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             0.

寒空の下、公園の真ん中でベンチに腰掛けたボクは、高く澄んだ空を見上げている。
吹き抜ける風は冷たく、だけど心地良くボクの頬を撫でる。

……なにを、するべきなんだろう?

真奈美が死ぬ。
そんな縁起の悪い夢から醒めたような気分。
なにかをする予定があったはずだ。
思い出そうとしても思い出せない。
ただ、なにかをしなければいけない、という使命感の残滓が心の奥底にこびりついている。
既視感ではなく。未視感でもなく。
焦燥と言う形でボクを責め続けている。

見上げた空は、高く、遠く――――

やがて、一人の女性に声を掛けられた。

「やぁ、成功おめでとう。
 あと2回だ。1回余る計算だが、何事にも保険は必要さ。
 ただ、やるべきことだけは忘れないように、ね」

そう笑う彼女は、黒いパンツスーツと黒ブチの眼鏡と長い黒髪を印象付けるほどに赤く彩る唇で、そう告げた。

「……キミは、誰だ?」

そうして、ボクは。

      『そうしてボクは、キミと出逢った』

                      1.

「そうか、そう来るとは想定外。
 まぁ、いいさ。この分だと能力のことも忘れているだろうし、サービスだ。
 キミは時間を操れる。その場で強く思うだけでいい。
 止めることも、遡ることも、吹き飛ばすことも、進めることも自由自在、さ。
 ただし、あと2回。
 目的を見失わず、使いどころを誤らず……頑張りなよ」

なんて一気に捲くし立て、黒と赤の彼女は立ち去ろうとする。
が、ボクにはなんのことだかサッパリ理解できない。

「ちょっと待ってくれよ」

だから、呼び止めた。

「ん? なんだい?」
「頑張れ、とか言われてもワケがわからない。
 大体キミは誰だ?」

そう問うと黒と赤の彼女は、短く嘆息し、

「私のことなんてどうでもいいさ。
 キミは真奈美を救うことだけに集中しな」

……真奈美。なぜ彼女が真奈美の名前を?
真奈美を救うってのは一体なんだ?
何かを思い出しそうになって、嫌な汗が滲む。
寒空の下、額に浮いた汗を拭うように左手で前髪をかき上げ――――
その手の平に文字があることに気がついた。
『Do not forget』

「なんだ……コレ?」

つられるように、右手をも確認する。
『14:48, 12/29』

明日の、日付。

「なんだよ、コレ!」

薄気味悪さを覚え、ボクは叫ぶようにして彼女に問う。
ボク自身にすら覚えのないコト。
それを、黒と赤の彼女が知っているなんて、そんなことがあるハズもないのに。

ボクは何故だか、彼女がその答えを知っているような気がして……問う。
応えはない。
黒と赤の彼女の姿自体が、ない。

12月。
寒空の下、ただ立ち尽くす。

そうしてボクは。

             2.


……なにを、するべきなんだろう?

あれからすぐに大学へとやってきた。
12月28日。
もう講義も何もないこの時期。構内に来ること自体に意味があったわけじゃない。
ただ、ふと思い出したことがある。
この日、この時間には真奈美がここにいる。
まだ煩悶とはしているが、なぜか確信があった。
黒と赤の彼女は、ボクには時間を操る能力がある、と言った。
そして、真奈美を救うことだけに集中しろ、と言った。
真奈美を救うということは、真奈美に危険が及ぶと言うことだ。
ならば、真奈美のそばにいるのが正しい選択なのだろうと、そう思ったからだ。
彼女が事故に遭う、そんな夢をみたせいもあるのだろう。
言い知れぬ不安に駆られた、というほうが正しいのだろうか。

……真奈美。
楠真奈美。
彼女と知り合ったきっかけは、一年前。
さっきまでボクがいたあの公園でぶつかって、彼女の荷物を拾い集める手伝いをした。
そうして、それから同じ大学に通う後輩であることを知り、どちらからでもなく、一緒にいるようになり……今に至る。
洗いざらしの白いシャツと青いジーンズばかり着ている、飾りッ気も洒落っ気もない女の子だ。
それでも、真奈美はいつしかボクにとって掛け替えのない存在になっていた。
一緒にいると、それだけで落ち着く。
思い出を共有するだけで、心が安寧に満たされる。
そんな存在だ。
今も目を閉じるだけで、ほら――

