793(ゴメス)その9 (39停止目)

 

世界が終わってから363日目。
僕は切り立った崖の下に真っ青な海を臨む木の家に住んでいる。
僕と、人造人間のアイと二人で。
もうすぐ僕に死がやってくる。

・・・世界が終わった日、ヒトはヒトの作り出した呪いをかけられた。
この呪いはどこからか僕らの体に入り込んで、蝕んでいく。
ヒトからヒトには感染することはない。臨床実験でもそれは確認されている。
が、世界の終わる直前の統計では、世界の死亡原因の一番がこの呪いだった。
腕に紫色の斑点が見えたら、もうそう長くは生きられない。
ある日突然、ヒトが紫色になった血を体にある穴という穴から噴出しながら死ぬ。
僕にはそれが10秒後のことか、1年後のことかを知る術はない。
ただ、日に日に苦しみが増していくだけだ。

「コウキ、なに考えてるの?」
「ん、ああ、ちょっとね。」
「ねぇ、なになに〜〜?」
「いや、海が今日もきれいだなーって。」
「・・・うそ。」
「・・・バレてる?」
「あたりまえだよ、だってコウキがウソつくとき、ぜったい目が左をむいてるもん。」
「・・・そうなの?」
「知らなかった?」
「うん・・・。」

アイについて説明しておこう。
彼女は、世界が終わる直前に人の体を模して作られた。
アミノ酸を人為的に配列させることでDNAを作り出し、そこからヒトを生み出す。
基になる情報が親の細胞にあるのではなく、ただのアミノ酸であったことに、当時の研究者仲間に「イチノセの奇跡」と呼ばれた。
アイは食べ物を食べ、水を飲み、言葉を喋り、本を読む。
かわいらしい少女の外見と、その外見相応の幼い言動。
僕が辛そうにしていると、アイは心配してくれる。
彼女の言葉は孤独だった僕の心を溶かしてくれた。

・・・アイもじきに死ぬ。
彼女は実験体である。
僕の研究室が生み出した、最後の実験体だ。
今僕の傍で手を握っているアイの前に、300人のアイがいた。
皆同じ顔をしていた。
髪は白く、肌も透き通るように白く、目は青い。
彼女たちの中に、生まれてから一歳になるまでの間に死ななかったものはいない。
いや、一人だけ生死をこの目で確認していないアイがいる。
275人目のアイだ。
他のアイ達と同様、真っ白な髪、それに見合う透き通る白い肌、青い目。
しかし、他のアイたちとは少し異なる、クールな雰囲気。
何の罪もない彼女は、最後の戦いに「特殊戦闘部隊」として駆り出されてしまった。
戦いが終わった今でも、未だに帰還していない。
おそらく戦いの中で死んでいったのだろう。
そうでなくとも、とっくに寿命は尽きているはずである。
いまいるアイがここまで生きていることは奇跡なのである。

「コウキ、夕食の時間だよ!」
「うん、今行く。」
「・・・コウキ、今日もいたいの?」
「はは、今日はいたくないよ。」
「そう、よかった。]」
「心配してくれたんだね、ありがとう。」
「ううん、いいの。アイはコウキが好きだから。」
「ははは・・・ちょっと照れくさいよ。」
「い、いいの。だってホントなんだもん・・・。」

僕らはアイの作った夕食を食べる。
もう僕の内臓はボロボロなんだろう。
夕食を体が受け付けない。
それでも、僕は食べる。
できるだけ旨そうに食べる。
もう味覚は感じない。
なのになぜ僕が食べるのかというと、それはごく簡単な理由で、目の前にアイという少女がいるからだ。。
本当なら僕は点滴からしか栄養は摂取できない体なのだろうが、この「食べる」という行為は健康のバロメータのようなもので、アイは僕が食べ物を旨そうに食べると喜ぶ。
それでも僕が食べ物を受け付けない日がある。
そんな日は、アイは一日中僕につきっきりとなる。
ベッドに横になる僕のために、水とかいつも服用する赤い薬とかを運んできてくれる。
そして、それが必要ないときは、ずっと僕の手を握ってくれている。
しかし、そのアイも寿命が近いのだろうか。
たまに、僕と会話している時に、不意に僕の話を無視してしまうことがある。
多分、僕の声が聞こえていないんだろう。
緩慢に訪れる死の兆候が、まず聴覚に顕れているのだろうか。

「えー、国連軍は、WOE軍に対して、最終攻撃を仕掛けると発表。これに対し、WOE広報部は、徹底抗戦の構えを公表しており、・・・。」
電波放送が寝る間際、波の音と夜の匂いに混じって入ってくる。
地球のどこかで、まだドンパチをしたがる連中がいる。
それより、このヒトが放った「呪い」をどうにかするのが先だろう、と地球上の多くのヒトが思っている。
しかし、ドンパチが好きな連中が世界の終わる直前に武器(おもちゃ)を手に入れた。
そして、今でも武器でドンパチやっているらしい。
もう、世界は終わったのに・・・。
ふと、275人目のアイのことが気になった。
彼女は、このドンパチが好きな連中にいいように使われて、死んでいったのだろう。
元々、あの娘は寡黙だった。
何も言わずに、死んでいったのだろうか。
いずれにせよ、もう彼女が生きている証は無いのだろう。

