229(2停止目)

少年はその日も学校でいじめられ、俯いたまま
帰宅の途についた。陰湿的ないじめではなかったが、
病弱な少年には抵抗する勇気も体力もなかったのだ。
これが自分の運命なんだ・・・。いつもどおりそう考えながら
歩いていると、見慣れない場所にたどり着いた。昭和の
雰囲気が漂う古い町並み。はじめてみる風景に少年は
道に迷ったことへの戸惑いよりも好奇心のほうが勝り、
その町並みをうろついてみることにした。木造の古い民家が
立ち並び、人の気配はなかった。少し歩いてみると
少年の目に1件の店が目に入ってきた。
 
中に入ってみると古びた時計が整然と並べられていた。
手入れは行き届いているようだった。一通り眺めた後
強いて欲しいものもなかったので店を出ようとした。
そのとき、店の奥からしわがれたいまにも消え入ってしまいそうな
声がした。老婆だった。
「どうしたんだい?坊や。探し物かい?」
「いえ、別に・・・。」
「坊や、もしかして学校で嫌なことでもあったんじゃないのかい?」
「・・・・・・はい。」
全てを見通している、そんな目だった。少年は本能的に
隠し事をしても無駄だ、そう悟ったのだろ。
「それならいいものがあるよ。」
老婆はそういうと店の入り口のそばの大きな棚から新聞紙
に包まれた小さな懐中時計を取り出した。
「時を止める時計さ・・・。使い方は簡単だよ。この
 スイッチを押す、それだけさ。」
「はぁ・・・。」
少年は訝しげな表情をした。
「そりゃ信じられないだろうねぇ。なら試しに使ってみなよ。」
老婆は少年に懐中時計を渡した。少年はスイッチを押した。
 
カチッ

懐中時計の針が回り始める。少年が老婆を見ると
老婆は微動だにしていなかった。驚いた少年が
店の外に駆け出すと、燕が空中で静止しているのが
目に入った。
そんな馬鹿な・・・。次の瞬間、燕は何事もなかったかの
ように本来の動きを取り戻していた。
「信じたかい?」
しわがれた、それでいて力強い声が少年の頭に響いた。
「は、はい!これ、ください!」
「ほっほっほ。じゃあ特別サービスで5000円じゃな。
 ひとつ注意なんじゃが絶対に壊しちゃいけないよ。これは世界に
 1つしかない大切なもので、壊したら大変なことになるからの。」
「わかりました!!」
少年は自分の今の全財産のちょうど5000円を払って
その店を後にした。不思議なことに家にはすんなりと帰ることが
できたのだが、今の少年にはもうどうでもよいことだった。

少年は自分の部屋で手書きの説明書を読んだ。
そこにはこう書かれていた。
 
1、時間をとめられるのは30秒まで
2、一度時間を止めたら30秒経たないと使えない
3、時計を持った反対の手に持ったものだけ時間を止めている間
  動かすことができる
4、絶対に壊さないこと
 
少年はそそくさと宿題を済ませると幾度となく確認をし、
高鳴る胸を押さえながら床に就いた。
 
「おい、遅いぞ。毎日俺よりも早く来て俺の机を拭いておけ
 って言ってるだろ!殴られてえのか!」
教室に入るなりいじめっ子の吉田に怒鳴られた。いつもは
鬼の声のように聞こえるその声も今日の少年にはうるさい
人間の声にしか聞こえない。
「なんか言ったらどうなんだ!?」
吉田は少年の胸倉をつかもうとした。
 
カチッ
 
少年の胸の前で吉田の手は動きを失う。吉田の後ろに回り
込んで少年は30秒経つのを待った。
動き出した吉田の前には少年はいない。
「き・・・消えた?」
「ここだよ。」
振り返り、唖然とする吉田の顔を見ると、少年は満足そうに
席に着いた。

それから少年の仕返しが始まった。吉田への仕返しは
もちろん、周りで傍観して助けようともしなかった
クラスメートや担任へもその矛先は向けられた。
初めは軽いものだった。相手が座るときに椅子を掴み、
時を止める、そして椅子を引いて逃げる。
時を止めて手に持っていたものを投げる。一度手を離れたものは
動きを失うのだ。そしてその場から離れる。
投げたものが相手に向かって飛んでいくが、飛んできた方向には
誰もいない。

