加賀見 短編大会優勝作品(26停止目)

四月一日のタイムマシン

 

 神様、ボクは結局正義の味方にも、悪役にもなることができませんでした。

 神様、こんなにもちっぽけなワタクシゴトに、力を使うボクをどうかお許しください。


 その日、目覚めると、ボクは見知らぬ部屋のベッドの上にいた。
 限りなく白く、清浄な部屋の中、事情の飲み込めないまま周囲を見渡すと、そこには女性が一人。
 ふと目が合うと、その女性は、驚いた様子で部屋の外へと駆け出していく。

 暫くして、彼女と共に現れたのは、白衣を着た男性。

 白衣の男性は、入ってくるなりボクの身体を触りながら、普段あまり聞きなれない言葉を発し、
 隣の女性はその言葉を、手に持ったファイルに記入していく。しばらくすると、それも一段落ついたのか、
 男性は手を止めこちらに向き直り、
「こんにちは、四月一日 時雄君。気分の方はどうですか?」
 と優しく語りかけてくる。

「……え、あ、はい大丈夫ですけど……なんでボクはここに?」
 そんな男性の質問に対し、ボクは反射的に返事をし、ついでに疑問も口にする。
 返答を聞いた男性は、一瞬、顔を強張らせたかと思うと、こちらに聞こえないよう女性に耳打ちをし、
 今度は先程とは変わり、どこか重い口調でボクに語り始めた。

 男性は、三日前に起きた飛行機事故、その事故の唯一の生存者がボクだと言うのだ。
 それはあまりにも現実味のない話。
 男性は一通り話を終えると、続いて口早に検査の日程などを説明し、部屋から退室した。

 ――――そんなボクの曖昧な記憶が戻るのに、そう時間は掛からなかった。
 記憶が戻るたびに、数日前、男性が語った話は現実味を帯びていき、そしてそれは痛みを伴った。
 助けを求める悲鳴、大切な人を探す声、そして……息子を身を挺して守ろうと、覆いかぶさるように抱き締めるボクの両親。
 全てを思い出す頃には、ボクの心は枯渇していた。

 身体の異変に気づいたのもこの時。きっかけは夕食時にスプーンを落としたことだった。
 ボクが咄嗟に床へと落ちるスプーンに、意識を集中させるとその瞬間、それは固定されたように空中で動きを止める。
 いや、それだけではない、一定のテンポで電子音を刻む機械や、窓から吹きぬける風……
 まるでボク以外が、世界から隔絶されてしまったように、その動きを止めていた。

“時間を止める力”それがボクに宿った不思議な能力。
 この力を得たばかりに、ボクはあの事故から生き残ってしまったのだろうか。
 この力が無ければ、心が枯渇したまま生かされることもなかったのかもしれない。
 そう考えると、ボクはこの能力に微塵も魅力を感じることができず、あまり使う気にもなれなかった。

 そうして、どこか空虚な入院生活は続く。
 松葉杖を使い、歩き回れるほどに回復したボクは、いつしかしばしば個室を抜け出し、病院内を歩き回ることを日課にしていた。 
 この日もボクは、病院中をボンヤリと歩き回った後、最近見つけたテラスのある休憩室へと足を向ける。
 今日はここで時間を潰そうと、缶ジュースを買うために財布から硬貨を取り出すが
「――アッ」
 松葉杖のバランスが僅かに崩れた拍子に、持っていた硬貨は床へ。
 慌てて拾おうとするが、脚の怪我のせいで上手く屈むことができず、硬貨との睨めっこを続けてしまう。

 その様子を見ていたのだろうか、
 スッ――と、どこからか白く流麗な腕が伸びると、掴んだ硬貨をこちらへと差し出した。
「あっ、ありがとうございます」
 差し出された硬貨を受け取り、礼を言い顔を上げる。