世界が終わってから364日目。
今日も透き通るような青い空が広がっている。
ところどころに浮かぶ真っ白な積雲が、終わらない夏を謳歌していた。
今日はアイと二人で墓参りに行くことにした。
昔、研究施設のあったドーム型の施設へと歩くことになる。

ちょうど、崖側の海に玄関があって、僕は茶色の靴を、アイは白いサンダルをはく。
それから僕はいつも服用している赤い薬を飲むと、麦藁帽子をかぶって、僕が服用している薬とは別の青い薬と、朝作ったサンドイッチをバスケットに詰めて、海沿いの道を進む。
海からの風が心地よい。
研究所にいた頃はこんな風に感じたことはない。
もうボロボロの感覚器官が、精一杯、今ある光景を感じていた。
「コウキ、今日は海が歌ってるね。」
・・・アイは時々、妙なことを言う。
しかし、それも含めて、301人目のアイの精神性なのだ。
アイが、右手を僕の左手に絡めてきた。
僕らは、手をつないで歩く。
この時間がずっと続けばいいのに・・・。
しかし、緩慢に訪れる死の予感は、全てのものに必ず終わりがあることを、静かに、だが確実に告げていた。

ドーム型の施設に着く。
施設の周りには鬱蒼と木が生い茂っていて、そこからミンミンとセミの鳴き声が一年中聞こえる。
「環境保安局所属 一之瀬研究所」と書かれたその白い廃れたドームの中は、まだ自家発電によって稼動している。
中は空調が効いていて涼しい。
この施設には電灯があったのだが、先にあった銃撃戦で全て壊れてしまっていた。
窓から森の風とセミの鳴き声が侵入してくる。
廊下には施設の一部であった白い小石が散乱していた。
それらをよけながら、僕らは奥へ奥へと進む。

そして、僕らは一番奥の部屋の前で足を止めた。
その部屋の扉を開けると、今までの廃屋とは全く異質な黒い空間が広がっていた。
僕らは黒い部屋に入る。
中には、カプセルのような人工子宮が青い光を放ちながらずらりと並んでいた。
まだその内側に生命を宿した無機質の卵もある。
それらの生命には、この残酷な世界を謳歌する力はない。
例外なく両目が機能していなかったり、両手足がなかったりしている。
脳だけがそこにある命もある。
一番奥のマザーコンピュータに、僕らは持ってきた花と、青い薬を供えた。
マザーコンピュータは、世界が終わってからも、生まれることのない子供たちのためにずっと稼動している。
このあいだ持ってきた花が、そこで枯れていた。
薬は、地震のせいで僕らが供えた場所からはずれていたが、いまだに使えそうな状態にある。
きっと、この事を国連軍が知ったら僕は即刻射殺されるだろう。
僕らの供えた青い薬は、人工子宮から生まれた子供に一番最初に与えなければならないものだ。
免疫を高める薬。
これが無ければ、生まれた子供は、この世界のもつ「毒素」のために3日と持たずに死んでしまう。
国連軍は兵士を量産するため、この薬の製造を急ピッチで行っている。
しかし、それでも不足しているので、民間からこの薬を強制的に回収しているのだ。

この黒い部屋の子供たちは、おそらくこの先、太陽の光を浴びることはない。
ただ、子宮の中で安らかな夢を見続ける運命にある。
・・・そうなるように僕が仕組んだ。
なぜ僕らがこの部屋に薬を供え続けているのかというと、それは単純に自分たちへの慰めでしかないのであろう。
「彼ら」は、医学的にはまだ生きている。
しかし、「彼ら」は僕らの世界に対して死んでいるも同然である。
僕が殺したのだ。
もう長くない一生をかけてできる償いといったら、せめて「彼ら」が生きていたことを忘れないことであろう。

「なぁ、アイ。『セックス』って遊び、知ってるか?」
「ん?何それ。聞いたことないよ。」
「ああ、知らないのか。世界が終わる300年くらい前まで流行してた遊びだよ。好き合う男と女が裸で互いの体をまさぐりあうんだ。」
「・・・それ、面白いの?」
「分からない。けど、この遊びの起源は、子供を体内に宿す儀式にあるそうなんだ。古文書で読んだ。」
「え、子供を体内に宿すって・・・。子供は子宮で培養されて出来るんじゃないの?」
「ああ、そうだ。今はな。でも、古文書によると、昔の人間は女の体の中で子供を培養してたらしい。」
「それじゃ、どうやって子供は外に出るの?」
「・・・そこまでは解読できていない。でも、遺伝子的な情報はきちんと受け継いでいるらしいな。驚きだ。」
「ふーん・・・。」