「うょッす! 青年、相も変わらずボヘぇ、っとしとるね」
「うわぁッ!」

……真奈美が現れた。
考えていた相手が、その直後に現れる。
相手に気付かれていた、なんてことはないだろうけど、このタイミングはちょっと気まずい。
まるで、始終真奈美のことを考えているみたいで、それは……なんというか、思春期の純情みたいにこそばゆい。

「驚くなよ、青年。そんなにわたしがカワイかったかい?」

なんて軽口を利く真奈美に、ボクも、

「いや、急にヘンな顔が見えたから気が動転した」

と軽口で返す。

真奈美怒る怒る。
それが面白いわけじゃない。
でも、そんな関係が、毎日が楽しくて、ボクらは笑う。
お互いに笑いあう。

閑話休題。

「で、青年はなぜに学校へ?」
「いや、なんとなくさ」
「わたしに会いに来た?」
「それだけはない」

……ウソだけど。

そんな会話を続けながら、ボクらは歩く。
同じ方向へ、歩く。

と。

「うゃッ!」

真奈美が、転んだ。
ただ、それだけ。
真奈美が躓き、バランスを崩し、地面に倒れこむまでの刹那。

まるで世界がスローモーションになったような錯覚を覚え、ボクはいろいろなことを思い出していた。

彼女を救え。
黒と赤の彼女はそう言った。

キミには時間を操る能力がある。
黒と赤の彼女はそう言った。

今、真奈美は転びそうになっている。
たかが、それだけのこと。
でも、だからこそ。

変わらない日常を。

ボクは真奈美を救う義務があるんだと、そう思った。

強く願う。
時間よ、止まれ。

そうしてボクは。

             3.


寒空の下、公園の真ん中でベンチに腰掛けたボクは、高く澄んだ空を見上げている。
吹き抜ける風は冷たく、だけど心地良くボクの頬を撫でる。

……なにを、するべきなんだろう?

昨日の事件。
あれは大した事故じゃなかった。
……あることを除けば、だが。
とりあえずは、あの黒と赤の彼女に出会う必要があった。
彼女なら、すべてを知っているはずだった。
そんなことを考えていると、

「さあ、今日だね。目的は覚えているかい」

と、黒と赤の彼女が現れた。

「ちょうどいい……と、言うか。
 待ち望んでいた」
「へぇ。私を、かい?」

黒と赤の彼女はいつもの調子で応える。

「そう。キミを、だ。
 単刀直入に訊きたいことがある」
「残念だけど、私はキミの問いに直接答えることは出来ない」

そう言うと黒と赤の彼女はベンチ――ボクの隣に腰掛ける。

「でも、キミが訊きたいことがあるというのなら――それを知る方法はあるはずだろう?」
「OK」

それすらも、想定済みだった。

「じゃあ今からいくつか質問をする。すべてイエスかノーかで答えられるものだ。
 ウソをつかないでくれるのなら、そこからはボクが勝手に推理する」
「……OK」

さて、それじゃあはじめよう。

「ひとつ、ボクは以前にキミと出会っている?」
「イエス。でも厳密にはノー」
「じゃあ保留だ。キミはボクに『時間を操る能力がある』と言った。
 ……しかし、それはなんらかの代償を伴うものだ」
「イエス」
「……その代償とは、ボク自身、もしくはボクが関わった人間が、記憶を失うことである」
「イエス。でも厳密にはイエスとは言えない。だがノーではない」
「じゃあ最初の質問に戻ろう。
 『ボクとキミが出会ったのは明日以降のこと』だ。そしてボクは未来から戻ってきて、今ないしは昨日以前に辿り着いた」
「イエス」
「その際に『代償』でボクはキミに関する記憶、それに伴い能力のコト、そして未来を忘れた」
「イエス。凄いね、キミは。
 私との記憶を失っているのに、そのほとんどを言い当てたよ。
 ……なら、ここから先は質問に対する応答ではなく、確認のための言葉だ。
 キミの知りたいこと、すべてを語るよ」

そう言って黒と赤の彼女は言葉を紡いだ。

「今から4日後にキミと私は初めて出会った」

それは、覚えていない。

「そのときのキミはひどく憔悴していたよ。
 衰弱していたと言ってもいい。
 その時のキミはひとりの女性を失っていたんだ」

知っている。
正確には、思い出した。
昨日までは夢だと思っていたことだけど、それは事実。
ボクが失う女性は、真奈美。そして真奈美は今日、事故で死ぬ。
なぜかはわからないけど、それを知っている。