 そうしてボクの視界に映ったのは、こちらに向かい微笑む妙齢の女性の姿――――。

 テラスから差し込む夕陽に照らされ輝く長い髪は、老婆のようにどこまでも白く、
 こちらに向けた微笑みは、どこか少女のような無邪気さを兼ね備えている。

 妖艶さと幼さが同居するようなその容姿に、ボクは一瞬、心を奪われていた。

「? どうかした?」
 そんな様子が気になったのか、彼女は怪訝そうな顔をし、尋ねてくる。
「えっ、あ、いえ何も。お金、ありがとうございました!」
 こちらを見つめる女性の視線に、急に気恥ずかしさを感じ、視線外しながら返事をすると、
「どういたしまして。困ったときはお互い様、ってね」
 彼女はその返事に満足そうに答え、ボクが来た道とは逆方向に駆けてゆく。

 それが彼女との出会い。

 ――――その日を境に、ボクの日課は少しずつ楽しみへと変わっていった。

 遅めの昼食を取った後、個室を抜け出し、病院内をブラリと散歩をする。
 そして日の沈みかけた頃、テラスのある休憩室に向かうと、そこには決まって彼女がいて、
 ボクらは他愛のない話を繰り返すのだ。

 そんな彼女の名前は桜木 花。
 容姿はとても大人びていて、年上に感じられるのに、敬語を使おうとすると、不機嫌そうに頬を膨らませる。
 そんなこともあってか、ボクは敬語を使わず彼女に接し、会話した。

「でもさぁ、ワ・タ・ヌ・キってホント変わった名字だよねぇー」
「四月一日って書いてワタヌキだからね。確かに一発で読めた人は殆どいなかったかも……。
 あ〜あ、ボクも桜木みたいな読みやすい名字に生まれたかったなーな〜んて」
「へっへ〜羨ましいでしょ〜」
「ひっでぇ……。わざわざ寂しそうに言ったんだから、慰めるくらいしてくれよ」

 この日も互いの名前について会話は弾み、ボクらは笑う。
 けれど、そんな時間も長くは続かない。
 いつしか夕陽が沈み、夕食の時間であることを告げる音楽が鳴ると、
 ボクたちは『また明日』と挨拶をし、桜木はボクと逆方向の病棟へと歩いてゆくのだ。

 桜木が何という病気で、なぜ入院しているのかボクは知らない。
 彼女もまた、なぜボクが此処にいるのかを聞こうとはしない。

 互いの名前と姿だけで繋がっているような脆弱な関係。
 それでも、彼女と話しているだけで、枯れたはずの心は満たされた。

 それから季節は一つ巡り、ボクと桜木の関係はより親密なものとなり、
 時々、消灯後の病室を抜け出しては、二人でテラスに向かい、喋りながら夜を明かすことも増えていった。

 けれど、
 そんな生活を続けるたびに、満たされた筈の心は、更に貪欲に彼女を求めるようになっていく。
 彼女の年齢を知らないこと、彼女の病気を知らないこと、彼女がいつから入院しているのか知らないこと――――
 今までは知らなくても我慢できたことが、今はできずにいた。

 そんな想いを胸に秘めたある日、
 桜木といつものように別れたボクは、秘めた欲求を抑えられず、彼女の後をそっと追ってしまっていた。
 ボクは一定の距離を保ちながら、長い廊下を超え階段を昇り、やがて普段は足を踏み入れない病棟へと辿り着く。
 桜木は数ある扉のうちの一つに手をかけると、部屋の中へと消えていった。
 その動作を確認し、ボクは彼女が入っていった部屋の前に、あまり足音を立てずに近づきそっとドアノブに手をかける。

「…………」
 ほんの僅かに躊躇したが、欲求には勝てず、ボクはあの日以来使うことを止めていた能力を使い、
 彼女の病室、彼女の領域へと踏み込んだ。

 時間を止まった世界の中、踏み込んだ彼女の部屋、桜木は、窓を開け外を眺めてたまま、その動きを停止している。
 パッと見た限り、女性にしては割と簡素な部屋には、大きなベッドと旅行鞄、そして棚に置かれた写真が一つ。
 その写真の中には、学生の頃だろうか、黒髪の桜木が両親らしき男女と共に写っている。