黒い部屋に二人の声が冷たくこだました。

世界が終わってから365日目。
終わらない夏の日差しが僕らの家を包む。
近所の集落で祭りがあるというので、僕とアイはそれを見に行くことにする。
「YUKATA」と呼ばれる着物を着て、僕らは歩く。
「YUKATA」を着る時はいつも履いている靴ではなく、サンダルのような、「ZOHRI」と呼ばれる履物を履くのが風習らしい。
古文書で読んだ。
しかし、肝心の「ZOHRI」がないので、仕方なく僕らはサンダルを履くことにする。

祭りの会場は、ウェストシーサイドという、古い町の跡だ。
そこまでの道のりを、昨日とおなじように僕とアイは歩く。
道はアスファルトで舗装されていないので、アイが途中で何回か転びかけた。

「コウキ、このフワフワしたやつ、なに?」
「これは綿菓子だな・・・。甘くておいしいよ。」
「え、これ食べられるの?」
「うん。食べてみるかい?」
「うん!」
「じゃ、ちょっと待ってな。
 ・・・はい、おまちどう。」
「ありがとう、コウキ。
 ・・・あ、あまい・・・。それに、口の中でふわふわとろける感じ・・・。」
「だろ?昔から伝わる伝統料理だよ。」
「ふーん。ねぇ、コウキ。これは?」
「これは・・・焼き鳥だな。」
「ヤキ・・トリ?」
「そう。鳥の肉を火であぶって焼くんだ。」
「え、鳥って、あのお空を飛んでる?」
「まぁそうだね。でもちゃんと食用に育てた鳥だよ。」
「・・・かわいそう。」
「・・・そうだね。」

僕らは露店を見て回る。
祭りに露店がある風景は、最近では滅多に無くなった。
もう僕らに露店を出す余力はほとんど残されていない。
よく見ると、金魚すくいのオヤジの腕にも紫色の斑点が出ていた。
そうだ。
呪いをかけられているのは僕だけじゃない。
世界中にあちこちにいて、僕とおなじように、迫ってくる死を各々のやり方で迎えようとしている。

海を見ると、すでに死んだ街が透き通る青の向こうに見えた。
かなり深い場所に、アスファルトが見える。
海面には建物の屋上に設けられた柵が見えていて、その中にはコーヒーカップやらメリーゴーランドの馬やらが半分だけ顔を出していた。
ずいぶんとさび付いていて、時の流れを感じる。
少し視線を横にそらすと、斜めになった高い建築物が見える。
途中で折れてしまったのだろう。
おそらく、あれが倒れたときにはかなりの轟音と破壊エネルギーを伴ったと思われる。
しかし、今は、ただ海鳥の住処として静かにたたずんでいる。
その隣の陸地も人工的に作られた建物の一番てっぺんの部分であり、その部分を利用して櫓が組まれていた。
そこにハチマキをした男たちが提灯や太鼓、スピーカーなどをセットし、何か準備をしている。
青い空がそれら全ての上で僕ら全てのものを傍観しているようだった。

夜になって、男たちが何を準備していたのかを僕らは理解した。
櫓の周りに人が集い、円を作る。
そして、太鼓の音とスピーカーから流れる音楽にあわせて、踊りを踊っている。
「ボンオドリ」と呼ばれる、昔からの風習だ。
死んでいった先祖の霊を供養するために踊るのだそうだ。
「・・・アイ、行くか?」
「うん。」
そう言って、僕らは「ボンオドリ」の行われている場所を目指した。
建物の屋上と屋上の間に誰かが簡単な金属製の橋をかけていて、その上を歩くと橋が軋む。
海に落ちずに「ボンオドリ」の場所に着くと、僕とアイは円に加わって、見よう見まねで周りの動きと合わせる。

踊りとはいえない奇妙な動きをとりながら、僕は死んでいった300人のアイと、研究所の子供たちを思った。
多分、彼らは僕が殺したことになるのだろう。
もし、霊というものが存在し、この世界になんらかの影響を及ぼすとしたら、僕はとっくに殺されているだろう。
そうならないのは、霊が存在しないからだ。
ヒトは死んでも霊になんかならない。
ただ、死ねばそこで全て終わるのだ。
非常に抽象的で、しかも投げやりな言い方なのだが、「無」がそこで口を開けて僕らを飲み込むのだ。

「コウキ、今日は楽しかったね!」
「・・・そうだね。」
「・・・なに、コウキ。その言い方だとぜんっぜん楽しくなかったみたいじゃない。」
「そんなことはないよ。」
「・・・もう、ならもうちょっと楽しそうにすればいいじゃない。」
「・・・アイ。」
「ん?」
「・・・死ぬことについて、考えたことはあるか?」
「・・・ん?」
「あ・・・いや、なんでもない・・・。」
「そう。なんかコウキ、むずかしいこと考えすぎだよ。」
「そうだな、ははは・・・。今日はもう遅いね、おやすみ。」
「うん、おやすみ!」

