不精男(35停止目)

ラストシーン

 

 いつの時代にも言えることだが、人は常に群れて行動し、自分と同じである事を他人に求める。
しかし、いつの時代も異端者は確実に存在し、そして例外なく彼らは排除の対象となっていた。
「魔女狩り」
 それ程遠い昔でも無い。しかし確かに存在した異端能力者の存在を恐れた人間は、彼らを暴
力で屈服、排除させようとした。彼らは人間に対する危害を加えるつもりなど毛ほども無いとい
うのに、
それでも人間は彼らを恐れた。
 僕の一家は、残念ながら異端の血筋を受け継いでいるものだった。物心付いた時から逃亡生
活。一時の平穏も居場所が割れれば追跡の手が忍び寄り、異端である事が知られればそれま
で仲良くしていた周囲の人間にも途端に追われる事となる。
 これは、僕が67回目の"引っ越し"をした時の物語だ。
 僕の家は引っ越しをする時は必ず身分を丸ごと詐称する。見かけも、異端者の父と母はそっくり
変えてしまう事が出来る。今回は、銀行員の父親と専業主婦の母親に祖母、姉、そして僕という至っ
て普通の家庭の設定だった。そして今回の僕の名前は、「谷村悠斗」だった。元の名前なんて、
もう既に覚えていない。僕にとって自分の名前はそれ程重要なものではなかった。
「悠斗」
 父が僕の名前を呼ぶ。ビシっと灰色のスーツを着こなして髪形をセットしている
その姿からは、彼が異端だなんて空気は微塵も感じさせていなかった。縁無し眼鏡
の奥から僕の顔を覗き込むように見つめ、不意に笑顔を作る。
「誕生日おめでとう」
 そう言った父の右掌には、いつの間にか大きなラッピングされた箱が乗っていた。
僕は感嘆の声をあげると同時にそれを受け取り、夢中で中身を確かめる。
「学校には遅刻するなよ、それじゃ、行って来ます」
 中身は筒状の望遠鏡と、皮製の高級腕時計だった。帰ってきたら父に礼を言う事
を誓って、プレゼントを部屋に片付けるとすぐに僕は家を後にして学校に向かった。

 67回以上も引越しを経験してきたからこそ分かる。今日は明らかに父や母の身に
纏っている空気が尖っていた。嫌な予感がしたが、いざとなったら父は迷わず逃げ
ると言うだろうとタカをくくって、割と暢気にその日を過ごしていた。
 いつものように学校に行って授業を受けて、いつものように彼女の元へと僕は走った。
 町外れの小さな病院で彼女の姿を見かけたのは、この街に来て二日目の事だった。
ヨタヨタと危なげに病院の中庭を歩くその姿に、僕は何故か惹かれる物があった。
その翌日、彼女が僕と同じ年で同じクラスに居るべき子なのだと知る。
 病院の見舞い役を買って出たのは、その三日後だった。別に度々病院を訪れない
といけない理由も無かったけど、学校で渡されたプリントや連絡事項を僕は小まめに
彼女に伝えに行った。打ち解けるのにさほど時間はかからなかった。今日も僕は、プ
リント一枚を手に彼女の元を訪ねた。
半年前の夏。僕の知らない夏。彼女は大きな交通事故にあった。幸い命に別状は無か
ったが、その代償として下半身の幾つかの筋肉と神経の連絡が断ち切られ、動かせな
くなってしまったらしい。それでも僅かな可能性を持って、彼女は今リハビリに取り組ん
でる真っ最中だった。
「お医者さんからは可能性は0じゃないって言われたんだから」
 いつか彼女が満面の笑みを浮かべて言い放つ様を見た時、なんて言うか、僕のココロ
の中にむず痒い電撃が走ったのだ。

「いつもいつもありがとう」
 放り投げるようにプリントをベッドの上の机に置くと、彼女は照れたような表情を浮かべ
てそれを受け取る。中身はなんて事の無い、教師の作った数学のプリントだ。彼女は勉
強は結構出来たらしく、学校に毎日通ってる僕の方が教えて貰う事も時々あるくらいだった。
 彼女の親戚が持ってきた見舞いの果物を二人で食べながら、他愛ない世間話を繰り
返す。学校の事、クラスの友達の事、何でも彼女は知りたがった。
「去年の今頃かなぁ。私好きな人が居て、その人の誕生日に頑張ってケーキとか作って
みたりしちゃったんだよ」
 僕は笑う。彼女も笑う。

 いつの間にか夕日が沈みかけていたので、僕は彼女に別れを告げて家路を辿った。
 黙々と歩く。
 …ピリピリピリピリ、鬱陶しいったらないな。
 影こそ見えないものの、気配だけは確実に感じる。15年磨かれた僕の野生の勘を舐め
てもらっちゃ困る。…そろそろ立ち去る時期が来たんだろう。そんな事を考えると同時に
浮かぶのは、彼女の少しはにかんだ笑顔だった。
 全くもって不思議な気分だった。
 町を立ち去るときに誰かの顔が思い浮かぶなんて事、今まで無かったのに。

