763(ゴメス)その3 (34停止目)

ケース1 西谷 文也 と 榊 千津 の場合

 

事の原因となる輩は、私が研究室から出てすぐそこにいた。
私が見たことも聞いたこともない存在。
多分、人間じゃない。

「おい、文也。僕が見えるかい?」
彼の初めの挨拶はこれだった。
驚いていた私は、この挨拶に、目の前の存在には言語を話す程度の知性があることを悟る。
「あ、ああ。見えるさ。でも、何でお前は私の名前を知ってるんだい?」
私は、アニタの存在そのものではなく、なぜかその事を聞いていた。
「何でって、当たり前だろ。だって僕はアニタなんだもん。」
私はなぜ当たり前なのかは気になったが、そのことには突っ込まず、
「そうか、お前、アニタって言うのか。よろしくな。」
と、なぜか初めて出会う男にするような挨拶をした。

それから、私は家に帰る。
アニタもついてくる。
「おい、アニタ。何で私についてくる。」
アニタに向かって言う。
「だって、僕、お前のことが気に入ったんだ。よろしく頼むぜ。」
私は少し怒りを感じたが、どうやら敵意はなさそうだし、それにこの生物を論文に書けばきっと世紀の大発見になる。
そんな妄想を働かせつつ、私はアニタと共に深夜の道を歩く。

家に着く。
私の今すんでいる家は、千津の実家が持っていたもので、家、というより屋敷、という表現の似合う、非常に立派なものだった。
私の許嫁である、千津が出迎えてくれた。
アニタはというと、さっきまで私の傍にいたのに、いつの間にか姿を消していた。


「おい、お前の嫁さん、美人だな。」
夜、私が寝ていると、不意にアニタが枕元でささやいた。
いつの間にここに入ってきたんだ・・・。
「はは、私の自慢の嫁だ。とはいっても、まだ入籍はしてないがな。・・・許嫁なんだ。来年には式を挙げて籍も入れてしまうつもりだ。」
私はアニタの突然の訪問に驚いたことを悟られないようにして言った。
「そうか。いいな、文也は。あんな美人での気立てのいい嫁さんがいて。僕はずっと一人ぼっちさ。あーあ、僕もあんな嫁さん欲しいな。あ、そうだ。いいこと思いついた。」
「んー、何だ、言ってみろ。」
「文也が僕に嫁さんくれればいいんだよ。」
「ははは、それはいい考えだな。」
私アニタが冗談を言っていると思い、そう返してから、またアニタと色々と話した。
私とアニタは案外ウマが合うらしい。
それから、私は研究室の不満とか、千津が案外料理が出来ないこととかをアニタと話して、一時間くらいして寝てしまった。

次の日、私は枕元にアニタがいないことを悟る。
私は、案外アニタのことを気に入っていたのだが、もしかしたらアニタの存在自身が私の夢の中の住人なのか、と思い、何も考えずに研究室へと出勤した。

それから、あっという間に一年近くがすぎた。
私と千津は、正式に結婚することになり、式はすぐ目前まで迫っていた。
そして私は、アニタのことをすっかり忘れてしまっていた。

式前夜。
私は緊張していた。
今までひとつ屋根の下に住んでいたとはいえ、千津とは今まで床を共にしたことも、接吻さえもしたことがない。
千津の家はガチガチの旧家で、「お嫁に行くまではキレイな体で・・・。」というシキタリに非常にうるさいのだ。
ではなぜひとつ屋根の下に住んでいたかというと、これも千津の家のシキタリなのだそうだ。
しかし、式を挙げてしまえば話は違う。
そういう千津の家のシキタリは全て取り払われて、私と千津は晴れて自由の身になる。
私は千津の身体をまだ全くしらない。
しかし、明日の夜には全て知り尽くすことになるだろう。
もうひとつ屋根の下に住みはじめてかれこれ3年になる。
3年かけて、やっと、千津の美しい肢体を私は知り尽くすことができるのだ。