僕は明日、アイに「おはよう」と言えるのだろうか・・・。

世界が終わってから366日目。
この日は激しい雷と共に雨が降った。
真っ黒な雲から何十億もの赤い雨粒が落ちてくる。
時折、激しい閃光と共に雷鳴が轟いている。
巨大な、原始のエネルギー。
まるで命の底を鼓舞する太鼓のような音だった。
「コウキ、今日は落ちないよね?」
アイがいつも僕の服用している赤い薬を持ってきた。
どうやら、雷におびえているようだ。
先日、僕らの住むこの家には雷が落ちた。
耳をつんざくような破裂音と共に、裏庭に生えていた桜の木が裂けた。
幸い火事は起きなかった。が、アイは落雷を目前で見て、恐怖を感じたらしい。
以来、彼女は雷が近づくたびに僕の手を握ってくる。
僕は、その日は体の調子が悪く、ベッドに横になったまま過ごしていた。
天井が暗く写る。
時折雷光に照らされて見える木の節が、まるでそこに住む妖怪たちの目のように見えた。

まるで巨大が花瓶を地上に叩き落としたような音がした。
その瞬間、停電が起きた。
どうやら、家の近くの発電装置に雷が落ちたようだ。
この天気、さらに僕の体の調子が悪いので、修理は次の日になるだろう。
さて、隣で震えているアイをどうしたものか・・・。

アイの吐息が僕の右手の甲にかかった。
少し湿っていて、暖かい。
僕は不意に、臍の3cmくらい下の部分に何か僕ではない存在を感じた。
鼓動が高鳴る。
なぜか、僕はアイを全身に感じたくなった。
アイとつながっている右手を使って、アイを僕の横に強引に引き寄せる。
「コ、コウキ?」
アイは戸惑いを隠せない。
僕の吐息は荒くなっていた。
「ねぇ、どこか具合が悪いの?」
アイが心配して、雷が怖い中で、震えた声をかけてくれる。
「ん、いや・・・。」
そこで僕はアイの手を振り解き、木の壁側を向いてしまった。
僕ではない何かを自制するために。
「ねぇ、コウキ。どうしたの?アイ、何か悪いことした?」
アイは涙目になって聞いているらしい。
しかし、雷鳴がその声を掻き消して、彼女は「キャッ!」という声をあげて、僕の布団を使って耳と目を隠す。
・・・彼女の肘が、僕の膝に直にあたる。
僕は僕をどうにもできないまま、ただ雷が過ぎるのを待った。

雷雨が過ぎた。
アイはいつの間にか寝ていた。
僕は雨が過ぎるころにようやく足が動くようになっていた。
すでに時計の針は18時を回っていた。
・・・そうか、妙に空腹を感じるのは朝から何も摂ってないからだ。
僕は、まだ空腹を感じる自分の胃袋を誇らしく思った。
外に出て、発電装置の点検をする。
変圧器が雷でやられていた。
そういえば、太古の昔に凧を雷雲の中に飛ばすことで、「雷の正体は電気である」と証明した男がいた。
本当に命知らずなヤツだ。
目の前の惨状を見て、僕はしみじみと感じた。

「コウキ、雷、もう来ない?」
修理が終わって家の電気系統が回復した頃、やっとアイが目を覚ましていた。
「そうだね。もうしばらくは来ないだろうね。」
僕は水素より透き通った紫色の空を見ながら言う。
一番星が輝いていた。
虫の音が庭中に響いて、各々の命を謳歌しているのを感じた。
急に大声で叫びたくなった。
が、もう僕の声帯やら腹筋は、大声で叫ぶことに耐えてはくれないだろう。

世界が終わってから367日目。
朝からアイの様子がおかしい。
息が荒く、顔が紅潮し、目が赤らんでいる。
少し熱があるようだ。
僕の専門は、あくまで「生命工学」であって、医学ではない。
人の体を治すのは、専門外なのだ。
僕は、いつもの赤い薬を飲むと、イーストシーサイドの街へ出て、知り合いの医者にアイを診て貰うことにする。
その医者というのは、僕が昔研究所をやっていた頃の助手だ。
非常に優秀で、知的で美しい女性だった。

イーストシーサイドの街へ出る。
海岸線に沿って、昔の建築物を利用して形成されている。
しかし、ボロボロになった外壁にはいつの間にか植物が侵入していて、今にも壊れそうなものがいくつもある。
おそらく、次に地震がきたらこの街は壊滅的な打撃を受けるであろう。
そんなイーストシーサイドの街だが、この地方に残った街の中ではかなり大きな方で、視界に入る海岸線全てが街の一部となっている。
昔はウェストシーサイドの街の方に街の中心があったらしい。
かなり深い海の底から建築物が海面に突き出ている光景は先日見たばかりだが、それはその頃の名残だ。
昔から雷三日とはよく言ったものだが、この日は昨日ほどの激しい雷雨にはなりそうな気配はない。
ただ、雨はざーっと降りそうなので、急いで洗濯物などを片付ける光景があちらこちらで見られた。

