ボーイその2(3~4停止目)

 

「と、ゆーワケで!
 ワタシことトゥールビヨンな技術を持ったびしょうぢょ天才職人の黒乃伊音さんは
 お腹空いて行き倒れてたワタシを助けてくだすったフリーターの駄目人間こと渡瀬壬さんに恩義を感じ、
 こうしてわざわざ恩返しにやってきたのでした!
 窓から。まる」
「うるせぇ、不法侵入者」
 げしっ。
 と蹴り。
 セリフがなげぇよ。
 不法侵入者は「きゃうんっ」などと少しだけ可愛げな悲鳴を上げ、窓から転げ落ちていったのだった。

 完。

「完、じゃなーいッ!」
「うお、復活はえぇ!?」
 不法侵入者リターンズ。しかもまた窓から。
 ちょっとビビる。
「ちょっとアナタ! オンナノコを足蹴にするなんて!
 如何にも我否モテで候、なカオしてるクセに、いつからそんなことが許される立場になったと言うの!」
「黙れ、ぺたんこ。確かに俺は喪だがグラマラスなおねーさんにしか興味はないッ!
 ロリコンは犯罪だ。ペドフィリアは死刑だ。ショタは許す。そしてぺたんこは俺の視界に入るな!
 ぺたんこはぺたんこらしく牛乳でも飲んで無駄な努力に勤しみつつ泣きながら眠れぺたんこ!」
「ぺっ……ぺたんこぺたんこ言うなーッ!
 こう見えてもちょっとはあるんですよーッ!?」
「……こう見えても?」
 ふむ。
 背中半ばまでの長い藍色の髪。ボタン飾りのロングスカートと比翼前立てプルオーバー。
 インバネスにも似たマントのようなコートがあからさまに怪しく―――なにより。
「はんっ」
 胸がない。
「はッ……鼻で笑ったァー! 鼻で笑ったなぁ!
 うわーん、ちくしょう! バカにするなー!」
「はいはい。イイコでちゅねー。飴玉やるからさっさと帰れ」
「うわーい、アメだー!」
 ヴェルダースオリジナル。なぜなら彼女もまた特別な存在だからです。
 ええ、特別ウザい存在です。
「って要るかーッ!」
 なんて凡百なノリツッコミ。
「ああ、せっかく恩返しに来たのになんて酷い仕打ち……神よ、この哀れな喪男に慈悲を」
 そんなことを呟きつつ無い胸元で十字を切ったり、手を合わせて拝んだり、メッカのほうを向いて礼拝したり。
 何教だよ。
「いいから帰れよ。恩返しに来たんなら帰れ。それがなによりの恩返しだ」
「そういうこと言うなよー。
 ……イタイ目見るよ?」
「……ほう、ぺたんこ程度になにが出来るというのだ?」
「たとえばこんなコト」
「…………」
 身構える。

 ……も、なにも起きない。
「……?」
「おにーさん、パンツくらい隠してよね?
 レディの前なんだから」
「――――なッ!」
 いつの間にか俺のジーンズがずり下がっているではないか!
 そしてぺたんここと伊音の手には――――俺のベルト。
「はい、返すよ」
 ぽい、とベルトを投げ返してくる伊音。
 俺はようやく悟った。
「お前……ただのぺたんこかと思ったが――」
「ふふん、ようやく気付いた?」
「……痴女だったとは」
 なんてオソロシイ。俺の貞操がピンチだ!
「ちがーうッ!」
「違う? ならば男物の下着を見ることに至上の快楽を覚えるヘンタイだとでも?」
 俺さらにピンチ。このままだと視姦されちゃう!
 ならば犯られる前に殺るのみ!
 俺はぺたんこに襲い掛かる。
「うわーッ! うわーうわー! ヘンタイ、近寄るな!
 せめてパンツ穿き直せ、うわーんッ!」
 パンツ丸出しで幼児体型の女の子に迫る俺。しまった、敵の策略だったか!
 第三者視点ではどう見ても俺が性犯罪者。
 仕方ない、ジーンズの穿き直しを優先するか――――と、思った矢先。
 膝までズリ下がったジーンズが俺の歩行を阻害する。
 おもむろにつんのめり、つんのめった先にはぺたんこ幼女。
「な――――ッ!」
 ああ。このままでは『パンツ丸出しで幼女に迫る俺』が『パンツ丸出しで幼女押し倒す俺』の図に変化し、確定してしまう。
 他人に見られたら――否、誰に見られずとも、俺は俺の正義に基づいてその人生を終えなければならない!
 サヨウナラ俺!
 