家の玄関を開ける。父さんはまだ帰って来て居ないようだった。母さんも…どこ
かに出かけて居るらしい。という事は、今家には僕と祖母しかいない事になる。
 婆ちゃんは、生粋の魔女としてこの80年以上の時を渡り歩いてきた。少年時代
に何度かその力を見せてもらった事があるけど、それは疑いようの無い異端者の
能力だった。これっぽっちもその才能の無かった僕としては、そんな祖母がやや苦手だったりもする。
「悠斗かい?」
 既に視力を失いかけている婆ちゃんは気配を感じ取ったのか僕の名を呼ぶ。
一瞬返事をしようか躊躇ったが、僕はすぐに答えた。すると婆ちゃんは、こっちに
来るよう手招きをする。
「今日は随分と嫌な空気が漂ってるね。お前も感じているだろう?そういう勘だけ
は、お前は昔から随分と鋭かった」
 僕は答えない。沈黙を答えと受け取ったのか、祖母は薄く笑みを浮かべながら
僕の顔をじっと眺めて呟く。
「お前ももう15歳か。最近のお前の心の波長は揺れが不安定で、激しくて、まるで
人間そのものだねぇ。いや、いいんだ。おかしいのは私や、お前のお父さんなのさ。
自分が異端である事を認めちまって、逃げる選択しかしなかった人間は、そうなるしかないのさ」
 喜びとも悲しみともつかぬ表情を浮かべながら婆ちゃんは続ける。
「結局異端の才能はお前には無かったねえ…まぁ、その方が幸せなんだろうけどね。
15年間一言も文句を言わずに何度も何度も引っ越しをして来た。お前は本当にい
い子だったよ。そのご褒美に、今年は悠斗に特別なプレゼントをあげる」
 そう言って婆ちゃんは優しく僕の頭を撫でた。
 その瞬間、血が逆流したかのような錯覚を覚え身動きが取れなくなった。凄まじい
情報量の何かが体に流れ込んでくる。やがて婆ちゃんが手を離してもまだ頭はクラクラしていた。
「いいかい、今悠斗に渡したのは時間の錠を開ける鍵だよ。そうさね…大体30秒ぐらい
かね。自分の意志でその鍵を使って錠を開けて30秒、お前は世界の時を自由に
止める事が出来る。使い道はお前次第だよ」
 まだ鳴り止まない拍動。僕の脳裏には確かに、婆ちゃんの言う鍵が映りこんでいた。
 扱い方も…何となく分かる。僕は婆ちゃんに礼を言うと自分の部屋に戻った。
 時間はもう、それ程残されていない事は理解していた。

父さんの書斎に置かれているメモを発見した。乱雑に散らかった判読不能
な文字の羅列。幼少期の頃に見覚えがある。しかしその時の出来事を思い
浮かべようとすると、何かの防御本能が働いて頭痛に遮られる。しかし、父
が書いたものか否かはともかくこの文字にはある種の警告が刻まれている
のだと僕は何となく理解した。今までに無いくらい、マズイ事態が起きている
のかもしれない。一応何が起きても大丈夫なように、黙って荷物を纏め始め
る事にする。大丈夫さ、父さんも母さんもすぐに帰ってくる。

「あたしね、入院する前まで陸上部にいたんだよ」
 彼女が時々僕に語ってくれる昔話。長距離を専門にしており決して早い方で
は無かったが、それでも走ることが大好きで毎日毎日走っていたそうな。
 だから、彼女は頑張ってまた再び歩こうとしているのだ。
 それだけだった。いつもなら、それで終わった話なのに。僕はこの時強く彼女
の傍にいて、その応援をしたいと思っていた。自分が自分じゃないみたいで
戸惑った。だけど不思議と嫌な気分じゃなかった。
 ある日の事だ。その気持ちをつい弾みでその子に伝えてしまった。少し驚
いた表情を浮かべながら、それでも彼女ははにかんだ笑みを浮かべながら
「嬉しいな」と言ってくれた。一生、この笑顔と共に在りたいと神に祈った。

 荷物を纏め終えた頃だろうか。ふいに、妙な匂いが鼻孔を潜り抜けた。
そして匂いを認識した瞬間、反射的に体中が粟立っていた。恐怖だ、僕はこの匂いに恐怖を刷り込まれている。
 急いで婆ちゃんの元へ駆けつけようと家の中を走り回るが、婆ちゃんはどこにも居なかった
。まさか、僕だけ置いていかれてしまったのか?!