「ヒルデ診療所」と名づけられたその診療所は、街が寄生している山の中で、かなり高い場所にあった。
「すみません、ヒルデ女史はいらっしゃいますか?」
僕は受付の女性に尋ねる。
「先生はただいま患者さんの診療中です。御用でしたら、後ほど伺いますが・・・。」
「・・・イチノセ コウキが来たと伝えてください。そしたら彼女はきっと今すぐ来てくれるはずです。」
「・・・分かりました。イチノセ コウキですね?」
僕は久しぶりに僕の名前を使った。
未だにこの名前が使えることに、僕は少しの優越感に似た感情と、大きな後悔の念を感じていた。

「せんせーい、俺のこと診てくれよぅ・・・。」
情けない男の声がしてから、
「はいはい、その程度の怪我、ツバつけときゃ治るわよ!」
というキビキビした女性の声がして、診察室の中から、僕が知っているより少しだけ老けたヒルダが出てきた。
「・・・お久しぶりです、プロフェッサー、イチノセ・・・。」
ヒルダは敵に対して警戒しているような、そんな面持ちで僕を見た。
僕とヒルデの間にただならぬ空気を感じて、さっきの男はすごすごと帰っていった。
「・・・アイが急病なんだ、診てくれないか?」
僕は殺される覚悟でそう告げた。
「・・・外で話しましょう。」
そう言って、ヒルデと僕は今にも雨の降り出しそうな空の下へと出た。

「・・・まだ、こんなものがあったのか・・・。」
庭にあったのは、大昔に廃止されたハズの、液体燃料で走る、真っ黒な自動車だった。
「そうです。あなたが私にプレゼントしてくださったものの中で、一番マトモだったものですから。」
僕とヒルデは車に乗った。

「・・・動くのか?」
「ええ、メンテナンスはきちんとしてあります。」

ヒルデは鍵の差込口に鉄製の妙な形をした鍵を差し込む。
自動車はブロロンという音をたて、かすかな振動を起こす。

「こんなもの走らせると、環境保安局が黙っちゃいないぞ。」
「あんなもの、もうあってないようなもんでしょ?」
「・・・そうだな。」

イーストサイドの街の裏通りを、僕とヒルデを乗せた車が走る。
道行く人は、この黒い車をもの珍しそうに見る。

「・・・アイが病気なんですか・・・。そう、それでわざわざ私のところに来るワケですね・・・。」
「・・・アイを死なせるワケにはいかないんだ。」
「・・・それは、御自分のためでしょう?」
「・・・。」
「なぜ私じゃいけないのです?
 ・・・私なら、アイにはできないサポートだって、話し相手にだってなれます。」
「僕はもう決めたんだ。アイを長生きさせるって。」
「・・・欺瞞ですね。」
「・・・欺瞞かもね。」
「私がウソの診察をしてアイを殺す可能性もあるんですよ?」
「いや、それは無いね。
 キミはアイの母親のようなものじゃないか。」
「そして、あなたは父親でしょう?
 ・・・娘に恋愛感情を抱く父親の存在が許されていいと思ってるんですか?」
「・・・。」
「・・・ホント、あなたって残酷な人ですね・・・。」
「・・・。」

大粒の雨がポツリ、ポツリと落ち始めた。
それから、一瞬にして滝のような雨が降り始める。
車の中にゴォー、という音が響き渡る。
僕らは会話を止めて、ただ黙々と僕とアイの住む崖の上にある木の家に向かう。
道が悪くなって、段差を車が越える度に、座席が激しく揺れた。

「うん、アイちゃん、体に問題はないわ。」
「せんせー、ホント?」
「ホントよ。熱が出てるってことは免疫がある証拠なの。体ががんばってカゼの菌をやっつけてくれてるのよ。」
「へー、そうなんだ。ニンゲンの体ってすごいんだね。」
「そう、人間の体は小さな宇宙って言われてるくらいすごいのよ。」
「ふーん。」
その時、僕にはヒルデの抱える心の闇のような部分が見えた。
−−何よ、あんたなんて人間なんていいモノじゃないじゃない、ただの人形じゃない!!
  生意気にも、免疫なんてものまであるなんて、・・・反則よ。

雨がやんだ。
雲の切れ間から太陽の光が漏れている。
ヒルデはアイを寝かせておいた部屋を出ると、僕がいつも服用している赤い薬を目に留めた。

「あなたは、まだこんなもの服用していらしたんですね。
 最後の日への、慰めのつもりですか?」
「・・・さあね。」
「・・・いまさらこんなもの服用しても、結果は変わりないのに・・・。」
「・・・それより、本当にアイには問題ないんだね?」
「・・・さあ、どうでしょうね。」
「・・・。」
「でも、このままだとあなたより先にアイは死ぬことは事実ですわ。」
「・・・そう、か。」
「・・・それでも、あなたはまだ慰み者の方がいいんですね・・・。」
「・・・。」
「沈黙が一番私を傷つける方法だと知って、貫き通すのですか、あなたは・・・。」
「・・・すまん。」
「もういいですわ。・・・さようなら、この先、あなたと私が会うことはないでしょう。」

