&その1(34停止目)

「彼は模範囚でした」
看守の男が言った。
「・・・でも、狂っていたとしか考えられません」
男はうつむき、ファイルに目を通した。
「時間が止まるなんてありえません。彼は狂っていました」
もう一度、男が言った。

〜事件について〜
事件の概要は簡単完結。独房の中に居た囚人が、食事時に配布されるスプーンを頸部に刺して自殺した。
しかし、その囚人が残したノートが、この事件をすこし不可思議な物にしている。

以下、ノート内容

某月某日

独房に入ってもう一ヶ月になるが、今日から日記をつけてみる事にした。人懐こそうな顔をした看守が、ノートを自分にくれたのである。
正直、日記など小学生のころ以来つけたことが無い。
ただ、独房の中に居る間は暇なので、暇つぶしとしてはとてもありがたい。
明日の朝、看守に礼を言ってみようと思う。

某月某日

昨日の日記に書いたとおり、看守に礼を言ってみた。
看守は、人懐こそうな顔を更にほころばせて、「そうか」と笑ってくれた。
それと、名前は「朝川裕二」というらしい。
今日は週に二日の入浴日だった。例によって、人が多く暑苦しいのだが、溜まりに溜まった垢がごっそりと落ちるのはなかなか爽快である。

――ここから日記が十数日つけられていない。

某月某日

どうも、自分には日記が向いていないようだ。たった二日でいつものなまぐさが出てしまった。
こんな変な事が起こらなければ、出所するまで自分は日記をつけなかったことだろう。
変な事とは、まさしく変な事だ。
自分以外のものが、時々動かなくなるのである。まるで時間が止まっているようにも思える。
それも数秒なのだが、止まっている間は何も音が聞こえず、キンとした耳鳴りがひどく不快なのである。
他の囚人や看守にこの旨を伝えても、「狂ったか」というような目で見られるだけだった。
自分は、狂ってなどいない。時間は止まっていたのだ。確実に。

某月某日

今日もまた時間が止まった。昨日よりも少し止まっている時間が延びている。30秒近く止まっていた。まったくわけが分からない。
こうして日記をつけているたった今も、時間がまた止まった。今日だけでもう10回は止まっている。
何か、時間が止まっていた証拠はないのだろうか。
自分の意志で時間を止められるのなら、他の人に協力してもらって証明できるのだが。
残念ながら、力んでも祈っても時間は止まらない。

某月某日

例によって、今日も時間が止まる。やはり、日が増すごとに止まっている時間は伸びているようだ。今日は、30分近く止まっていた。
止まっている時間が伸びていたので、今日はいろいろ実験をしてみた。

1、水の入っているコップをひっくり返しても流れない。
2、つねるなど、人に危害を加えると、時間が動き出した後に痛みなどを感じる(ようだ)。
3、物を動かす事はできる。
4、音、臭いなどは全く感じられない。
5、電子機器などは、時間が動き出した後に反応する(電卓にて実験)。

考えれば、まだまだ色々実験できそうだが、場所が場所だけにできることが限られている。
それよりも、このまま止まる時間が伸びればどうなってしまうのだろうか。恐怖を禁じえない。

某月某日

いやな予感は的中した。今日も、止まっている時間が増えている。しかも、一時間近くだ。
いよいよ、自分も怖くなってきた。
普通の人より、一日に10時間以上多く生活しているのである。
怖い。今もまた時間が止まっている。心なしか止まるペースがさらに増えている気がする。
今日は入浴日だったが、とても湯船に浸かる気分にはなれなかった。
朝川さんが「どうした、顔色が悪いぞ」と心配してくれたが、「時間が止まっている」と言っても信じてもらえないだろう。下手すれば、さらに隔離された施設に送られるかもしれない。
それだけはごめんだ。
どうすれば、どうすればいいのだ。

某月某日

もうだめだ。今度は10時間は止まっている。今も、止まっている時間の中でこの日記をつけている。
一体、なんなのだ。
確かに自分は犯罪者だ。でも、こんな目に合ってしまう謂れは無い。
時間が止まっている間は何でもできるのだが、場所が場所である。やることが非常に少ない。
今日だけで文庫本を10冊以上も読んでしまった。
怖い
怖い
怖い
怖い
怖い

某月某日

もう笑うしかない。今度は4日以上も時間が止まっている。この日記を書くのは自分の中では8日ぶりである。
時間が動いているのはたった10分だ。今さっき、朝川さんが食事を持ってきてくれた。スープである。
ちなみに、時間が止まっている間は喉が渇かないし、空腹も感じない。
もう、ほとんどの文庫本を読み終えてしまった。
私は、この意味のわからない世界を終わらせる事にした。
おそらく、次の日には1000時間以上止まっていることだろう。
娑婆ならまだ暇つぶしが出来るかもしれないが、ここでの暇つぶしには限界がある。
さようなら、みんな。さようなら、朝川さん。ありがとう。

――最後のページの半分は、血で染まっている。

「・・・あなたは、ノートの内容を信じますか?」
うつむいたまま、看守の男、朝川が私に尋ねた。
「信じません」
きっぱりと答えた。私は、オカルティックなものは信じない性質である。ましてや、「時間が止まる」なんて。
「でも」
朝川が顔を上げた。うっすら涙を浮かべている。よっぽど、男に思い入れがあったのだろう。
「もし、私がこの男だったら」
殺風景な取調室の天井を眺めた。男は、もっと殺風景な景色を見続けていたのだろう。想像するだけでも恐ろしい事である。

「私も、自殺しますね」

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