 完。

 どべしゃ。
 と、畳に倒れこむ。
 どうやらまたしても物語は終わらなかったようだ。
 それにしても――――
「…………?」
 なにが起きた?
 倒れたまま、転がるようにして背後を見やると脅えたようなツラのぺたんこ。
「……なにを、やった?」
 問う。
「とりあえず、パンツ穿きなよ……」
 俺はぺたんこの言葉に従うことにした。

「つまり、なんだ?
 お前は自分のことを『時間を司るカミサマです』と、そうのたまうワケだ?」
「そのとーりッ!」
 笑顔でびしぃっ、とサムズアップの自称カミサマ、黒乃伊音(ぺたんこ)。
「さて、現状を整理しよう。
 まず俺のバイト先の真ん前で行き倒れてたダメ人間がお前」
 伊音は「カミサマだってばー」などと文句を言うが無視。
「で、そんなお前にいられると迷惑だから仕方なしにランチセット(¥780)を奢ってやったのが俺サマ」
「まぁ、結果的にそうなるねー。 でもアリガトー♪」
 無視。
「で、俺の好意を辱めと勘違いしたお前は恩を仇で返そうとし、俺の家までストーキングしてきた挙げ句、不法侵入。
 卑劣な謀略を巡らし俺を性犯罪者に仕立て上げようとするが、我が身可愛さに怖気づき時間を止めて危機を回避した、と――――そういうワケだな?」
「先生、せんせーいッ! その説明には多く誤謬が含まれてまーすッ!
 というか意図的に悪意ある方向に解釈されてるよーな気もッ!?」
「なにがマチガイなものかッ! 事実目の当たりにした以上、お前が『時を止める』能力を有していることは認めよう!
 しかし! しかし、だ!」
 譲れない現実だってあるのだ。
「ハラ減らして行き倒れる神様なんぞ存在するかーッ!」
「存在するんだよぅ! 森羅万象、時間も例外に漏れず。
 エネルギーの行使は基本的に等率消費。
 無から有を生み出せるのは神様の中でも絶対神に位置する人だけだなんだよう!」
「それがどうしてハラ減るのと関係あるんだ!」
「…………えっと」
 恥かしげに顔を赤らめる伊音。
「……えっ、と――ですね」
「なんだよ?」
「……摂取したゴハンを消費して時間を止めてるんです」
「…………」
 ……うわー。
 なんだ、このイタズラがばれた子供みたいな顔で申し分無さそうにしてる神様って。
 幻滅、とまでは行かないが――なんというか、威厳がない。
 ますます信じらんねぇ。

 しかし俺もオトナだ。
「……100歩譲ってそこも認める。
 だが、なぜ神様が俺如きに恩返しするんじゃボケーッ!
 いいか? 俺だぞ、俺!? 
 イイ歳してフリーターでモテなくて神に見放された人類最底辺の名を欲しい侭にしている俺だぞ!?
 そんな俺になぜ神が! 今更なにをッ! 遅ぇーッつーの!」
「……ワタセさんは辛い人生を歩んできたんだねぇ」
 ちくしょう。神様を自称するよーなアタマの悪いコに同情されてる。
 ああっ! 目に汗がッ! ちくしょうちくしょう、泣いてなんかないやいッ!
「と、ゆーワケでさっさと帰れ!
 これ以上お前と話してるとなんかミジメだッ!」
「そんなワタセさんも一発逆転のチャンス!
 ワタシからの恩返しが人生の転機です!」
 ……マジでなんもいらねぇんだけどなー。
 もういい加減ウゼェし、適当にあしらって帰ってもらいたいトコロなので。
「なにしてくれんのよ?」
 などと訊いてみる。
「……基本的にはワタセさんの要望にお応えするカタチになるんだけど」
「俺の要望。帰れ」
「…………」
「じゃあ金」
「……お金は持ってないケド、ワタセさんにだったら、その……えっちなコト――」
「興味ない。何もいらん」
「…………」
「帰れよ」
「だめだよーッ! 恩返ししないと神の名折れなんだよーぅ!」
 と、上目遣いで縋るような視線。
 ああもう泣きそーじゃねぇか、コイツ。原因は俺だけど。
「あー、もう。わかったわかった。しかし欲しいものなんかない。
 とりあえずお前が出来そうな範囲では、無い。
 とゆー場合、具体的にはなにをしてくれんの?」
 ああ、もう。俺も甘いものだ。
「何も欲しくないって人にでもそれなりのモノを渡す義務があるんだよー。
 渡すものは神様によって違うんだけど――」
「お前の場合はなによ?」
 と、問う。
「それはですねー」
 伊音はふふん、と得意気に無い胸を反らし――――
「ワタシの能力をアナタに分けてあげることになります」
 と告げた。