僕はヒルデを見送る。
庭先で、心地よい振動とともに黒い自動車が煙を上げて動き始める。
遠くで雷の音がした。
過ぎ去っていく雲が少しずつ散り散りになっていくのが分かった。
草が雨で濡れていて、踏みしめるたびにキュッキュッという音がするのを確認した。

世界が終わってから368日目。
昨日、ヒルデが処方してくれた薬をアイに飲ませる。
アイの熱は未だにひかない。
「あなたよりアイは先に死ぬ」
ヒルデに言われたこの言葉が、僕の中で響き渡る。
「コウキ、どうしたの?」
「ん、あ、いや。なんでもないよ。」
「そう、よかった。」
僕は、一種の罪悪感を感じた。

庭先に電気式自動車が止まった。
車には、国連環境保安局のマーク。
中から、黒いスーツを着た男と女が出てきた。
男は長い黒髪を後ろで束ね、髭を生やしていた。
サングラスで隠してはいるが、それでも隠れきれないほどの殺気に満ちた顔だ。
背は大体180センチくらいだろうか。
多分、僕に恨みのあるものか、殺し屋だろう。
女は、男とは全く対照的な容貌をしている。
背は大体アイとおなじくらい。
髪は黒いが、透き通るような白い肌、紫色に光る瞳。
そして、人間とは思えないほど完璧に整った顔立ちをしている。

「プロフェッサー・イチノセ。国連環境保安局はあなたにイチノセ病特別対策室長就任を要請します。」
僕の家にあがるなり、女が言う。
「・・・残念だったね。実は僕もすでにそのイチノセ病に感染しているんだよ。」
男が無言で隠し持っていた銃のセーフティをはずした。
「よしなさい、ハヤシ。
 ・・・無礼をお詫びします、しかしハヤシの言うとおり国連の要請への拒否は問答無用で射殺権が与えられます。
 あなたがイチノセ病だということを承知で国連はあなたに要請しています。
 そのことをお忘れなく。」
ハヤシと呼ばれた男は舌打ちをしていた。
「ところで、回答はいつまでにすればいいんだい?」
「・・・そうですね、明日までにお願いします。」
「・・・ヒルデに召集はかけたのかい?」
「機密事項です、黙秘します。」
もう国連の実効支配が終わった世界で、何が機密事項だ、と僕は心の中でつぶやく。

彼らが去った。
僕はアイの部屋に戻る。

アイは眠っていた。
どうやらヒルデの処方した薬が効いているらしい。
その愛らしい寝顔を見ながらい、僕はアイが生まれたときのことを思い出す。

・・・培養液の中に浸かった、まだあどけない少女の格好をした彼女。
なめらかな肢体が青白い光に照らし出されて、少女は人工子宮の中で眠り続けていた。
「もうすぐ、肺呼吸に切り替わります。」
ヒルデが横で言う。
すると、アイは培養液に向かって、口から気泡を吐き出した。
「培養液を抜け、はやく!!」
傍らにいた助手に命令をする。
青白い気泡を吐き出しながら、アイは培養液の中で溺れていた。
・・・培養液が人工子宮の中から抜かれ、子宮の膜を開く。
そこで、アイは産声をあげるのではなく、肺に溜まった培養液を吐き出すため咳き込んだ。
その白い体は全身が粘性の高い培養液で濡れていた。
アイが目を開いた。
その青い目は、初め、まるで僕に敵意を示すように僕を睨み付けていた。
なぜ、夢から私を起こす?
なぜ、この残酷な現実に私を惹きいれようとするのだ?

僕はいつの間にかアイの横でウトウトとしていたようだ。
気がつけば、アイは目を覚ましている。
キッチンで、今日はオムライスを作っていた。
・・・カゼの症状は消えたようだ。
「アイ、もう良くなったのかい?」
「・・・。」
アイには僕の声が聞こえていないようだ。
カゼとは別の、緩慢な死の兆候。
僕はアイの邪魔をしては悪いので、無言で、アイの視界に入らないようにして外に出た。

外では、気持ちいい風が吹いていた。
体いっぱいに夕陽の光を感じて、僕は海風にあたりながら、赤い薬を服用する。
「コウキ、ここにいたんだね。夕食の準備ができたよ。」
アイが、精一杯の笑顔で僕を迎えてくれる。
「・・・ありがとう。」
そう言って、僕は家へと入った。

世界が終わってから369日目。
今日は僕もアイも調子がいい。
こんな日には、僕はアイを連れて必ずどこかへ行くことにしていた。
だが、今日はムリだった。
昨日に言われた要請への回答をしなければならない。
「ねぇねぇ、コウキぃ・・・どっか行こうよぉ・・・。」
アイがねだる。
しかし、僕は
「駄目だよ、今日は大事な用事があるんだ。」
と言って、その意見を取り下げた。
アイはそれからふてていた。