私はとりあえず床につくが、なかなか眠れない。
天井は不気味に暗く、まるで私は天井に見つめられているような錯覚に陥る。
「よお、文也。元気してたか?」
聞き覚えのある声が突然響いた。

その声の方向には、異形の姿をした何者かがいた。
僕はその姿に一瞬恐怖を感じたが、すぐにそれがアニタだということを思い出した。
「ああ、お前、久しぶりだな。どこ行ってたんだよ。」
まるで同窓会などで旧友に再会するような感覚で私は起き上がって再開の喜びを伝えた。
「んー、ちょっと色々と準備してたんだよ。それより、文也。嫁さんは元気でやってるか?」
「ああ、相変わらず料理は下手だけどな。」
「そうか、じゃあもらっていくわ。」
「・・・は?」

私は突然のアニタの発言に戸惑いを隠せなかった。
「何を言ってんだ、お前。」
私はアニタに本気で問うた。
「何って、お前、言葉どおりだよ。僕は今から文也の嫁さんをもらうの。」
「冗談抜かすな、千津は私の許嫁でな、明日私たちは式を挙げて正式に夫婦になるんだ。」
「関係ないさ。だって、文也は僕に嫁さんをくれるって言ったじゃないか。」
「誰がそんなこと言うんだよ、勝手なこと言うな。」
口調は抑えていたつもりだったが、湧き上がる怒りを隠せず、自然と強いものになる。
「まぁ、文也がなんと言おうと関係ないよ。約束は約束だからね。それじゃ、嫁さんをもらってくよ。」
アニタはそういうと、千津の部屋のある方へと歩き始めた。

私はアニタをすぐに追いかけたが、アニタは思った以上に移動速度が速く、私が着くより先に千津の部屋にいた。
千津は、アニタに抱きかかえられ、何がなんだか分からないというのと、恐怖が混じった表情で私の方を見た。

アニタは私の方を見た。
「文也、約束は約束だからね。」
そう言うと、千津を抱えて私の方へと突っ込んできた。
私は突然突っ込んできたアニタに対応できずに吹っ飛ばされた。
「千津!」
私はそう叫ぶと、アニタを追いかけて再び家中を捜す。

アニタは応接間にいた。
私はアニタを見つけるやいなや、傍にあった花瓶をアニタに放り投げた。
アニタの頭の部分に当たる。
アニタは千津をその衝撃で床に落とした。
私はすかさず、アニタを、今度は調度品の石で殴りつけた。
アニタはその場に倒れこんだ。
私は千津の手をひき、応接間の出口付近に陣取る。
「ねぇ、文也さん、あれは一体、何なの?約束って?」
千津が聞く。
「千津、今日、お前は何も見なかった!」
私は千津にそう言い聞かせる。
「文也、やってくれたね・・・。いいよ、嫁さんはお前にやるよ。
だけど、僕はお前を許さないよ。必ず後悔させてやる。
そうだな・・・。いいことを思いついた。19年後を楽しみにしとくといいよ。あはははは・・・。」
いつの間に消えたのか、アニタの姿はなかったが、私にはアニタの、その執念の混じった笑い声が聞こえていた。

次の日、私と千津は何もなかったかのように式を挙げ、そして初夜を迎えた。
その後、何もなかったかのように娘が産まれた。
私たちは「恭子」と名づけた。
恭子は今年で3歳になる。
言葉を覚えるのは早かったし、それに3歳にして、すでに生まれもっての気品みたいなものを感じさせる娘だ。
私と千津との仲も良いし、一見、ごく一般の家庭より幸せな家庭である。
だが、
「ねぇ、ぱぱー。『あにた』って知ってるー?」
と恭子が聞いてくる度に、私は不安で仕方がなくなる。
あと15年後・・・アニタの復讐が始まるらしい・・・。

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