「詳しい経緯なんか省いてしまおう。今のキミには時間がないしね」

時間。
12月29日、午後2時25分。

「私は時間を司る神。四日後にキミと出会い、そしてキミに時間を操る能力を分け与えた。
 全部で3回分。だがしかし時間を操る能力には代償が必要だった。
 そりゃそうさ、因果を捩じ曲げて、歴史の改変すら可能な能力だからね。
 代償なしで、なんてほうがおこがましい。
 そしてその代償が―――キミ、もしくはキミに関わる人間の因果だった。
 因果なんて言うと堅苦しいが、言ってしまえば記録の一部さ。
 キミが一度、時間を操るたびに……ランダムで『キミが、誰かを』もしくは『誰かが、キミを』と言うカタチで因果を失っていく。
 誰かを忘れる。誰かに忘れられる。
 それを代償に、キミは時間を操れる、と。
 同じ説明を2日前の4日後、私はキミにしたんだ。
 『それでもかまわない』
 キミがそう言ったのを私は覚えている。
 で、1度目。キミは時間を操り、時を遡り、2日前のココに辿り着いた。
 その時の代償は『キミが、私を』だったワケだ。
 そりゃあ私もヒドい偶然だと思ったさ。
 だがとにかく、キミは私と出会った記憶を失った。
 それはつまり、私と出会ったことで過去に戻ってきた、という因果すらも失ったということ。
 私と出会わなければ、過去に戻ってきた、なんて信じられなかっただろうからね。
 だから、折角過去に戻ったキミは、白昼夢にでも襲われたかのような錯覚で、目的すらも忘れかけてたはずだ。
 ……それでも、保険だけは残しておいたようだけどね」

 ボクが残した2つの保険。それが1日という時間。そして。
 ボクはゆっくりと両手を開く。
 右手と左手、それぞれに記された『Do not forget』『14:48, 12/29』の文字。

 正直、すべてを信じることなど出来なかった。
 でも、すべてを信じることしか出来なかった。

「12月29日の午後2時48分を忘れるな。キミが過去に飛ぶ前、キミ自身が書いた言葉さ。
 先の説明で『彼女を救うことすら忘れてしまうんじゃないか』という可能性を危惧してね」

そして、彼女がキミを忘れてしまう可能性には思い至らなかったようだけどね、と続けた。

「……なんで」
「?」
「なんで、昨日のうちに教えてくれなかったんだ!」

それは八つ当たりだった。

「昨日のうちに教えてくれれば、ボクは無駄に時間を止めることもなかったはずだ」
「……昨日、時間を止めたのかい?」

黒と赤の彼女は怪訝に問う。

「ああ、止めたさ。真奈美が転びそうになってね。
 それを阻止するために、止めた」
「……なら、それが答えさ。
 教えようとも教えなくとも、キミは時間を操る能力を、真奈美のために行使する。
 それがキミをいう男だよ。
 ―――だから、昨日の時点ですべてを教える必要はないと判断した」

時間を止める能力がある、ということは教えたクセに、か?
たしかにそのヒントがなければ、ボクは彼女が事故に遭うということ自体を忘れたまま、また取り返しのつかないことになっていただろう。
だが、ボクは肝心なことを知らないまま、能力を使い、そして

「……結果、真奈美はボクを忘れた」

それを聞いた彼女は、少しだけ哀しそうに目を伏せ、だがしかし

「でもやっぱり、教えても、変わらない。 真奈美が転ぶこと。それ自体は大したことじゃない。
 真奈美はそれで死にはしないし、キミだってそれを知っている。
 だけど、もし今日、真奈美が事故で死ぬことを知っていて、それを確実に救う能力があったとして、
 キミは昨日、真奈美が転びそうになった現場に出くわして、彼女を救わずにいられたかい?
 昨日、彼女に会わずにいられたかい?
 教えようが、教えまいが、キミは遠からず自分の目的を思い出し、彼女の元へ走ったはずだ。
 そうして些細な危機からも彼女を救おうとしたはずだ。
 むしろ、教えなかったのはそれを防止するためでもあった。
 彼女の危機を知って、それが翌日のことであると知っていても、キミは真奈美のそばに駆けつける。
 キミはそういう男だ。そうするのがキミだ」

そう、応えた。
そうするのが、ボク……?
なら、

「これからボクは、どうすればいい?」
「イエスかノーでは答えられないな。
 なら、答えは『知るかよ』だ。
 ただ言えるのは、12月29日の午後2時48分を忘れるな、さ」

そう言って黒と赤の彼女は去っていく。ボクは再びベンチに腰を下ろす。
そうしてボクは。

             4.

