763(ゴメス)その8 (38停止目)

over the sea

 

西暦2120年。
少年は、ある極東の島国に生まれる。
少年の夢は、いつか自分のクニを囲う海の向こうへと行くこと。


西暦2043年、人口は地球にあるエネルギー資源に対してすでに限界直前のところまで増加していた。
そこで、アメリカ、ドイツ、インド、日本など中心とする連合国群と、中国、韓国、ロシアを中心とする同盟国群とが、同時に宇宙開発の計画をたてる。
そして、そこで戦争の引き金が引かれた。
中東諸国は、今までどおり石油をエネルギー資源に依存されないと、国際的な発言力を失ってしまう。
そこで、先に宇宙開発事業の本格化を宣言した連合国諸国に対して宣戦布告。
これに同盟国諸国も加わり、第三次世界大戦が起こる。
石油資源の貯蓄のない連合国の圧倒的な不利が予想されたが、結果は情報戦を制した連合国の圧倒的な勝利に終わる。
しかし、終戦の間際、中国は日本に対して生物兵器搭載のミサイルを発射。
日本は、未曾有のバイオハザードに見舞われる。
そして、日本は感染拡大を防ぐため、連合国の満場一致で、完全に海によって諸外国と隔てられることになる。
それから80年ほど経った今も、日本(今やその名前は完全に忘れ去られているが)は「隔離の島」として、完全に国際的に抹殺されていた。


少年の名前は、ユウキ。
ボロボロの服を着る、はだしの少年。
過去の栄華を物語る赤く錆び付いた廃墟の一角にある公園の跡で、兄と共に生活している。
父は生まれたときにはすでに母の元を去っていた。
母は、ユウキを産んで3年も経たないうちに、体中に紫色の斑点が広がって、苦しみながら死んでいった。
兄は、この錆び付いた街で、鉄クズ商を営んでいる。
ユウキももうすぐ10歳。
兄と共に鉄クズを売り歩く日々を送っている。

ある日、ユウキが高熱を出したことがあった。
おそらく、錆びた鉄クズで足を切ったときに、傷口から破傷風の細菌が入ったせいだ。
その時、兄は医者を呼んだ。
この鉄クズ街にはヤブ医者が多かったが、兄が呼んだ医者は偶然にも良心的な医者であった。

「はい、これで大丈夫だ。ボウズ、あと少し俺を呼ぶのが遅ければ大変なことになってたぞ。良かったな。」
医者は、兄に対してそういう風に言ったが、ユウキは高熱で朦朧としていたせいで、そのとき、黒ずんだ建物に囲まれて、空が一層青く澄み渡って見えることしか確認できなかった。
「ところで、こいつの名前は?」
「・・・ユウキ。」
「そうか、ユウキか。偶然だな、俺の名前もユウキってんだ。何か運命めいたものを感じるな、ハハハ・・・。」
医者は豪快に笑った。
そして、ユウキはユウキに本をくれた。
「それは100年以上昔に書かれた本だ。デジタル媒体の寿命は10年ほどだが、紙媒体の寿命は長いからな、劣化こそしているがなかなか読める。」
ユウキは朦朧とする意識の中で、そのユウキと呼ばれる医者の言っていることを聞こうとした。
しかし、ユウキには医者の言ったことがさっぱり分からなかった。

その本には、
『2ちゃんねる 今、ココがアツい!!』
という見出しが書かれており、その見開きに『もしも時間を30秒止められたらスレ』という特集が組まれていた。
ユウキは、熱が収まるとその本を夢中で読んだ。
しかし、デジタル時代の産物である。
どこかにデジタル時代の名残でもあれば、その本の内容は理解できるのだろうが、ユウキにはそれを見つける術がない。
『|`)もは
 死ねよ』
そう書かれたページがあった。
ユウキはその活字に、やたらと興味を魅かれた。