「あれ……でもこの写真、日付が――――」

 ボクが何気なく手に取った写真。
 その右下には小さく、今から二年前の日付が刻印されていた。

「それでさ、その看護婦さんったらね……って、ワタヌキちゃんと聞いてる!?」
「へっ!? ん、ああ……聞いてる聞いてる」

 あれから、写真以外にはめぼしい物が見つからず、ボクは桜木の病室を後にした。
 結局、彼女のことを知ることはできず、謎は深まるばかり。
 あの写真は一体何だったのだろうか……写っているのは妹? いやでもあれは確かに桜木本人のはず……と、
 そんな思考が度々ボクを支配した。

「ウ〜ソ、なんか別のことでも考えてたでしょ〜。当ててあげよっか? ズバリっ! 晩御飯のことでしょ?」
「ハズレ」
「えっ、じゃ……じゃあズバリっ!! 今日のテレビ番組のことっ! これでしょ〜?」
「それもハズレ。っていうかさ、それって全部、桜木の楽しみしてること言ってるだけじゃ……」

 そう言っている間にも、だんだんと陽は沈む。
 やがて、毎日のように聴きなれた単調な音楽が流れ始め、ボクたちの時間に終わりを告げた。

「あ……そろそろ戻らないと。今日は夜、どうする?」
「そうだねぇ〜じゃあいつも場所で」
「ん。それじゃ、またな今夜な」
「うん。またねっ」

 簡単な約束と挨拶を終えると、ボクたちはそれぞれの病棟に向かい歩み始める。

「ねぇ」
 その途中、桜木は足を止め、ボクに向かって言葉を投げかける。
「ん? どうかした?」
「――――さっきワタヌキが考えてたことって……もしかしてワタシのこと?」
 まるで、ボクの心を見透かしたように彼女は言った。
 僅かに動揺する心。けれど、ボクはそれを包み隠すように返事をする。
「残念。ややハズレってとこかな」
「そっか――。ゴメンね何か変なこと聞いちゃって。それじゃ、また今夜ねっ」
 
 そう言って彼女は、恥ずかしそうに笑い、こちらに手を振った後、再び歩き出す。
 気のせいだろうか、桜木は少しだけ俯き加減で笑ったように感じられた。

 時間は足早に過ぎてゆき、季節はまた一つ移り変わる。

 草木が芽吹き始め、
 どこか春の匂いが漂う――そんな夜のことだった。
 ボクと桜木はお決まりのように、テラスで出会い、
 その日の夕食のことやテレビのこと、様々な話題を語り合う。

「ねぇ、ワタシがワタヌキと出会ってすぐのとき、敬語を使わないで、って言ったの覚えてる?」

 そんな会話を続け、話題が尽き始めた頃、不意に桜木はそう言った。

「うん、覚えてるよ。最初は敬語を使わないのには違和感あったけど、今はもう慣れたかな」
「……やっぱりそう思っちゃうのも無理もないよね」
「? 無理もない?」

 先程までとは、うって変わった話題と彼女の言葉。
 意図の掴めないままでいたボクに、彼女――桜木 花は決意を籠めた表情で告げた。

「――――ワタシね、こんなだけど、まだ16歳なんだよ」と。

 一瞬、辺りを静寂が包む。
 テラスから差し込む月の光を浴び、美しい白髪をたなびかせる目の前の女性。
 明らかに自身より年上に思えた、その姿。
 けれど、その彼女はボクよりも年下だと言ったのだ。

「そういう病気――なの。他人よりも時間が早く過ぎていく、そんな病気」
「他人よりも早く……?」
「うん、そう。普通の人にとっては、たった一年でも、ワタシにとってはその数倍の時間が過ぎていくんだ。
 おかしな話だよね、心はまだ16歳のままなのに、身体はどんどん、大人になっていくんだもの」

 そうやって彼女はしばらくの間、自身について語り続けた。
 こちらの気を煩わせないためなのか、彼女は不自然なほど明るく振る舞う。
 だからボクも、普段と変わらない振りしながら、彼女の話に耳を傾けた。