寒空の下、公園の真ん中でベンチに腰掛けたボクは、高く澄んだ空を見上げている。
吹き抜ける風は冷たく、だけど心地良くボクの頬を撫でる。

……なにを、するべきなんだろう?

時刻は12月29日、午後2時40分。
公園の真ん中。このベンチが位置する場所からは公園の入り口が見える。
入り口に面した道路は相も変わらず車通りが少ない。
本当に、ここで事故など起こるのだろうか?
そして事故が起こったとして、ボクは真奈美を助ける必要があるのだろうか?
ボクが救いたかった真奈美はもういない。

ボクはなんのために記憶を失い。
ボクはなんのために真奈美から忘れ去られ。
ボクはなんのために過去に戻ってきて。
……いま、なにをするために、ここにいるんだろう?

時刻は12月29日、午後2時45分。
入り口に面した車道の向かい側。一人の女性がこの公園を目指しているのが見えた。

「…………ッ」

夢で見たような現実を錯覚し、立ち上がる。立ち上がり、入り口に寄る。

女性は、真奈美だった。
……ボクを知らない真奈美。

ふと視線を車道の向こうにズラせば、そこにはありえないスピードで突っ込んでくるトラック。
……なるほど。
公園からは見えるが、車道側からは完全に死角。
加えて普段であれば、ないに等しい車通り。危機認識は極限にまで麻痺してしまう場所。

物理的な死角と、認識的な死角。その二つが重なってしまえば、事故が起こることは必然。

ボクは知らずのうちに駆け寄っていた。
ボクの知らない真奈美。
その彼女が、迫り来るトラックに気付かず、道路を横断しようとしている。

……助けなければ。

そう思った。
でも同時に、助ける意味なんてあるのか? そう思った。
ボクには彼女を助ける力がある。時間を操る力が、まだ1回分残されている。
この能力は、この瞬間のためだけに手に入れたものだった。
愛する人を失いたくなくて、助けたくて。
他のなにを……記憶すらも犠牲にして構わないと思って。

だけど、今の彼女にとって、ボクは赤の他人だった。
そして、今のボクにとって、彼女はボクの知っている彼女ではない。

赤の他人のために、ボクはまた大切な記憶を捨てることが出来るのだろうか。
そう、思った……でも――――

……ただ、転びそうになった真奈美を見捨てられなかったボクだ。
  たとえ赤の他人でも、死に瀕している人を見捨てるなんて、出来ないだろう?

時刻は、12月29日午後2時48分。
そうしてボクは。

             5.

寒空の下、ベンチに腰掛けたボクは、高く澄んだ空を見上げている。
吹き抜ける風は冷たく、だけど心地良くボクの頬を撫でる。

……なにを、するべきなんだろう?

もうなにもする必要はない。
そんな、気がした。

ふ、と脚の上で組んだ両手が気になった。
組んだ両手を解き、手の平を眺める。
左手の平には『Do not forget』の文字。

「……忘れるな、と言われてもな」

忘れてしまったものはしょうがない。
右の手の平には『14:48, 12/29』の文字。
つまり、12月29日の午後2時48分を忘れるな。
――――今日は、12月30日。
今更ながら、もう過ぎ去ったことだと気がつく。