だが、何度もそのようなことをしているうちにおかしな動きを
する少年に対し、誰もが不審の目をむけるようになってしまった。
そして数週間後、吉田に僅かであるが感づかれてしまった。
「おい、最近の妙ないたづらはお前の仕業か?どうやってやってるか
 しらないがいい加減にしておけよ!」
少年は胸倉を掴まれたが少し考えて時計を使うのをやめた。
ここで使うのはまずいと悟ったのだ。ただ、時計の存在に
よって自分に自信の付いた少年は吉田にこう言い放った。
「お前がいい加減にしやがれ。」
この一言を聞いた吉田は少年を捕まえると投げ飛ばした。
体の小さい少年は軽がる途中を舞い、地面に激しく叩きつけられた。
「うぐぅ・・・。」
しばらく悶絶していた少年だったが、何とか立ち上がりポケットから
ナイフを取り出すとそれで吉田の肩を一突きした。
「ぎゃあぁぁぁ!!!」

「殺してやる・・・。みんな殺してやる・・・。」
そうつぶやくと吉田の肩にに刺さったナイフを抜くと、
少年は教室のに向かって走り出した。吉田は追いかけてこない。
少年が教室に着くと教室はパニックになった。血だらけの
ナイフを持ったいじめられっこの少年。教室の全ての人間が
即座にこの状況を理解した。
「あああああああぁぁぁぁぁぁ!!!」
少年は奇声を発すると次々と生徒を切りつけていった。
そして最後に少年が吉田の次に最も憎んでいたであろう、
担任の腹部に深々とナイフを突き刺した。
騒ぎを聞きつけたほかの先生達の声が聞こえた。
少年は担任の腹部に突き刺さったナイフから手を離し、
教室を出て駆け出していく。少年を見つけた先生達は
取り押さえようと追いかける。やはり体の弱い少年
はすぐに追い詰められてしまった。
「観念しろよ。もうお前は逃げられないぞ。」
少年がまだ凶器を持っていることを警戒しながらゆっくりと
先生達が少年を取り囲んでいく。
だが、少年は笑っていた。
「ははははは!!!つかまえてみろよ!!!」
そう叫ぶと少年はポケットから懐中時計を取り出し、
おもむろにスイッチを押した。
 
カチッ

少年を取り囲んだ先生達の動きが止まる。その間を
すり抜けるようにして少年はその包囲網から抜け出し
先生達の後ろに回った。
 
 
 
「どういうことだ?動かないぞ?」
懐中時計を見る。まだ針は20秒分しかさしていなかった。
興奮していたから時間感覚が麻痺していたのだろう。
そう考えながら少年は懐中時計を眺めていた。
 
・・・3・・・2・・・1・・・0
 
そんな馬鹿な・・・。少年は驚愕した。
懐中時計の針が0を通り越しもう1週し始めたのだ。
もちろん時間はまだ動き始めない。
「まさか・・・。壊れた・・・?さっき吉田に投げられて・・・。
 その衝撃で・・・?」
もともと要領のよかった少年はすぐに事の重大さを理解した。
 
少年はあの日通ったはずの道を隈なく調べたが、あの店どころか
あの通りすら見つからない。周りはさっきと変わらず
全てのものが動きを失っている。
「ねぇ、おばあちゃん、あなたは僕の見方じゃなかったの?
 お願いだからこの時計を直してよ、ねぇ。」
しかし時間だけが、少年だけに流れる時間だけがむなしく
過ぎていった。
 
少年はついに店を探すのをあきらめてしまった。
落ち着いてみると、空腹感がまったくないのに気づいた。
どうやら時間を止めている間は、自分は動けるだけであって
時間は進んでいないらしかった。少年はその事実に気づくと
絶望した。
「そんな・・・、僕は何も悪くないじゃないか。
 あいつが、吉田が悪いんだ。何で僕だけこんな目に
 会わなくちゃいけないんだ。ちくしょう、ちくしょう!
 いやだ、いやだぁぁぁぁ!!!!」
少年は懐中時計を地面に叩きつけるとどこへともなく走っていった。
懐中時計は静かに時を刻んでいた。

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