「とはいっても神と人間では力の流れを操る術、仕組みからしてすでに違いますので――」
 そんなどうでもいい説明をしながら伊音は、
「……こういったワタシ謹製の時計と、ゴハン以外の代価エネルギーを消費することで制限的且つある程度時間を止めることが可能になります」
 インバネスの内側から時計を取り出した。
 出てくる出てくる。
 掛け時計、柱時計、置き時計、懐中時計、腕時計、目覚まし時計、時辰儀に至るまで の機械時計から、
 日時計、水時計、砂時計、火時計なんてモノまで。
 時計限定四次元ポケットか、と思う反面、こういう不思議現象を見せ付けられるとさすがに『神様』であることを認めなければならない気がする。
「オススメはねー、コレ」
 と水時計を指す。
「ほう、これでも時間を止めることが出来るのか」
「うん。これはなんと1000年も時間を止めることが出来るんだよ?」
 すげぇ。
 1000年! 人生の10倍以上!
「ただし途中で解除不可。一度止めたら1000年間止まりっぱなしだから」
「意味ねぇ!」
 発狂するわ、ボケ。
「じゃあコレは?」
 次に伊音が取り出したるは――火時計。
「一回火を灯すごとに1秒時を止めることが出来る!」
「だから意味ねぇよ! 1秒って! 火ィ点けてるだけで終わるわ!」
「……むー、我侭だなぁ」
「大体なんで原始時計ばっか奨めるんだよ。機械時計よこせや」
「えーッ? ワタシが作ったものだから性質と品質は保証するけど、機械時計は結局作られた性質だからね」
「なんだよ、歯切れ悪いな」
「時間ってのは本来掛け替えのないものなんだよ?
 それを時間以外の現象で補完して時間を止めるのが原始時計の性質だとすると――」
「だとすると?」
「機械時計はお金で補完します」
 うわ、タイムイズマネー。
 確かに金と言う指針は時間別のエネルギーを表するのに適しているとは言える。
 金で神秘の補完と言う現象はイマイチぴんと来ないが、
 将来的に得るであろう金銭は必ずなにかしらの――場合によっては間接的にではあるが――エネルギーに転化されるのである。
 簡単に言うと時給。

「じゃあ例えばこのクロノメーターなんかだとどうよ?」
「音叉時計ね。これは好きなときに好きなだけ時間を止めることが出来るよ?」
「で、幾らよ?」
「……具体的には秒単位――――最低120万円の価値がおにーさんの財産から消費されていきます」
「そんなに持ってねぇよ」
「将来的な稼ぎからも差し引かれるから大丈夫」
「大丈夫じゃねぇッ!」
「じゃあこの時辰儀は? 1秒1円で好きなだけ止めることが出来るよ」
 1秒1円ってことは1分止めて60円。10分で600円。丸一日止めても8万円強!
「よし貰った!」
「ただし一度止めると巻き直しに20時間掛かるんだよねー」
「やっぱいらん!」
 鳩時計。10分単位でしか止められないうえに60万。しかも持ち運びに不便。却下!
 目覚まし時計。1秒から10分の間で好きなだけ止めることが出来る。秒単価5000円。
 しかもあらかじめ止める時間を設定しておかなければならないらしい。融通が利かない。却下。
 腕時計。好きなときに1分間限定で止められる。1回10万。使用回数無制限。うーん、微妙。保留!
「懐中時計。30秒だけだけど好きなときに止められるよ?
 連続使用も10回までOK。1回2万円」
 ……これもまた、微妙だ。
「人間に扱えるレベルの時計だとこれくらいかなぁ?」
 ……うーん。
 なんてハンパなものしかないのだろう?
 しかし金の都合もある。1分10万と迷うがリスクとリターンと単価を考えるなら――――
「よし、その懐中時計だ」
 これくらいが妥当だろう。
「え? これでいいの? もっといいのあるよー?」
「金が掛かりすぎるんだよ、他のは!」
 貯金もあんまりないしな。
「うん、まぁワタセさんがそれでいいって言うならワタシは文句無いけど。
 ……でも、悪いコトに使っちゃダメだよ?」
「OKOK、大丈夫」
 まー、適度に悪いことにも使うだろうけど。
「大丈夫だからさっさと寄越せ」
「……くれぐれも言うけど、悪いことに使っちゃダメだよ?
 時間ってのは流れてる間は希薄だけど、止まってる間は高密度な――――」
「――――いいから」
 ああ、じれったい。
 伊音の手から懐中時計を奪おうとして、手を伸ばしかけたその瞬間。

