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摩天楼を断つ

「うわ・・・。」
男の一人は車から降りるなり、その臭気に軽い眩暈を覚えた。
もう夏も終わり、秋近しだというのに肌に纏わりつく空気は生暖かい。
その空気に混じるのは間違いなく、死臭。
「やだなぁ・・・俺死体見たくないよ・・・。」
短めにカットされ、逆立てられた髪を掻きながら男は口元を手で押さえた。
それを見て同乗していたもう一人、サングラスの男が、手に持った細長い包みで小突く。
「そんなんで仕事になるのか、ボケ。」
「苦手なモノは苦手だっての!あぁ〜・・・早く帰りたい・・・。」

そこはオフィスビルが林立する街の一角。
だが午前0時を過ぎれば昼間の喧騒が泡沫の夢だったかのように静寂に包まれる。
快楽も愉悦も得られぬコンクリートの森に、人は足を向けるはずも無いからだ。
今日もたむろするのは帰る家を持たぬ猫のみ・・・のはずなのだが。
「コイツは・・・ヒデェな・・・。」
「どんな殺され方したらこうなるんだぁ・・・?」
とあるビルの一角に数十人もの警官が集まっている。

その足元には五体を完全に分断された女性と思われる人間の死体が転がっていた。

腕、脚、胴、頭がそれぞれ4,5メートル離れた位置にある。
胴からは夥しい量の血とだらしなく広がる臓腑の束。
辺り一帯に立ち込める臭気はその女性の死によるものだったのだ。
ズルルッ・・・
一際皺の目立つ手が、アスファルトに転がる腕を拾い上げる。
「俺は三十年以上刑事やってっけど・・・こんな切り口は見た事ねぇな。」
刑事の一人、かなり年配の男が死体の切断面を見てそう呟いた。
「日本刀でもこうはいかねぇやな・・・こりゃぁどう見ても管轄外だな。」
多数嘔吐する者もいる惨劇の渦の中。
だがそこへひょこっと一人の女性が姿を見せた。

「ご苦労様です、只今を持って本件は我々< if >の管轄となりました。皆さんは
これよりifの秘匿に努めて頂きますのでご了承ください。」

老刑事以外、彼女の言葉を飲み込める者などいなかった。
何らかの制服と思われる衣服に身を包んではいるが、警察のものではない。
闇夜に溶け込むような黒髪を結わえたポニーテールに、年端もいかぬ顔立ち。
明らかにこの現場に存在が許される者ではない。
ダダッ
数瞬の間を置いて数人の警官が現場に踏み込んだ部外者排除に動こうとした。
だがその老刑事が腕で遮り、制止する。

「・・・お前達はまだ知らんか・・・とりあえずifが出てきたら俺達は手足だ。言われた
通り辺りを完全に固めろ。この場に人の目を向かせるな。いいな?」

「あ、ハイッ!」
その言葉の凄味と重さが新米だったのであろう数人の警官にも理解出来たようだ。
鑑識を残し、その場にいた警官は全て散っていった。
「ご協力、ありがとうございます。」
「姉ちゃん見ない顔だな?新入りのifメンバーかい?」
じろり、と彼女の顔を見定める老刑事。

「は、はい!IDコードは< くのいち >です。よろしくお願いします!」

ポニーテールが翻る程に深く、元気良く一礼する彼女、名をくのいちという。

どうやら本名ではないらしいが、それは些細な事だろう。
それよりも不思議なのはifという存在か。
老刑事は知っているようだが。
「見ての通りこりゃあ人の業じゃねぇ・・・お前さん達拝み屋に頼むしかねぇわな。」
「拝み屋だなんてw 今はifっていう名称と異形対策本部っていう肩書きがありますよ。」
「ハハッ、俺が新米だった頃は坊さんばっかだったぜ?」
懐かしむように笑うと彼はクシャクシャになった煙草を取り出し、火を点した。
「で、どうなんだい?このヤマは。」

「間違い無く異形の・・・妖怪の仕業です。なので本部からスペシャリスト二名をこちらに
派遣させました。ifでもトップクラスのメンバーですよ♪」

「そいつは頼もしいな・・・んで、その・・・妖怪さんは今何処に?」
「あのビルの中に潜んでいるようです。周囲への被害拡大を防ぐために一帯に結界護符を
張りましたので、戦闘・封印はあのビルの中で行う予定です。」