「悠斗!」
 父さんの声が背後に響く。良かった、僕は置いていかれたわけじゃ無いんだ
「ぐずぐずするな、早く行くぞ!」
 僕がさっき纏めた荷物を放り投げて僕に渡すと、父は玄関を開け放った。
 信じられない光景がそこにはあった。しかし、僕はこれを確かに見た事がある。
「くそ、らめとうとう街単位で炙り出しにかかりやがった。特例だからとはいえ、
正気の沙汰とは思えん」
 特例。火炙り。そのキーワードには聞き覚えがある。
 異端の血族が複数一つの街に集まった場合に限り、その街を焼き払ってしま
っても構わないという、悪魔のようなルール。そうだ、10年前もこれと同じ光景を
僕は見た事がある。街は既に火の海に飲み込まれていた。

「母さんとお婆ちゃんはもう私が街の外へ逃がした。お前も早く来るんだ!」
 そう言って手を伸ばす父さん。いつもなら、ここで何も考えずに僕は父さんの
手を握っていただろう。無能な僕がこの憎しみの業火に包まれた街から逃げ切
ることなどおおよそ不可能だ。
 ずっと考え無いようにしていた。気付かない振りをして、平穏に過ごせるんじ
ゃないかと甘い幻想を抱いていた。
 いつもの事だが、今回は殊更その気持ちが強かった。何故かって?
 あの子がいたからだ
「あの子?」
 僕は走った。父さんの静止も振り切って、彼女の元へと走った。街は業火に
包まれている。目印になるはずの建物も殆どが原型を留めていなかった。
それでも、肺が押しつぶされそうに苦しくなるのも構わず走り続けた。
 知っていたさ。最初から、全部知っていたさ。だって、大昔の引っ越しの時以来、
音を発する事の出来なくなった僕の言葉を感じ取れるのは、僕と同じ異端の血族
固有の力だから。気付かない振りをしていただけだ。僕も、彼女も。ただ普通の生
き方にちょっと憧れてみただけだ。恋愛ごっこをしてみたかっただけだ。それが今、
全部崩れ去ろうとしてる。怒りより何より先に、悲しみが僕の心を殴り続けた。

「来ちゃったね」
 彼女は青ざめた顔でベッドの上にいた。体調が悪いのに無理していたんだろうか。
「うーん、そうでも無いんだけど。悠斗君と居る時ぐらい元気でいようかなっと思っ
て。元々こんなんなんだ、ごめんね」
 追っ手は彼女と僕の家族を狙っている。僕は何の力も無い只の人間。なのに狙
われる。彼女は歩くことさえ出来ない力さえ殆ど持っていない人間。なのに狙われる。
「そうだね。でも、今はそんな事考えてる場合じゃ無いんだ」
 考え無い事で、当たり前の様に他人の命を見過ごす、僕の両親の様ないき方をし
ろっていうのか。
「いいから、悠斗君も早く逃げないと。大丈夫、私凄く楽しかったから。分かってるんだ。
私の足、多分一生走る事は出来ないんだって。風を感じることも、もう出来ないんだって。
お医者さんの話も、全部嘘。陸上部も、本当はすぐやめちゃったんだ」
「早く逃げて。本当に間に合わなくなっちゃう」
 僕は君と離れたく無い。それが今の僕にとって、何より大事なんだ。
「私の事なんて…何も知らないよ悠斗君は。全部嘘だもん、今までの」
 あの笑顔は嘘じゃない
「うーそ、社交辞令」
 じゃあ僕の事は嫌いなのか?
「…」
 沈黙。僕はそれを答えだと受け取る。部屋の温度が急上昇して来た。どうやらもう逃げ場は無いらしい。
 今からでも、僕は君の事を知りたい。
「…バカだよね、悠斗君」
 彼女の目には涙が溜まっていた。
「いいよ、じゃあ今からもう嘘は付かない。時間があったらね」
 部屋全体が異様な軋みを始めた瞬間、脳裏に映る鍵を僕はゆっくりと時間の錠にはめた。
「…何これ」
 彼女と、僕以外に今この世界で進んでいる物は無い。婆ちゃんからのプレゼント。
 誰にも干渉される事の無い世界。
「嘘…何で、この力を使って逃げなかったの?」
 空間も固定しちゃうから、君を連れてここから逃げる事は出来ない。それだけだ
「馬鹿。本当に、馬鹿だよ」
 馬鹿で構わないさ。君と言葉を交わすことが出来るなら。

 彼女は俯いて、黙って、それからやっと笑ってくれた。
 さて、君と一体何を話そうか。ゆっくり考えていこう、時間は30秒もあるんだ。
誰にも邪魔されない僕達だけの、ラストシーン。この選択に後悔する事の内容に。
歩けない君と喋れない僕のチグハグなダンス。
恥ずかしげも無く愛の言葉を捧げようか
君が少しでも安心するように、その震える手をそっと握ってあげようか
昔話に花を咲かせるのもいいだろう
 きっと何をやっても最高の思い出になる。


おわり

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