――――――轟ッ
 

と、目の前。
俺と伊音の間をナニカが通り過ぎた。
「…………」
「…………」
 思わず顔を見合わせる伊音と俺。
 互いにナニカが飛んできた方向を見ると、壁にはマンホールほどもある穴。
 互いにナニカが飛び去った方向を見ると――――
「な――――ッ! バカなーッ!」
 轟々と音を立ててキッチンが火の海だった。
「部屋がッ! 部屋が燃えてるーッ!」
 座布団で叩き消すように必死になって消火活動に勤しむ俺。
「……ちぇっ。思ったよりはやく見つかっちゃったなー」
 そんな俺を尻目に何事かボヤいてる伊音。
 そして――――
 
「……くすくすくす」
 
 という笑い声。
 笑い声の方向を見れば、なにやらグラマラスではあるものの赤い振袖に赤いコートを纏った怪しい女性。
 彼女は窓枠の上で仁王立ちするように――――
 赤く短めの髪を揺らし、こう言った。
 
「と、言うワケで。
 私こと、グラマラスなボディを誇り、そして才能を持て余す倶槌ほのかは
 つるぺたな駄目神黒乃さんを亡き者にして、役不足な感否めない現役職にさよならしようと目論み、
 こうしてわざわざに黒乃さんを追ってやってきたのでした。
 窓から。まる」
 
 …………。
 さすがに。
 二度目はツッコむ気力もなかった。

「あら、人間? お初にお目にかかりますわ。
 私、火神。倶槌ほのかと申します」
 などと。イキナリ現れてイキナリ俺の部屋を火の海に変えてくれやがったおねーさんは、そんな自己紹介をしてくれた。
 伊音のときは無視したけど、時間神で伊音だとか火神でほのかだとか、安直にも程がある。
 ほのかさんはツカツカと(土足だ)俺に歩み寄ると、
「ありがとうございますわー」
 などとワケのわからない礼を述べつつ、両手で俺の手を握りブンブンと大袈裟なシェイクハンド。
 うわ、ちょっと!
 柔らけぇよ、手。
「お名前をお伺いしても宜しいでしょうか?」
 突然のことに思考が追いつかない。ただ質問だけに答える。
「渡瀬壬だけど……」
「ワタセ・ミズノエさんですか。
 ふふ、良いお名前ですわ」
 笑顔。ただ、そうとしか認識できない。
「では、ワタセさん。今宵、貴方に出会えた悦びと、黒乃さんを屠り長き雪辱を晴らせる慶びに――――」
 何故だ?
 何故、俺はこんなにも混乱している?
 単純な驚きと感想だけが発生し、消えていく。
「……あら。そう言えば黒乃さんを放りっぱなしでしたわね」
 そんな風に、慎ましやかに振舞う彼女――ほのかさんから、視線を外せない。
 ああ、俺は、きっと。
「それでは、少々――失礼しますわ」
 などと述べ、俺に背を向け伊音に歩み寄る――その姿。
 その姿に、女性を意識してしまったのだ。
 多分、忘れない。忘れることなど出来ないほどに。
 見惚れた。
 スラリと伸びた背筋とスレンダーながらも柔らかさを蓄えた肉体。
 そんな身体を覆う赤い着物と赤いコート。裾が揺れるたびに覗く白い脛。
 気の強そうな眼と、短い赤髪。そのすべてが、俺の脳髄を刺激し、魅了する。
 そんなことを考えていると――――
 再び、轟ッと火球が前髪を掠め、壁に着弾する。
 流石に二度目は動じない。
「ってオイッ!」
 動じないでどうする!
 気がつけば俺の部屋では超常バトルが繰り広げられているではないかッ!
 ひょろりひょろりと逃げ回る伊音を、轟々と炎撒き散らして追いかけるほのかさん。
 あちこちがメラメラと燃え上がり、室内は一酸化炭素で満たされ始めている。
 ンなこたぁ、見ればわかるが一応怒鳴っておく。
「なにしてんだテメェらーッ!」
「見ての通り命を狙われてるー!」
「見ての通り命を狙ってますわ!」
 ハモるように的確な答えを返してくれる伊音&ほのかさん。
 前言撤回。他所でやれ、メイワクだ!
 まったく、これ以上部屋を燃やされてたまるかってんだ。
 付き合いきれん。
「うわーうわー」
 と叫びながら逃げ回る伊音を
「いい加減に死んでくださいな」
 と物騒な物言いで追い掛け回すほのかさん。
 正直、アタマが痛い。そしてそれは恐らく一酸化炭素のせいではない。
 ふ、と足元を見れば伊音がインバネスから取り出した時計(の残骸)に混じって――――
「…………」
 鈍く輝く金色。
 拾い上げてみればソレは、さっき貰い損ねた懐中時計。
 どうやらこれだけは無事だったようだ。
 伊音の話が本当なら――一回30秒、使用者の財産から2万円を消費して時間を止めるシロモノだと言う。
 使い方は教わらなかったが、こういう不思議アイテムの使用法とは得てして簡単なもの。
 俺はゆっくりと龍頭のロックを外した。