くのいちはそう言うと、一際大きなビルを指さした。

彼女、くのいちが指し示したもの、それは最近建てられたばかりと見られる保険会社の
本社ビルであった。
昼間は多くの社員が忙しなく働いているのだろうが、今は不気味な程静まり返っている。
まだ警備会社から派遣された守衛がいるはずなのだが。
「・・・中の守衛はやっぱり・・・。」
「・・・はい、すでに殺されていると思われます。あのビルの内部に生体反応及び人間の
体温と同等の熱反応は存在しません・・・。」
「こいつぁ一刻も早く中に居るホシを仕留めてもらわんとな・・・!」
老刑事は吸っていた煙草をピッと地面に投げつけ、踏み消した。
そこには滲み出るような怒りが見て取れる。

「なになに?現場でカーセックスしてたら殺られて、逃げ延びた男が警察に連絡ぅ!?
 けしからん!全くもってけしからんっ!!」

突然響き渡る怒声。
老刑事とくのいちはその方向へ顔を向ける。
そこにはあのサングラスの男が。
手にはこの件の調書と思しき書類の束が握られている。
どうやら事の顛末を知るにつれ、憤激していったようだ。
「おい、くのいち!カーセックスだとよ、カーセックス!SEX!こんなとこまで来て
 カーセックスしてたらしいぞ!異形発生よりそっちが問題だろ!?あぁ!?このカーセックスが!」
わざわざくのいちの耳元で怒鳴るようにしてセクハラするサングラスの男。
それを聞いてくのいちは耳まで真っ赤になる。
彼女にそれらへの耐性は無いに等しく、投げかけられる単語から妄想を膨らませて羞恥に
塗れてしまったようだ。
「そ、そんな大声で連呼しないでください・・・もぉ・・・!それに私はカー・・・じゃないです!」
「つーかココ女ッ気無ぇな!セクハラ出来ねぇじゃんか!あああああっ!」
怪異に囲われたこの場に於いて、異常なまでのテンションを見せる男に老刑事は呆然とした。

これ程肝の据わった男を彼は見た事が無かったのだ。

「・・・キミもifなのかい?」
思わず尋ねてしまう。
サングラスの男はその問いに笑顔で応じた。

「ども、こんなんでもifです。< ディック >っていう者なんでまぁヨロシクっす!」

男の名はディックというらしい。
無論専用コードなのだろうが。
その時老刑事はディックの影にもう一人、男が立っている事に気付いた。
対照的に静かな、突き詰めれば怯えているかのようなその男。
まさか彼もifなのか?
「そちらさんも・・・そうなのか?」

「あ、ええ・・・< 楔 >です。ヨロシクお願いします・・・。」

くのいちの言っていたスペシャリストとはこの二人の事だろう。
それにしても想像とはかけ離れた二人組である。
こんな調子でこの件を解決出来るのか、老刑事は甚だ不安であった。
「まぁ俺らが来たからにはどんな魑魅魍魎だろうと敵じゃあないっすよ。ゲラゲラ。」
老刑事とくのいちは頭を抱えた。

<すでに30枚の上級結界護符でこのビルは覆ってますから、中の異形が外界に出る事は
 無いと思われます。でも効果は30分です。それまでに異形を封印、もしくは屠ってください。>
「おk。」
イヤホンから伝わるくのいちの指令。
すでに楔とディックはビルの内部に進入していた。
事前に知っていた事だが、人の気配は全くしない。
彼ら程のレベルにもなれば、壁を隔てていようと気配を鋭敏に察知する事が可能である。
にも関わらず人の気配は途絶えている。
やはり生存者はいないようだ。

だが同時に、別の気配は感じ取れていた。

「・・・いるな・・・。」
「このフロアに・・・ね。」
彼らが足を踏み入れたばかりの一階ホール。
その敷地は広く、天井は高い。
事前に目を通しておいた見取り図によると、実際の業務スペースは三階からとなっているようだ。

二階までブチ抜きで造られたこのホール状のフロア内に、奴はいる。

ズイッ・・・
全くの無音が支配する中、楔は胸元のホルスターから対異形用の特殊拳銃を抜いた。
ベレッタのF92を改造したようなフォルムだが公式な物ではなさそうだ。
一方のディックは細長い包みに手をかける。
ゴクリ、と唾を飲み込む音さえ響き渡る薄暗い空間。
二人は互いの背中を合わせるようにして神経を集中させた。

パパパパンッ

「ッ!?」
突如、一階部分のガラスが正面玄関から続けざまに砕け散った。
それも恐ろしく速く。
一気に緊張が高まる。
「チィ・・・速ぇっ!!」
「牽制するぞ!」
ガンッ ガンッ ガンッ
金属に金属を打ち付けたかのような硬質な発砲音。楔の銃が二発、三発と火を噴いた。
しかし高速で移動しているのであろう異形には命中しなかったようである。
弾丸は内壁を粉砕し、そこに留まるに至った。
だが轟音の中、二人の耳は「タタッ」という軽いタッチの音を聞き逃さなかった。

