするんだ」
「? どう言う意味?」
「ルールだよ」
「ルール?」

「人間が集団で生きるにはルールがいる。現在日本にはそのルールを書いた本がある。六法全書って
言うんだけどな。刑法第百七十六条にはこう書いてある。『十三歳以上の男女に対し、暴行又は脅迫を
用いてわいせつな行為をした者は、六月以上十年以下の懲役に処する。十三歳未満の男女に対し、わ
いせつな行為をした者も、同様とする。』まぁ時間を止めて強姦する場合、暴行または脅迫って部分
に当たらないから第百七十八条の方だな。『人の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ、又は心神を喪失
させ、若しくは抗拒不能にさせて、わいせつな行為をした者は、第百七十六条の例による』」
「……それが?」
「それが、じゃない。ルールというものは守らなければならない。そんな当たり前のことも分からん
のか、お前は」
「破るためにあるのよ、そんなもん」
「そうだ、そう言うバカが多すぎる。軽い頭で物事をまともに考えやしないバカだ。俺は何が嫌い
かって、言われた事も言われた通りに守れない、犬以下のバカが大っ嫌いなんだ」
「疲れない? そんな生き方?」
「疲れるよ。でも俺は人間だからな。犬以下になんて成りたくない」
「人としてのプライド?」
「そう。"人としての"」
「ふーん……」
 それっきり、少女は口を聞かなかった。

 学校に着く。
「お前、どこまで着いてくるんだよ」
「うーん……」
「学校、行くのか? 制服とか、どうするんだ?」
「まぁ、私は透明になれるからいいけどさ……はぁ」
「何だよ、そのため息は」
「いやー、ダメだね。私の負け。恭二ってば悪いことまったくしなさそうなんだもん」
「うん、そうだ。俺は悪いことなんてしないんだ」
 校門のをくぐり、下駄箱を過ぎ、階段に向かう途中、いいんちょうが男三人に絡まれていた。
……って、何してんのいいんちょう?

「なにすんのよ、あ? 濡れちゃったんだけど」
「ごめ、ごめんなさ……」
「聞こえませーん!w」
「よっちゃんズボン濡れ濡れじゃんww もらしたみてーになってるけどww」
「マジムカつくんだけど、どうしてくれんの? ねぇ?」
「ごめ、ごめ……」
 花瓶片手にぷるぷる震えているいいんちょうだった。
「聞こえねぇって。ドゲザしろ、ドゲザ」
「……っ」
 誰か止めろよ。おいおまえら、素通りするなよ。
「謝れっていってんの。早くしろって。日本語わかんねぇの?」
「よっちゃんマジギレしてんだけど、超ウケルwww」
「ひっ……」
「だからドゲザしろっての、わかる? 土下座?」
「ドーゲーザ! ドーゲーザ!」「ドーゲーザ! ドーゲーザ!」
「あー、お前ら写メの準備しとけよ」
「はいはーい」「んじゃ俺ムービーにしとこ」
「オラ、早くしろって」
「あ……あ……っ」
 誰か助けて。
 そんな目で俺のことを見ていた。

「契約だ」

「え?」
「早くしろ、契約でも何でもしてやる。頼む、俺に力をくれ」
「え、何? やる気になったの?」
「ああ、もうヤる気が沸いて頭蓋骨をぶち抜きそうな勢いだ。今すぐ俺に時間を止める力を」
「え、ちょっと、急にだなんて……」
「悪いけど、急ぐんだ。早くしてくれ」
「わ、わかったわよ……目、閉じててよ?」
「ああ、こうか?」
「うん……えっと、ごめん恭二。ちょっとかがんで」
「ん? これぐらいでいいか?」
「うん、じゃ、いくよ? ……ほんとに目、閉じてる?」
「ああ?」
 次の瞬間、唇に柔らかいものが触れた。

 ―― 世の子らの中に力強き御身あり 前より麗しく世界を立て直せ 胸の中にうち建てよ
   澄みたる心を持て 新たなる生の歩みを踏み出せ かくて新しき歌 ここに響く ――

 刹那とも永遠とも思われた契約の口付けが終結する。
 小さな頬に朱が刺した少女はか弱い声で言葉を紡いだ。
「Verweile doch, Du bist so schon……」
「フェアヴァ……何?」
「呪文よ。いい? 恭二。時間を止める呪文。Verweile doch, Du bist so schon.」
「フェアヴァイレドッホ、ドゥービストゾゥショーン……」
「ドイツ語よ。 "留まれ、汝は美しい" ……聞いたことある?」
「ああ、ファウスト……だったか?」
「私は悪魔、悪魔メフィスト。かつてファウスト博士を堕落させし悪魔。……それじゃ、
思いっきりやっちゃいなさい、恭二!」
「おう、任せろ。Verweile doch……」俺は男たちに向かっていく。「Du bist so schon!」
 いいんちょうを助けるために。

 朝のHRがもうそろそろ始まる。俺は後ろの席からぼんやりといいんちょうの後姿を見ていた。
「あのねぇ、私は悪いことやれって言ったのよ」
「おう」
 俺の学校の制服を着た少女が、俺の隣の席に座って呆れた顔で話しかけてくる。
「なーに助けたりなんかしちゃったのよ、大体偉そうにルールとか言ってたのは何なのよ?」
「常にルールを守るだけならよくしつけられた犬と同じだよ。言ってるだろう、俺は人間なんだ」
「何それ、ぜんぜん分からない」
「多分、悪魔だからだ」
「あー、なるほど」
 納得する悪魔メフィストこと俺の妹姫子だった。名前をつなげるとメフィスト・姫子か。ゲーテもびっ
くりだな。ところで、いつの間に制服着て俺と同じクラスに。

「大体どうしてくれんのよ。契約した以上、あんたが悪いことしてくれないと私、帰れないんだけど」
「うーん、どうするかねぇ……ところでさ、ファウストって、確か最後はさ……」
「死ぬわよ、ファウスト博士。私は彼の魂を地獄に落とそうとしたんだもの。失敗したけど」
「あれ? ってことは俺、悪いことしたら……」
「いや、即行で魂抜いて地獄に落とすつもりだったんだけど……」
 母さん俺、悪いことできなくなりました。悪事働いたら妹に殺される兄って何。

 その時、ちらりといいんちょうが俺のほうを向いた。
 が、俺と視線がぶつかってばっと前を向いてしまった。
 ……い、いかん、意識してしまうぞ。
「はぁ、往生際まで悪いことしなさそうだよね、お兄ちゃん……って、何赤くなってんの?」
「気のせいだ。それよりも誰が兄か。悪魔の妹なんて要らないんだけど」
「おぉ、いい響きだね。悪魔の妹か」
「はいはい……」
 適当に受け流しつつ、俺はメフィストの幼い顔を眺めてみた。
「何よ?」
「――何でも」
「続く」
「――続かねぇよっ!」

 ■ 人間・恭二の場合 〜 彼の生き様編 / 終わり

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