586(36停止目)
缶コーヒーを飲むとき、顔をしかめるクセがあった。
君と出会う前のあの頃。
あの頃の僕はまだ若くて、自分だけが辛い気になって、部下に厳しくあたることもあった。
自分の基準を他人に押し付けている、そんな自覚は無かった。それでも僕は部下の失敗を許容できず、そんな許容出来ない自分にも嫌気を覚え、何もかもを投げ出したくなることも多々あった。
それでも許容出来ない毎日は続くのだ。
苦味を好む心理の解釈に相反過程理論というものがある。
それはつまり、苦味から解放される瞬間に安らぎを覚え、その安らぎを再認するために苦味を求めるからなのだと言う。
僕はそんな現状から抜け出したくて、でも抜け出せなくて。その代替としてブラックの缶コーヒーを好んだのだろうか?
苦味から解放される安らぎ。現実には有り得ないその安らぎを求めるためにブラックの缶コーヒーを選んだのだろうか?
そんなコトを考えながら、僕は缶コーヒーを飲む。
当然、顔をしかめながら。
ある日、僕は偶然にも君と出会った。
それは昼下がりの会社の談話室で。
「キミはいつも苦そうな顔をしているね」
いつものようにブラックの缶コーヒーを飲み、いつものように周りの失敗を許容できない自分と、いつまで経っても僕の許容範囲に納まりきらない失敗ばかりを繰り返す部下に――嫌気を覚え、いつものように顔をしかめていた僕。
そんな僕を、君は『そんな風』に揶揄し、笑った。
なるほど。苦そうな顔、か。
きっと僕は周りから『苦いコーヒー』くらいの認識をされていたのだろう。上手いことを言うものだ。
そうか、僕はブラックのコーヒーだったのだな、と。
くすり、と自嘲気味に笑う僕に
「ブラックなんか飲むからだよ。こっちにしなよ」
そう言って微糖の缶コーヒーを勧めてくれた。
たまには良いだろう、と勧められるままに微糖の缶コーヒーを啜った。
微かな甘さが、酸味と苦味を引き立てる。
なるほど。
飲みながらでも、解放されることが無くとも――微かに、だが確かに安らぐ。
「ホラね、苦そうな顔よりは随分マシになったよ」
君はそう笑って、
「そうだな」
と僕は応える。
君と居た時間は30秒にも満たなかった。
だがそれは時が止まったように穏やかで、微かな甘味を伴ったものだったのだろう。
微かな甘さは常に安らぎを与えてくれる。
ほら。いつの間にかひとりになっても、僕はこうして安らいでいる。
部下は相変わらず失敗を繰り返す。
そして僕は僕で、部下の失敗を許容できず、そんな許容出来ない自分にも嫌気を覚え、何もかもを投げ出したくなったりも……する。
そんなときに思い出す、あの微かな甘味。
そうだな。
軽く深呼吸。落ち着いて――新しい相反過程理論に挑戦してみるのも悪くない。
あれからしばらくが過ぎて、やっぱり僕はブラックの缶コーヒーを好んでいる。
それでも僕は甘くなったのだ。
なぜなら今日もブラックの缶コーヒーを飲み、顔をしかめているのだから。
やがて、そんな僕を見て君がこう言ってくれるのを期待しているのだから。
「キミは相変わらず苦そうな顔をしているね」
そう。
君が勧めてくれた、微糖の缶コーヒー。
きっと、そのくらいは甘くなれたのだ。