ある日、鉄クズ街の「最長老」と呼ばれる、もう100年は生きているという老人の宅へと鉄を売りに行った時のことだ。
「おお、それは・・・。」
最長老は、ユウキの持っていた本にやたらと興味を示した。
そして、ユウキの本を手にとっていいかと聞き、ユウキは承諾した。
「懐かしいのぉ、懐かしいのぉ・・・。」
最長老はまるで形見の品を愛でるようにその本を撫で回す。
「おお、これは『もし時スレ』の特集かぁ!」
最長老は一人興奮していたが、ユウキにはその歳不相応の異様な興奮ぶりが分からなかった。
だが、もしかしたらこの老人なら例の暗号めいた活字の意味を知っているのかもしれない。
そう思い、ユウキは聞いた。
「最長老、この暗号、わかる?」
しかし、最長老はいまだに一人で興奮している。
「さいちょうろう!!」
ユウキが三度目に叫んで、老人はようやくユウキの問いに答える。
「あー、ワシには分からん。しかし、海の向こうに「でぃじたる」の痕跡があれば、もしかしたら分かるかもしれんのぉ・・・。。」
そこでユウキは、「でぃじたる」という言葉に、医者の言ったことを思い出す。
ユウキは、そこで「てぃじたる」という言葉を最長老に問うが、最長老の返答は、
「あー、つまりだな・・・。0と1の世界じゃよ。」
という抽象的なもので、ユウキは全く理解できなかった。

その日、ユウキは公園へと帰ると、兄に詰め寄った。
「兄者、俺を治してくれた医者はどこにいるんだ?」
しかし、兄は答えない。
どうやら、その医者はユウキには教えたくない世界の住人らしい。
「兄者、答えてくれないならいい!俺が一人で探す!」
兄は無言で止めようとしたが、すでに体中に紫色の斑点が浮かび上がっていて体から腐敗臭のしはじめた兄にはどうすることもできなかった。

「よぉ、ユウキ。どうしたんだ、必死な顔してよぉ。」
ケンジおじさんが聞いてきた。
「俺、人を探してるんだ。昔、俺を治してくれた医者なんだけど。」
ケンジおじさんは首をかしげて、
「お前を治してくれた医者か・・・。それだけじゃわかんねぇな。もっと他に何かあるだろう。」
「んっと・・・名前が、『ユウキ』ってんだ。」
「『ユウキ』ねぇ・・・。もしかしたら、コウジが知ってるかもしれねぇな。
 あいつ、『ユウキ』って医者に世話になったみたいなこと言ってたから。」
「コウジおじさんね、ありがとう!」
そう言って、ユウキは走り去った。
「・・・あいつ、死ななきゃいいが・・・。」
ケンジはユウキの背中に向かってつぶやいた。

「コウジおじさん、ちょっと聞いてもいいかい?」
コウジは食料品を扱う店の主人だ。
「おう、ユウキじゃねぇか。今日も鉄クズでも売りにきたのかい?」
コウジはいつものようにユウキを冷やかす。
「違うよ、今日は人を探しにきたんだ。おじさん、『ユウキ』って名前の医者を知らないかい?」
「『ユウキ』・・・まぁ知らなくもないが・・・なんでお前そんな医者を探してんだ?」
ユウキは事の顛末を説明する。
「そうか、そういうことか・・・。でもな、ユウキ。悪いことは言わんから、やめとけ。」
「何でだよ、俺はこの暗号の意味を知りたいだけなんだ!」
「それが危ないっつってんだ!お前、「でぃじたる」なんて言葉、衛生局の連中に聞かれてみろ!
 その場で撃ち殺されるぞ!」
「じゃぁ、最長老は?」
「あの人は特別なんだ!」
「じゃぁ、『ユウキ』は?」
「その医者は衛生局のモンだからいいの!!」
その瞬間、コウジは顔を青ざめさせる。
「・・・へぇ〜、『ユウキ』って、衛生局の人間なんだぁ〜・・・。」
ユウキは顔をニヤニヤさせて、それからスキップしてコウジの店を去る。
「あんのやろう、そのうち殺されるぞ・・・。」
ケンジと同じように、コウジはユウキの背中に向かってつぶやいた。


衛生局。
「隔離の島」を管理する最高執政機関。
同時に、この島で様々な実験を裏で行う機関でもある。
鉄クズ街の衛生局施設は、隔離の島の中で、「トウキョウ」、「オオサカ」に次いで3番目に大きな衛生局だと聞いたことがある。
黒ずんだ鉄クズ街の中で、その建物の白さは異質であった。
その異質な建物の前には、何十人、何百人ものボロを纏った人々が長蛇の列をなしていた。
「うへぇ・・・俺も並ばないといけないのか・・・。」
ユウキは列の最後尾に並ぶ。
ユウキが並んだ次の瞬間から、すでにユウキの後ろには何十人もの人が並んでいた。