思い出せない。けれど、昨日のことだと言うのなら、思い出したところでどうしようもないことだ。

過ぎたことは気にしない。

そして、いつまでもここにいる必要はない。

「よっ、と……」

ベンチを立つ。
とりあえず、公園を出て――なにをしようか、などと考えあぐねていると、

「やぁ、最後だね」

と声を掛けられた。
それは、黒いパンツスーツと黒ブチの眼鏡と長い黒髪を印象付けるほどに赤く彩る唇の女性だった。

「……キミは、誰だ?」

やけに親しげに話しかけられているが、彼女に見覚えなどない。

「……まいったね。また『キミが、私を』かい?」

彼女はそんなボクをそっちのけで言葉を継ぐ。

「それよりも真奈美は救えたのかい?」
「……真奈美?」

ボクは彼女が告げたその、聞き覚えのない名前に眉を顰める。

「誰だい、それは?」

ボクがそう問うと、黒と赤の彼女は、黒ブチ眼鏡の奥で、少しだけ悲しそうに――或いは哀れむように瞳を曇らせた――ような、気がした。

「そうか。『キミが、私を』ではなかったのだな。
 最後は、『キミが、真奈美を』だった。
 真奈美との因果を失えば、当然私と出会うこともなくなり、結果だけが残る。
 ……私がキミに能力を分け与えたことは、最悪に有意義で最高に残酷だったわけだ」

なんてワケのわからないことを言うが、わからないものはどうしようもない。
しかし、少しだけ……心が疼いた。
それでも心当たりなんてあるはずもなく、ふと思い立つ。

「そういえばボクはキミの名前を聞いていなかった気がするね。
 もしかして、真奈美、がキミの名前だったりするのかな?」

だとしたら、少しだけ失礼をしたな、などと思う。
……心の疼きもそれが原因に違いない。

しかし彼女は

「私に名前なんてないよ。
 それに、もうこれで最後だからね。必要もない。
 それじゃあ、契約は終わり、だね」

とだけボクに告げ、そして背を向け歩いていった。
なにを言っているのか理解出来なかったが、それでもボクは彼女を追わなかった。
呼び止めもしなかった。
そして事実、それはそれで良かったのだろう。

するべきことは、もうなにもない。

そんな感じがしていたから。

「さて、と」

黒と赤の彼女が立ち去った方向とは別に歩みを進める。
まずはこの公園を出よう。

年の瀬。
やることは探せばたくさんあるはずだ。
そのための時間は、少ない。

……時間。
ふ、と時間を止められたらいいのに、なんて他愛のない空想に浸る。

強く念じる。
……時間よ、止まれ。

1秒。2秒。
……3秒。4秒。
………………5秒。

音は途切れず、舞う木の葉も止まらない。
やっぱり、つまらないジョークに過ぎなかったんだ。
それはそれで、夢のある冗談ではあったけれど。
今のボクが時間を止めようが、進めようが、あるいは遡ったところで。
今以上にやるべきことなんて、なにもないのだ。

そうしてボクは歩く。
歩く、歩く。歩く歩く歩く――、そして。
立ち止まる。

公園の出入り口。
立ち止まって、空を見上げる。

高く遠く、澄み渡った空が、なぜこんなにも。
既視感ではなく。未視感でもなく。
心を掻き毟るような想いを抱かせるのだろう。
そんな切なさは、不意に消え去る。

公園に入ろうとした、一人の女性とぶつかってしまったからだ。
急に歩みを止めたせいだろうか?
ぶつかった拍子に彼女の荷物を撒き散らしてしまい、ボクらはそれを拾い集める。
ジーンズの青と、シャツの白が眼に映える、そんな飾り気のない彼女と一緒に。

「これで全部ですかね?」「はい、ありがとうございます」
なんて、在り来たりの遣り取りをしてボクと彼女は別れた。
すれ違うように、そのまま歩みを進めようと……した。

ふ、と思い立ち、白と青の彼女を見送ろうと、決めた。
何故だかわからないけれど、最後に彼女の背中を見送りたいと。
……そう、思った。

振り返った視線の先。
なにかの偶然だろう。
白と青の彼女も、こちらを振り返っていた。

それが、少しだけ可笑しくて。
心地良くて。

ふたりで微笑むように笑った。

「先日も、お会いしましたよね?」と彼女が言った。
「そうかもしれませんね」とボクが言った。

「可笑しいですよね?
 ちょっと会っただけで、まったく知らないはずなのに……」

彼女は、少しはにかんで、

「懐かしいんです」

それは、ボクも同感だった。

「まったくだ。
 ……キミのことなんて――――」

 ボクは目の前の女性を、

「知らないはずなのに」

 ……知らないはずなのに、涙が、こぼれた。


 「わたし、楠木真奈美って言います」


そんな風に、キミの自己紹介を受けて。

 

                  そうしてボクは、キミと出逢った。

 
  
                                                  完

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