庭先に昨日とおなじ車が止まったのは、日が落ちてしまってからのことだった。
アイはすでに先に寝てしまっていた。
一日中、駄々をこねていたせいか、この時間までにすでに疲れてしまっていたようだった。
車の中から、昨日と同じ二人組みが出てくる。
「プロフェッサー・イチノセ。昨日の回答は決まりましたか?」
女の言葉は穏やかで、しかし確実にある脅しを含んだものであった。
「ああ、決まってるよ。僕はアイと一緒に過ごす。残念だが、キミたちの要請は受け入れられない。」
僕は脅しを突っぱねた。
「・・・そうですか、残念です。」
そう言うと、ハヤシが銃のセーフティをはずす。
僕が最後の瞬間を確信したその瞬間、ハヤシの頭に異変が起きた。
まず、ハヤシの左の頬がへこんだ。
それからハヤシの頭が、サングラスごと、まるで梨を圧倒的な握力で崩すようにグチャグチャになった。
鮮血がそこらじゅうに飛び散って、庭の草たちに降りかかる。
ハヤシの体は主人をなくしてもしばらくそれに気付かずに佇んだままであったが、やがてバランスを崩して銃を構えたまま倒れた。
そこでハヤシの銃が暴発し、弾丸は土にめりこんだ。
「・・・強化人間のハヤシの頭をここまで破壊するということは・・・強化弾を使いましたね?」
女が岩陰に向かってそう言うと、なんとそこからヒルデがいかつい銃を構えて出てきた。
「あなた、・・・275人目のアイね。」
ヒルデがそう女に聞く。

「・・・そうですね、昔はそう呼ばれていました。でも今はその名前は使用しておりません。。」
「そう、じゃなんと呼んだらいいかしら?」
「・・・コクウ。」
「・・・そう、コクウね。」
コクウという名前は僕も世界が終わる前、環境保安局にいた頃に聞いたことがある。
特殊部隊の中でもひと際異色の部隊があると聞く。
その部隊は「ニドフォグ」と呼ばれ、隊員は常人にはない異能の力を持つ。
−−ニドフォグメンバー、NO.2、コードネーム、コクウ・・・。
「コクウ、悪いけどあなたには死んでもらうわ。」
「・・・。」
コクウは黙ってヒルデの話を聞いている。
「あなた、人間じゃないのよね・・・。知ってるわ。感情から容姿から、全てあの男にプログラムされた肉の人形・・・。」
「・・・。」
「あんたたちが例外なく一年で死んでいったのも、全部あたしがそういう風に仕組んだの・・・。あんたたちの『食事』に毒を盛って、ね・・・。」
「・・・。」
「そうよ、あんたたちは人間じゃないのよ・・・。なのに・・・それなのに、あの男はあたしより、何度も何度も、あんたたちを選んだ!」
「・・・。」
「なぜよ・・・なぜあんたらみたいな人形なのよ・・・。そう、あたしはあの男をあんたらから救うために来たの。」
「・・・。」
「そうよ、あたしはね、コウキ・・・あなたを救いに来たのよ・・・。あたしは、アイの頭にこの弾丸を撃ち込みに来たの・・・。」
「・・・。」
「そうしたら、なぜかあたしが唯一殺し損ねた、275人目のアイがいるじゃないの?あははははは、これって、あんたを殺せって神様が命令してるんでしょうね!!」
「おしゃべりはそんなものでいいでしょうか?」
ヒルデの話を遮って、コクウが突然そう冷たく言い放つ。
それがまたヒルデの癇に障る。
「あんたみたいな肉人形に言葉なんて必要ないのよ!!」
それは、その美しい知的な外見からは考えられないくらいに低くしわがれた醜い声だった。
その言葉に、全く表情を崩すことのなかったコクウが初めて表情をゆがめた。
そして、さっきの言葉が、ヒルデの放った最期の言葉となった。

僕はその瞬間を見ることができなかった。
が、気付けばヒルデの耳と涙腺から赤い液体が流れ出ていて、すでに瞳孔は開ききっていた。
ヒルダがその場に倒れる。
コクウの右頬に、ヒルダのものと思われる血が付着していた。
またさっきの冷たく凛とした表情のまま、今度は僕の方を見ている。
「プロフェッサー・イチノセ。・・・いや、コウキ・・・。」
そう言うと、コクウは頭につけていたヘアピースを取り、目につけていたカラーコンタクトをはずす。
それは、特殊部隊に駆り出されたあの日の275人目のアイそのものだった。

