125(42停止目)

 曇り空の下。河川には水面を鉄棒で掻き分けている作業着姿の警官が幾多にも見えた。
それを取り囲むように立ち入り禁止のテープが張り巡らされ、マスコミが押し寄せていた。
手にマイクを持った女のリポーターは不健康なほどに色白い。まだ目新しい若手だ。
目に毒なほど、彼女は地平線の向こうまで香水が匂ってきそうな厚化粧だった。
 「この前代未聞の痛ましい事件は」とリポーターが厳かに言った。
彼女の右頭部に重なるように『謎のバラバラ殺人』というマークが浮いていた。
現実の空間とは別次元に存在し、実に平面的に貼り付けられている。
「まだ、解決の糸口も見えておりません。一刻も早く究明が……──」

 世界が突然に真っ暗になり、何も見えなくなった。テレビが消されたのだ。
ぼうっと室内が明るくなる。部屋はいかにも女の子らしい人形でごった返していた。
 「バラバラ殺人ですって」少女の声だ。少女はパジャマ姿、ベットの上で布団の中に潜っていた。
僅かに出された頭部は枕の上に鎮座し、毛布との隙間から可愛らしい顎から上の部分が見えた。
 「これは殺人事件じゃないわ、私には分かるの」
 少女がくすくすと笑った。それを掻き消すように中年の男が溜息をついた。
疎らに髭をたくわえ、後頭部は荒野のように禿げ、くたびれたコートを着ている。
左脇は僅かに膨らみ、椅子に座って少女と対峙し、しっかりと見据えていた。
長年吸ってきたパイプのせいで手が黒ずんでいるが、いかにも刑事な男だ。
この部屋にいるのは、彼と少女の二人だけで、全てだった。カーテンは締め切られている。
 「何度も言うがね」と男が言った。
「近隣の学校の校門の前では切断された脚が二本発見されている。
私の長年の経験上言わせてもらえば、これは完全に異常者の犯行だよ。
食いちぎったペニスをピクルスにする奴、脳味噌を煮込みシチューにする奴、
心臓を食べないと灰になって死んでしまうと本気で信じている奴。多くを見てきた。
どれもこれも、必ず異常者で、被害者は奇跡的とも言える例外を除いて死んでいた。
こういう奴らは犯行に及ぶ際に、被害者がどうなるかなんてコンマ一秒ほども考えない。
なのに君は殺人じゃない、殺人じゃないと連呼するばかりで、何の説得力も無いんだよ。
まさか、自分は未来人だから未来のことを知っていると言い出さないだろうね?」
 「そうね」と少女。「私は未来人かもしれないわ。時を越えてきたの」
 好奇心で輝いた目を瞼でぱちぱちと潤し、無邪気な笑顔で部屋を照らした。
「あれは、芸術作品よ。だから、川なんかに残りのボディパーツがあるわけないわ。
時間の無駄、税金の無駄遣いだからすぐに止めるべきね。そう上司に伝えなさい」
 「芸術作品? 私の理解の範疇を越えているな。君がそう言い切るのはなぜ?
もしかして、君は……犯人に心当たりがあるのかい?」
 男は思わず怒鳴り気味になって目つきが鋭くなったが、少女は気にする様子が無かった。
 「校門の前に置いたのは、それを皆に知って欲しかったからよ。
でも、もし殺しているなら、頭だとか、心臓だとか、死体そのものだとか……。
もっともっと誰にでも分かりやすい部位を選ぶわ。では、なぜ違うのか?脚なのか?
とても簡単よ。最初から殺しちゃいないのよ。死の誇張は行為者の主目的じゃないの。
脚を見せたかっただけなのよ。それなのに、マスコミも警察も思い込みで動くのね。
プロファイリングなんか、結局は偏見の積み重ねでしかないのに……」
 男は少女をじっと見た。普通、やくざも子供も誰もが刑事を前にすると縮み上がる。
だが、この少女は違う。なぜだ? 年端もいかないというのに、妙な落ち着きがあった。

 「では」と男が言った。「君は何が主目的だと思うんだい?」
 「だから、純粋な芸術よ。自分の作品を見て欲しかったのよ。それだけよ。
ただ、その展覧会場が見つからなかったから、学校の校門にしたっていうだけ」
 少女はごそごそと動くと、上半身を毛布から這い出させ起きた。
両手で髪を掻き揚げると、ストロベリーのような独特な香りがした。
 「まるでミステリー映画の推理ものだな」と男。「これじゃファンタジーだ」
 「子供の意見をまともに取り合ってくれるあなたの方がファンタジーよ」
 少女は胸を張って指をぱちんと鳴らすと、男の方を指差した。
 「何にしても」と男は言って立ち上がった。「参考にはさせてもらうよ。
だが、あまり期待しない方が良いね。可愛い小さな未来人さん。
そう少なく無くてね。自分を超能力者だとか預言者だと称する人はさ。
警察は協力を煽った事は一度もないし、彼らの力で事が解決したことは一度も無いのに、
解決した事件に関ったというだけで、力が本物であるかのように喧伝する」
 「そういう卑怯な大人が多いのは悲しいことだわ」
 「ああ、まったくだ。余計な仕事は増えるし、無駄以外の何ものでもない」
 男は少女をじろりと見た。少女は嘲るようにベッドの上で跳ね回った。
 「だけど! 私は! 本物よ!」
 いつの間にか少女は顔を真っ赤にして泣いていた。男は振り返らずに扉から出て行った。

 男は廊下にいた。閉ざされた扉の前にして、体が凍りついたように硬直した。
凍えてしまうような冷たい汗を感じた。見てしまった。
 少女のズボンが空だったって事に。あるべきはずの二本のものがなかったということに。
 男はいつの間にか自分の頬に伝う水が涙だということに気づいた。塩辛くて熱湯のように焼ける。
 どうして彼女は泣いていたんだ?
 わかる──いや、わからない。わかろうとも思わない。わかりたくない。
今更に何が出来る。俺が担当だったってことだけじゃないか。感情は無意味だ。
 心の中にあるのは今すぐに忘れたいという願望。それだけだ。それだけだった。

 だけど、もしも時が戻せたら?

inserted by FC2 system