「ホントはね、もっと早く言おうと思ってたの。けど、仲良くなればなるほど、言い出しにくくなっちゃって。
 変な子だって、思われちゃったかな……?」

 桜木の話が途中に差し掛かった頃、彼女はボクに向かい問いかける。
 ボクはその問いかけを、無言で首を横に振り、否定した。

「そっか、うん良かった。正直、ちょっと不安だったからホッとした……」
「病気のことなんかで、桜木を嫌いになるはずないじゃないか」

 そんな不器用なボクの言葉を聞き、桜木はホンの少し嬉しそうに微笑む。
 嫌いになれるはずなんてなかった。
 彼女の姿、声、心、そして笑顔。その全てに触れたおかげで、ボクの枯れた心は再生し、
 こうやって一人の女性を、愛することができたのだから。

 けれど、不安……いや、恐れもあった。
 例え普段通り生活していても、彼女はボクを置き去りにして時を駆けていく。
 いつしかのように、一人取り残されてしまったとき、ボクの心はまた枯れるのだろうか。

 話を一通り終えた後
「――――タイムマシンがあったらいいのに」
 と、桜木はまるで独り言のように呟いた。

「ワタシはそのタイムマシンに乗って未来に行くの。そしたらそこには、今よりもカッコ良くなったワタヌキがいて、
 病室から見える公園を一緒に散歩して……。また距離が開いたら、
 次はお爺ちゃんになったワタヌキのところに行って、それで、それで――――」

 ポツリと言った独り言の後、桜木は堰を切ったように言葉を紡いでゆく。
 今まで笑顔で繕っていたものが溢れるように。
 でもそれは、自身では叶えられるはずもない夢物語。

「もういいって……。ボクはどこにも行かないから」
 そんな言葉を聞くのが辛くて、ボクは思わずそう口にし、彼女を抱き締める。
「……んなの…理だよ……」
 両腕の中で囁く彼女。ボクの衣服の濡らす涙。
「……そんなの無理だよ……。こんな強く抱き締めてくれても、距離はどんどん離れていっちゃうんだもん……。
 心は16歳のままなのに……身体はお婆ちゃんになっていっちゃうんだもん……」

 ボクもまた感じていた不安を代弁するかのように、自身の感情を吐露する彼女。
 そしてこの瞬間にも、桜木の身体は、散る花のように朽ちていく。

 ――――方法なら一つある。

 その方法ならば、ボクは彼女と歩幅を揃えて歩いてゆくことができる。
 けどそれは、ボクのエゴなのかもしれない。
 ただただ、心が枯渇するのを恐れているだけなのかもしれない。
 でも、彼女がボクとともに生きたいと願うのならば、そこに救いはないけれど、

「……無理じゃないよ」
「えっ……?」
「桜木……ボクと一緒に未来へ――――」

 ボクが偽りの未来へ進む理由は、それで充分なのだと思う。


 時刻は四月一日午前二時。その日、ボクは彼女にそっと嘘をついた。

 そうして――――

 あれから今も、ボクは一人、世界から隔離され時を刻み続けている。

 嘘をついた翌日の夕食後、
 ボクは桜木を外へと連れ出し、彼女が窓から眺めていた公園で時を止めた。

 時々、本当にこれでよかったのか、と思う時がある。
 時々、本当にボクは彼女の幸せを願っていたのか、と考える時がある。

 力を使うのを止め、桜木が再び目蓋を開けても、
 そこは数年の時を刻み成長した、ボクが存在するだけの、
 それ以外は何も変わらない、偽りの未来なのだから。

 そう、救いなど微塵もない、大人のボクがいるだけの――――

 神様、アナタはなぜボクにこんな力を授けたのですか?
 神様、アナタは事故から生還したボクが、正義のために力を振るうような物語を期待していましたか?

 でも残念ながら、その期待に応えることはできません。

 神様、ボクは結局正義の味方にも、悪役にもなることができませんでした。
 神様、こんなにもちっぽけなワタクシゴトに、力を使うボクをどうかお許しください。

 そんな懺悔を繰り返しながら、
 停止した四月一日のなか、ボクは隣に眠る桜木の頬を優しく撫で、

 再び目覚めた彼女に、嘯(うそぶ)く言葉を考え続けるのだ。


<終>

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