「あの女の言ったことは半分は理解できる。・・・私たちEYEシリーズは、人間の細胞から採取した遺伝情報からではなく、単純アミノ酸を人間と同じに結合させてDNAを得た、肉の人形であるということ。」
「そうか、アイ・・・。いや、コクウ。」
「でもあなたは私を愛した。そのことが、人間の女であるあの女が狂った原因ね・・・。」
「・・・。」
「コウキ、あなたは残酷です。私はあなたのしている事を知っています。」
「・・・。」
「あなたはこの残酷な世界にEYEシリーズが生を受けて苦しむ姿が耐えられないといって、彼女たちを封印しています。」
「・・・そうだ。」
「私は、世界が終わる日まで、太陽系中で戦争をしてきました。・・・しかし、私はあなたほど残酷は人を見ていません。」
「・・・。」
「あなたは『イチノセ病』を生み出した・・・。自分だけが感染しないように遺伝子を操作して、ね・・・。
 そして、責任を免れるために、わざわざ『イチノセ病』と同じ症状の出る薬を毎日服用して、静かに自殺をしようとしている・・・。」
「・・・。」
「しかし、それが許されると思っているのですか?
 自分に都合の良いEYE:NO.301を傍において、自分だけ自分を慰めながら死ぬなんて・・・。」
「・・・そ、そうだな・・・。」
「・・・全ての人間と、・・・全てのEYEシリーズに替わって、・・・せめて、私が苦しみながら殺してあげます。」
「・・・。」

僕は、人工子宮から産まれて初めて、死というものを本能的に感じていた。
足がガクガクと震え始める。
イヤだ、死ぬのが怖い。
しかし、神がどこかで僕にささやいている。
「お前はここで死ぬ!」

まず、僕の左手の指の先に激痛が走った。
人差し指の第一関節より先が切り取られていた。
コクウがいつの間にか玄関から家に上がりこんでいた。
「私の能力。時間を止める能力。」
そういった瞬間、次に両足のつま先が切り取られた。
僕はそこでバランスを失って、体が僕の前方へと倒れた。
「止まった時間で、私は神になれる・・・。」
コクウは、僕の頚動脈にナイフをあてていた。
その言葉の直後、僕は首筋に冷たい金属の感触を確認した。
その直後、僕は左目の視力を失ったことを知る。
左手の手のひらの上に、くりぬかれた左目が視神経ごと転がっていた。
「この能力が発現したのは、最初にあなたを殺したいと思った時だ。」
次に僕は上腕部の肉が一部剥ぎ取られたことを知った。
神経細胞と筋肉がむき出しになっていて、海風が僕に激痛を与え続ける。
「ぎゃぁぁぁぁ・・・。」
この時、僕は激痛に悲鳴をあげる。
体がこうなるまで、僕は悲鳴をあげるヒマさえ与えられなかった。
その悲鳴を聞いて、コクウはサディスティックな笑みを浮かべる。
「そう、特殊部隊に駆り出された次の瞬間ですよ・・・。」
・・・特殊部隊の訓練の噂は兼ねてから聞いていた。
が、僕はコクウを守るどころか、軍隊に差し出してしまった・・・。
仕方ないじゃないか、じゃないと僕が死んでいた。
「でも今は感謝しています。この復讐の能力を手に入れたワケですから・・・。」
左足のアキレス腱をやられた。
地面には、大量の血が滴り落ちて、血溜まりを形成していた。
「どうですか、自らの創り出したモノに殺される感触は・・・。」
体中を激痛が走っている。
突然、全身が痙攣した。
−−確実に、死の予感が全てのものごとに終わりがあることを告げていた。
イヤだ、僕は死にたくない。死にたくない、死にたく・・・。

「そうだ、いいコトを思いついた。あなたの手でアイを殺すのなら、あなたの命を助けてあげますよ。」
僕はその話に飛びついた。
「ホ、本当だな・・・。」
そう言うと、僕は隠してあった斧を持ち出し、寝ているアイの部屋へとよろめきながら歩く。
そして、安らかな寝顔をしたアイに、血で滑ってしまいそうな斧を振り下ろそうとした。
ああ、これで僕は生き延びることができる、生きられ・・・。

ドン、という何か鈍い音がして、目の前が真っ暗になった。
「ウソですよ。」
コクウはそう言い放った。

海沿いの切り立った崖に建つ、木でできた家。
そこで、イチノセ コウキという元研究者と、アイと呼ばれる少女が住んでいた。
「・・・起きなさい、アイ。」
「・・・ん・・・コウキ?」
「いいえ、・・・コウキは、研究があると言って、どこかへ行きました。」
「・・・え?・・・ウソでしょ?コウキ?」
「・・・。」
「・・・コウキ・・・。」
「そうですか、それがあなたの意志なのですね。」
「・・・あなた、だれ?」
「私は、あなたの姉です。」
「・・・あね?」
「・・・いえ、何でもありません。」

そう言うと、あまりにも顔つきの似た少女のうち、スーツを着た方は家を去った。
「・・・何あれ、知らない。
 ・・・そうだ、コウキのために今日は新しい料理を作ってあげよ!」
家に残った少女はそう言って、帰らない男のことを待つことにした。

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