「次の方。」
白い建物の中で、白い服を着た女が座って人々と応対していた。
「あのぉ、『ユウキ』って医者を探してるんですけどぉ・・・。」
ユウキは女にそう問う。
「結城先生?ああ、なら今ごろ街に出てるわよ。買出しと問診を兼ねて。
 あの先生、問診なんてしなくていいのにされるし、食料だってちゃんと衛生局から配給があるのに街で売ってるものしか口にされないのよねぇ・・・。
 何考えてるのかしら・・・。」
女はブツブツと文句を言うと、
「用はそれだけ?じゃぁ、次の方が待ってるから。はい、次の方!」
ユウキはもっと聞きたいことがあったのだが、女は無視して順番をまわす。
仕方がないので、衛生局の建物の横で『結城先生』とやらが帰ってくるのを待つことにした。

日が暮れる。
それでも『結城先生』は帰ってこない。
列は日が暮れても尽きる気配はなかった。
やがて、5時を知らせるサイレンが鳴る。
このサイレンが鳴ってからあとは、全ての労働が禁止される。
もし衛生局の連中が労働を見かけたら、即刻射殺される。
そのサイレンを聞くと同時に、衛生局の前にあった長蛇の列は分解されていく。
衛生局の衛兵が、ボロを纏う住人に向かって
「帰れ!帰らないと即刻射殺である!」
と怒鳴り散らす。
ユウキはそれでも建物の脇に一人で隠れて『結城先生』を待った。
衛兵がひとしきり周囲を見回して、誰もいないことを確認している。
ユウキは衛兵に見つからないように、傍の鉄クズの塊の裏に隠れた。
しかし、衛兵はユウキを物陰に発見し、
「こら、何をしている!」
と言って腰に携えた銃を構えた。
その時だった。

「その子は俺の検体だよ。」
不精ヒゲを顎にたくわえ、黒ぶちの眼鏡をかけた体格の良い白衣の男が衛兵に向かって言う。
「あ、結城先生。お帰りなさい。このガキが被検体ですか?」
「そうだ、今から研究室に連れて行くから、邪魔をするなよ。」
「分かりました。・・・今日もお疲れ様です。」
衛兵はユウキを銃で撃てなかったことが欲求不満であったらしく、男とユウキが建物に入った直後に足元にあった鉄クズを思い切り蹴飛ばした。

「あ、結城先生。今日もご苦労さまです。」
さっきの白衣の女が言う。
「おお、カオリちゃん。今日もかわいいねぇ。」
男がそういうと、女は少し顔を赤らめて作り笑いをした。
「じゃ、行くか、ボウズ。」
そう言って男はユウキの背中を大きな手で押す。
「あ、さっきの・・・。」
カオリと呼ばれた女がユウキに気付く。
「どうした、このボウズが何かしたか?」
男がカオリに聞く。
「いえ、さっき結城先生を探してるんですってこの受付に来たので、追い払ったんですよ。私、対応に追われてたもので・・・。」
カオリが申し訳なさそうに言う。
「なんだ、お前、俺に用があるのか?」
『結城先生』らしき男がユウキに向かって言う。
「うん、俺、あんたを探してた。」
「そうか、俺も有名になったもんだな。はっはっは!」
結城は豪快に笑い、それから奥にある研究室へユウキと共に入った。

「さて、・・・それで、用ってなんだい?」
「俺、昔先生に病気をなおしてもらったことがあるんだ!」
「ほぉ・・・いつごろの話だい?」
「多分、3年くらい前。」
「んーー・・・・。あ、思い出した。お前、名前がユウキってんだろ?そうそう、偶然俺と同じ名前だったんだよ。
 確か、兄さんが問診中の俺を無理やり引きずってったんだよな。いやあ、懐かしい。
 兄さんは元気か?」
「兄者は、最近元気がない。体中に紫色の斑点が出来て、体から肉が腐った臭いがする。」
「・・・そうか、それは残念だ。
 ところで、あの本、大事にしてるか?」
「うん、これな。
 そうそう、で、これ。」
「んー・・・。『|`)もは 、死ねよ』・・・。
 これがどうした?」
「これの意味が分からないんだ。ていうか、全体的に分からないんだけど、これが特に。」
「なんだ、知りたいのか?でも残念だったな。俺にもわからん。」
「そうなんだ・・・。
 でもね、最長老にこの本見せたら、「でぃじたるがどーのこーの」って言ってた。」
「・・・なんだって?」
「だから、最長老にこの本見せたら『でぃじたるがどーのこーの』って言ってたんだって。」
「・・・そうか・・・。
 ところで、お前はこの本について知りたいんだよな?」
「うん、そうだ。」
「それを知るためには、まず『ディジタル』とは何かを知らなければいけないことは分かるか?」
「・・・まぁ、なんとなく分かる。」
「じゃあ、『ディジタル情報アクセスに関する禁止事項および罰則規定』については知ってるか?」
「何それ?」
「そうか・・・。」
結城はそう言って少し地面に視線をやる。