「うわーうわーッ! って、アレ?」
 近所の公園。
 俺はベンチに腰掛けながらさっきから防戦(というか逃避)一方な伊音の痴態を見守っていた。
 しかし、うーむ。
「……マジ、なんだなぁ」
 時間止まるよ、マジで。
「ちょっと、ワタセさーん? 質問いいっスかー?」
 一回30秒、2万円は決して安くは無い。
 しかし使い方次第で2万円程度は幾らでも取り返せる。
「もしもーし、ワッタセさーん?」
 たとえば満員電車ならスリもかなり楽だろう。
「おーい、ワタセー?」
 スリでなくとも良い。
 そう、買い物をして正規の手順で支払った直後に取り返すことだって出来るのだ。
「ねーねー、ワタセー」
 金の心配は要らないと考えても良いだろう。
 となれば、残るはエロ。
「ワタセー、ワタセー!」
「ってウルセェ! 俺の思考中に話しかけんな!
 俺はここから一発逆転、ミジメなフリーター生活を脱して人生の勝者――否、覇者ともなれる計画を構想中だというのにッ!」
「具体的にはどんな?」
「とりあえず金とエロ!」
「発想が乏し……」
「発想が乏しいとか言うな!」
「発想g……」
「言うな!」
 千里の道も一歩から、と言うではないか。
「まぁいいや
 ……なんでワタシ、こんなトコにいるんだろ?
 ほのかちゃんは?」
 ……いいのかよ。
「神だってのに察しの悪いやつだな。
 俺が時間を止めてお前を連れ出した。あのおねーさんは放置してきた。
 以上、なぜこの程度の推理が出来ない?」
「……なんで?」
「そりゃこっちのセリフだボケがァ!
 お前ら放置してたら俺の部屋が消し炭になんだろがァッ!
 つーか俺が巻き込まれて死ぬわ!」
「ああ!」
 得心、といったカオでポン、と手を叩く伊音。
 ナメてんのか、このガキ。
「ちゅーか、なんでお前、イノチ狙われたりしてるわけよ?」
 時を止める能力を貰ったのは有り難いが、そもそもコイツがほのかさんに狙われていなければ俺はこんなコトに巻き込まれなかったのだ。
 当然の疑問を口にしてみる。
「ん――――とねー。時間っていうのはなんだと思う?」
「そんなモノ――――」
 ……なんだろう?