「そこかっ!」

ガァンッ
振り返りざま放たれた銃弾の一発が神業のタイミングで異形を捉えた。
弾丸は粗塩を中に含み、純銀でコーティングされた特別製。
あらゆる魑魅魍魎に効果が期待出来るはずである。
しかし、楔の想像を超えた反応が返ってきた。

ギィィンッ

「弾いた!?」
一瞬何かが煌いたかと思うと、弾丸との接触によるものであろう火花が散った。
弾丸すら弾く事が可能な硬質な凶器、それを備えた異形が相手か。
そして訪れる刹那の静寂。
ここでようやく二人は異形の姿を確認する事が出来た。

「・・・< カマイタチ >か・・・。」

二人と数メートルの間を置いて対峙するのは二匹の獣。
いや、獣という言葉が適切ではない姿をしている。

鼬であった。

雪のように白く、透き通りそうな程に美しいその姿は、まるで妖艶な美女の肌にも似て。
だがその流線型の体から視線を移していくと、その美女が死神の鎌を持っている事に気付く。
尾の部分が己の身の丈程ある刃に変化しているのだ。
古来より風の中に潜み、人を斬りつけては己が棲み処を守る妖怪カマイタチ。
紛う事無く、夜を行く眷族である。
よく見れば一方は争いで失ったものなのか、隻眼であるが。
時折いたずらのように人に接する事もあるが、本来は棲み処から離れる事も稀な彼ら。
それが何故このような場所に?

「コラ、何でお前らがこんなコンクリの群れの中に現れるんだ?」
<・・・・・。>
「カマイタチが直接人を殺すなんて聞いた事が無い・・・どうして?」
<・・・・・。>

楔とディックの問いにも二匹のカマイタチは答えようとしない。
依然として鋭い殺気のみを辺りに振り撒き、威嚇さえしている。
「・・・こりゃ封印は無理っぽいな。」
「じゃあ・・・殺るしかないのか・・・。」

ダタッ

二人が殺意に身を染めると決した瞬間だった。
隻眼のカマイタチが一足飛びでディックへとその鎌を向けたのだ。
正に風の如き速さである。
楔がトリガーを引く間も無い程の。
しかしディックはそのカマイタチのスピードに劣らぬ動きで左腕を引き上げた。

ガチィン

<ッッ・・・止めた?>
初めてカマイタチが口を開いた。

しばし驚嘆に身を置いているようである。
鉄ですら容易く切断するカマイタチの鎌が止められた事に多少の動揺があったのだろう。
止めたのはディックの持つ包みだった。
その包んでいた布が接触の衝撃ではらりと舞い落ちる。
中の存在がその眼に触れた途端、カマイタチは再び距離を取った。
その存在から身を離すようにして。
非常に強い嫌悪感が身を貫いたのだ。

ディックが握っていた物、それは見ただけで歴史が知れる程の古びた刀だった。

絢爛な意匠を施されたその刀、それはカマイタチの鎌であろうと切れぬ代物。
鉄拵えと思われる鞘は鎌の貫通を許しているものの、中身である刀身はしっかりとその
刃を止めていたようだ。

<・・・まだ残っていたのかよ・・・そういう忌まわしいモノが・・・。>

「いやぁ・・・よく言われるよ。カタイ、大きい、イタイってね・・・何せ俺の自慢の
陵辱兵器ですから♪・・・この< 髭切 >は・・・!」

スラリと鞘から刀を抜き放つディック。
その刀身はこの闇の中において尚美しく、妖しく光を放つ。
そしてその刃が露わになった瞬間、辺りの温度が著しく低下するのを感じた。
常人にもそれと解る、余りに禍々しい気を放っているのだ。

かの渡辺綱が一条戻橋にて鬼の腕を断ったという名刀・髭切。
その逸話は史実として受け止められるものではないが、本物であるとすれば1000年以上
昔の代物である。

にも関わらずこの輝きはどうだ。
たった今職人の手によって産み落とされたばかりのような光沢を見せている。
一点の曇り無き古の名刀の切っ先は、キッとカマイタチを睨みつけているようだった。
「そんじゃ、まぁ、次はこっちの攻撃ターンってやつっすか。」
そう言ってディックはサングラスを床に落とした。
その双眸は黒ではない。ギラつく黄金色であった。

「陵・辱・開・始♪」


続く

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