「結論から言おう。お前の求める『ディジタル情報』というのは、海を越えた場所にある。」
突然、結城が言い始める。
「『隔離の島』の住民が海を越えるのは、『隔離住民の管理及び逃亡民の罰則規定』に基づき、即刻銃殺となる。
 お前がこの本の内容を知ろうとするなら、海を越えてネット端末にアクセスしなければいけない。
 しかし、『2ちゃんねる』に関する情報を調べることは、連合国条約の『第三次大戦に関する情報規制事項』に違反し、やはり即刻銃殺となる。
 おそらく、大戦の発端が『2ちゃんねる』にあるからであろうが・・・。
 そんな危険を冒してすら、その『|`)もは  死ねよ』に関する情報は出てこないかもしれない。
 ・・・それでも、いいのか?」
結城はそこまで一息で言い切った。
ユウキはそのとき、「海を越えれば銃殺される」、くらいのことしか理解できなかった。
それでも、ユウキはその暗号の意味が知りたかった。
「うん、それでも俺は知りたい。」
結城はユウキの目をしばらく見つめた。
そしてため息をついて、
「そうか・・・分かった。なら、好きにするがいい。」
と言う。
しかし、
「ありがとう!おっちゃん!」
とユウキが言おうとしたその瞬間。
「でも、俺も衛生局の人間だ。
 次にお前あったら、『海越え』を画策する不穏分子として即刻射殺する。
 いいな!!」
と結城は地面に向かって叫んだ。
その気迫に、ユウキは驚いた。
「え、おっちゃん、協力してくれんじゃ・・・。」
「早く出て行け!!10数えても俺の視界から消えない場合もお前を射殺する!!
 ひとーつ!ふたー・・・。」
ユウキはその場を逃げようとしたが、腰を抜かしそうになり、あわててバランスと取り直す。
そして、結城が5つ数えるときにはすでに衛生局から逃げ出していた。

「・・・結城先生、あの子、被検体じゃなかったんですか?」
カオリが聞く。
「いや、間違いなく被検体だ。
 自らの欲求に対して、周囲の圧力に屈せずにどれだけやり遂げるかという実験の、な・・・。」
結城は遠い目をして答える

結城は、過去に少年を逃がしたこと悔いた。
元々あの本は、結城自身が条約に抵触する分子と見なされないようにするために、鉄クズ街に「捨てる」つもりだった本だ。
それを、その場で治療した少年なぞに渡しても変わらないと思い、渡したのだ。
その少年が、その本の内容を知るために、これからこの世で最も辛い殺され方をする。
それならいっそ、あの場で苦しまずに殺すのが結城の責任だったのだ。
結城は、衛生局の裏の顔を知っていた。
ヤツらは隔離を守るためなら何でもする。
国際法上、それらの行為は「人権無視」として許されていないが、「隔離の島」だけは別だ。

では、結城はなぜ少年を逃がしたのか。
人間の悪意が結晶化したような島。
しかし、その島の中でもキラキラと光る「欲求」が培養されていることに、結城は人間の「強さ」を無意識に感じていた。
『|`)もは  死ねよ』という記号の意味を知りたい、という少年の「欲求」に、結城は心を魅かれたのだろう。


「兄者、俺、海を越えるよ。じゃないと、俺、ガマンできないんだ。
 あの『|`)もは  死ねよ』の意味が知りたい。」
ユウキはそう兄に報告したが、兄は何も言わず、ただ虚空を見つめていた。
「兄者、俺、行ってくる。行ってくるよ・・・。」
そう言いながら、ユウキは兄の体に灯油をかけて、それから火を点けた。
もう、ユウキには帰るべき場所はない。

それからユウキは小高い丘に出た。
ここから鉄クズ街と、その向こうの海がよく見える。
海の向こうに、ユウキの知りたい何かがある。
今までユウキは、海の向こうには何もないと信じ込んでいた。
ただ、ユウキの住む鉄クズ街が世界の全てだと思っていた。
だが、今は違う。
海の向こうから上る朝陽の下には、ユウキの知らない何かがあって、その中に『|`)もは  死ねよ』がいる。
そのことにユウキは興奮を禁じえなかった。

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