「時間っていうのはね、あらゆる物質や状態に影響を及ぼす稀釈媒体のことなんだよ。
 時間を止めるって言うのはその稀釈媒体を止めると言うこと。
 質量保存の法則って知っているかな?
 この宇宙に存在するすべてのモノ、その総量は変わらないってコトなんだけど。
 にも関わらず、世界では勝手に木が増えるしビルは建つし人も増えるし知識も常識もエネルギーも、
 それどころか宇宙という空間さえもが広がっていくワケ」
 俺が答えに迷っていると、伊音が得意気に解説を始める。
「…………ふむ」
 良く判らなかったがとりあえずで理解したフリをしておく。
「何故か? 答えは時間だけが例外の稀釈媒体だから。
 高密度の存在は時間というエネルギーで稀釈されることで広がっていくの。
 人類の進歩も宇宙の誕生も、人の身長が伸びたり、体重が増えたり、
 それどころか心の成長さえも、『時間』という稀釈媒体によって薄く引き延ばされた結果の産物なワケだけど、
 それはつまり、それを止めてしまうと言うことは一切の変化が訪れないと言うこと」
「………………ふむ」
「磨耗はしない。だけど同時に進歩もない。
 劣化という対価を経なければ進化という代謝は得られない。
 時間はすべてに影響を与え、そして同時に影響を受ける権利を与える。
 なのに時間はなにからも影響を受けない。
 それどころか時間神は影響を受ける権利を奪う権限すら持っている。
 まぁ、それだけ絶対的、且つ特権的な存在なワケ。我ながらスゴイよねー?
 で、さ。ココからが本題。
 なにからも影響を受けることがない――とは言ったけど、例外はあるもの。
 時間神自身と、そして重力だけが時間に影響を及ぼすことが出来るの」
「……………………」
「重力の発生原因について地球人類の学問ではまだ未解明だよね?
 ただ、ある数式に合致しているのだということは誰もが認めることだけれど、量子のレベルで発生原因を解き明かした方程式は無いしね。
 だから地球人類は人工重力も作れてないし、重力の制御もできていない。
 あたりまえだけど絶対零度の状態でも重力は同じで、軽くなったという事例もないし、当然熱しても変化無し。
 重力は遮蔽することもできない。
 それどころかブラックホールのシュバルツシルトの半径――つまり目視できない第1超平面にも及ぶ空間さえも突き抜けて影響を及ぼす。
 つまり複素時間関数が含まれた5次元の方程式じゃないと表現できないの。
 これってさ、時間に凄く良く似た性質だよね?」
「……すみません。もう理解できません」 
「もう、ワタセってばアタマ悪すぎー!」
 ……すみません。ホントすんません。

「わかりやすく言うとナニモノにも影響を受けず、
 あらゆるものに影響を及ぼす存在は―――時間と重力だけってコト。
 これならわかる?」
 はい。と首肯。
 なんかすごくミジメな気分になる。
 伊音は「なら宜しい」と言わんばかりに胸(やはり無いのだが)を張り、うんうん、と満足げに頷き、
「そんな重力の発生原因だけど、稚拙で良いのなら解釈のしようはあるんだよね。
 つまり、物質があるから重力は発生する」
 と繋げ――
「じゃあここで問題。この宇宙を――物質を発生させた原因ってなんだ?」
 そんな問いで締めた。
 それくらいなら、俺でも答えられる。
 確か――――
「爆発……だよな?」
「そう。開闢の炎――ビッグ・バン」
 ああ、なるほど。なんとなく理解できた。
「一説によれば時間さえもビッグ・バンの影響で発生した――なんて解釈もあるらしいし」
 伊音とほのかさんが争う理由。
「つまりタマゴが先か、ニワトリが先か」
 それは、酷く人間らしく、だが同時に酷く人間らしくない理由。
「何者にも何物にも影響を受けないとされる時間と、
 すべてに影響する重力――それを発生させた炎。
 所謂ひとつの矛盾だよね。
 ワタシはどっちが優れているのか――――なんてことには興味が無いけど。
 火神にとっては時間神の下位にクラスされていることが不満なんだろうねー」
 伊音が冗長な解説を終え。

「――ねぇ、ほのかちゃん」

 と、視線を向けた先、月明かりに照らされた赤。

「ええ。もう何代も続いているツマラナイ諍いですわ」

 ―――ジャングルジムの上、いつの間にか追いついていたほのかさんが簡潔に完結し。

「……まったく、やってらんねぇ」

 俺は、そんなツマラナイ争いに巻き込まれたのだと、今更ながらに悟った。

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